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人は誰でも話したい?

「話すのが苦手で・・・」「口下手なんですよねー」「なに話していいか分かんない~」って、よく私のまわりで耳にします。
(皆さんのまわりでも、よく聴きますよね?)

基本、話すのが好きな私にとって、それって何なんだろーな~、と以前から思ってたことなんですけど・・・

例えば、会議の時、ずーっと黙って、一言も意見を言わない人っていますよね~・・・というか結構多くないですか?

なのに、会議が終わったとたん、実はこうだった、あれはこうすべきだった、と突然、雄弁?になる😅

なーんだ、意見あるじゃん!しゃべることあったんじゃん!
なら、話せばいいのに・・・何で会議では「地蔵」様のように黙りこくって、陰ではコソコソ言うの?・・・みたいな(苦笑)

そんな時、昔のワタシは、会議の席上でも、席外でも(笑)、だれかれ構わず、ズケズケと言って、周りのほぼ全員から、そーとー・・・引かれてました😄

って、こんな風に言うと、いかにも自分が話し上手で、何のストレス?も感じてなかったように思われるかもしれませんが、全く逆で、めちゃめちゃ話すのストレスだったんです😅

もしかしたら、しゃべらないでいる、いられる?人に対する「ジェラシー」みたいなものから、
つい攻撃的に言ってたのかもしれませんねー
(たぶん、そうだと思いますが・・・💦)

そのストレスは、
何かしゃべり続けてないと不安で、

途切れてしまうと
こいつは分かってないんじゃないか、ダメなんじゃないか
・・・みたいに思われるんじゃないか?みたいな・・・


今考えると、だーれもそんなこと言わないし、誰からも言われてるわけではない。


でも「言わない」「言われない」ことが、またさらに不安をあおり、あおられ・・・自己肯定感がダダ下がっていくのを必死でこらえて・・・みたいな、妙な?無限ループに陥ってましたねー😥


ただ、最近になって思うのは、
ワタシが「地蔵」と思っていた人たちも、
不安でしゃべり続けていたワタシも、
・・・実は同じだったんじゃないかってこと!


それは、正解を導かなければならない、何でも正しくやらなければならないっていう想いや、勝手な思い込みがそうさせていたってこと。

常に正解を出し続け、一番でなければならない、というプレッシャーを自分は、なぜか子どものころから感じていて、
そこにいる全員が認めるまで、納得顔になるまで話さなければと思い・・・


でもそうやって話せば話すほど、聴く側は正解的なことばかり積み重ねられ、だんだん嫌になり、

そのうち話してもらえなくなり、
そうやって孤立し、一人で怒りをぶちまけていた
・・・みたいなことが往々に起こっていたんだろーなー、と思います。


逆に話をしない方も、
正解を出さなければという想いが強すぎて、
正解が分かるまで(自分の中で確信できるまで?)は話さないでおこう、とか、
下手に話して正解でなかったら恥ずかしいとか・・・

そんな思いがグルグル回っているうちに会議が終わり、終わったらその呪縛?から解放されて、本音がついつい出てしまって・・・みたいなことも起こっていたのかなー、とも🙄


どちらがイイとか、どちらが悪いではなく、どちらにも共通するのは、

話をする以前に、話ができる準備ができていなかった・・・ってことなんじゃないかなーと今は思ったりしています。


それが自分の中で見えてきたのは、やはり2年前にコーチングに出会ってから・・・


こちらが「話す」以前に、相手を「認める」、相手の話を「聴く」ことで
信頼関係が生まれ、

そこには、昨今よく言われる「心理的安全性」が担保された空間が生まれる。


この中であれば、人は誰でも話すんだろーなー・・・つまり、話「さない」んではなく、話「せない」んだということ。

そんなことを考えるようになってから、あれだけ「話す」ばかりだった私が
「聴く」ことが楽しくなってきて😁

気付いたら以前の自分と逆転している自分が居ることに、最近気づいてしまいました💦


ただ、違うのは、
しっかり聴いた上で、
相手がもっと話しやすいように、論点を整理してあげたり、
確認を促しながら質問でさらに話を拡げようとしているところ。

それで十分対話(会話?)は成立するし、
むしろその方がいろんな意見が聴けて、自分の話したいことも無理なく無駄なく言えてるような気がしています。


そして、何より今、感じているのは・・・聴く方が断然に楽!ってこと🤣


だって、こちらから考えたり、話を振らなくても、
勝手に相手がしゃべってくれて、合意形成に向かってくれるんですもん!


以前のワタシは、しゃべりたいんじゃなくて、
不安に駆られて、
無理に話していただけで、

決して話したいことを話していた、話せていたわけじゃないし、

むしろ、本当は聴きたかったんじゃないかなー、
・・・とさえ、今は思えています。


ココまでダラダラと書いて言うのもなんだけど、
人間って「言葉(言語)」を生み出した(編み出した?)ことで、

他の生物とは違う「進化」を遂げた・・・
みたいなことを、以前、脳科学か人間科学の先生から、聴いたような気がします。


そこから考えても、今日のタイトルに挙げたとおり、
人間ってやっぱり基本的に話したいんだろうなー、
それが、生物としてのDNAから派生している「本能」なんじゃないかなー、と、コレを書きながら今感じているところです。


そう考えると、意見の対立っていうのは、実は表面上のことで、

実は本当にしゃべりたいことを話せてない、
それはつまり心理的安全な状態にない中で、
対話の途中段階で、

生物としての本能が発露した結果、
種の保存原則というか、
闘争本能や攻撃本能により、
自らの保全に向かっているだけ・・・

その最たるものが「戦争」なのかもしれないなー、と。


対話で戦争がなくなる・・・みたいなことを直球で行っても、それ自体は空想というか、絵空事に聞こえるけど、

歴史をさかのぼっていけば、その根源に向き合った対話まで行きつかないと、対話って成立しないんだよなー、なーんてことも思ったりしてきました・・・今(笑)


あー、いつも以上に今日の自分は迷走しているけど、
このモヤモヤ感(別名、ワタシはみんなから「もやむー」って言われる💦)は、いつまでも、自分の中で大事にしたいなーと思っています。


だって、このモヤの中にある
「なんでだろう?」
「どうしてだろう?」
が、私の中で相手に関心を持ち、
傾聴からの質問に繋がる、大事な「栄養源」だと思えているから・・・


この辺の自分の感覚を忘れずに、
プロコーチとして、色んな方々の悩みや不安に寄り添っていきたいなー・・・今日はそんな風に思えた時間でした(笑)


~改めて人生100年時代~
皆さんはこれから10年後、20年後・・・どんな自分でありたいですか?
https://www.c-sagaseru.com/wakutuna-coachig-hnm




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