考えるということ
ここ数日、というか最初に書いたように、このnoteを始めるきっかけとなった、マインドフルネスの一環のジャーナリング。
今、体験トレーニングで指導いただいている、講師の荻野さんが出ていたんで、上記リンクをかけてみた。(というか、こんなこともできるんだなあと思って、物珍しく使ってみただけ・・・)
今日で三日目だけど、正直驚いている。
何に?
いや、自分がこんなにも色んなことを考えていたとは思わなかった。
文章書くのは子供の頃から嫌いじゃなかったし、活字を読むことも(典型的な文系人間ということもあって・・・)どちらかと言えば好きな方だったけど、
頭で考えて整理して書くことが多くて、実際に活字にすることはあまりなかった、ような気がする、小さなころから今に至るまで。
ところがこの三日間(正確には二日間)書いたものを見ると、ほとんど立ち止まることなく書いたこともあってか、気づいたら結構な量を書いてる自分に驚いている!!!
頭に思い付いたことを、できるだけ考えずに、思い付くままに書いているし、それって普段、頭の中で考えてることなんだけど、文字にすると結構な量になるんだなーって。
寝る前とか、休憩中の10分や15分そこらで、これだけのことを考えてるんだったら、1日の中で自分は、というか人間は、一体、どんだけ~のことを考えてるんだろうか・・・とある意味、ちょっと怖くなった(( ´艸`)
まあ、自分のために今は書いているんで、内容やら意味不明だったり、グチャグチャでも何でもいいんだけど、一応誰が読んでくれるかわからないんで、打ち終わったら誤字脱字は見直す。
んだけど、あまり手を入れなくて、それなりの文章になっているのは、ありがたいなあー、一応これまでの経験や学びが生きてるのかな?(これも(笑))
あと、多分、私だけでなくて、世の中色んな人が、色んなことを考えてて、
だけど、こうやって文字にされるものはその一部でしかないんだろうし、文字にされなくても、言葉で伝えたり、発話することって、そのごく一部なんだろうなー、と。
それで色んなことを互いに理解し合いながら生きててるって、改めて人間ってすごいやん!と思う。
どちらかというと自分は、よく聞かないと人の話が理解しづらい傾向にあったり、思わずおせっかいのように馬鹿丁寧に説明しがちなんで、なおさら素直にそう思う。
日本人(日本語)って結構、話や文章が長いし、最後まで聞かないとニュアンスが変わったりしがちなんで、そう考えたら欧米系の人より表現しなくても、あうんの呼吸っていうの?暗黙の了解的な文化が根付くのも、何だかなるほどな―って妙に感心してる。
ただ、「生きづらい」とまでは言わないけど、最近何だか難しいなー、人間関係って・・・とか思ったりしているからか、妙にこのジャーナリングにハマってる?自分なんだろうねー。
7つの習慣だとかでよく言われる、自立を前提とした相互依存みたいなことを改めて思い出して、先ほどから棚から引っ張り出して読んでいる。
幼稚な表現だけど、仲良くするのが前提・・・じゃなくて、やっぱり自分の内面を理解することが前提のような、改めてそう感じ出している。
んー、逆も真かな~?何だか最近公私にわたりモヤモヤしてるからか、こんなことばかり考えがちだからか、たぶんそう、
どこか無意識のうちに、マインドフルネスやら自分を見つめるやら、何かその辺にツボっている自分が出て来ているような気がしてきた
いや、自分でも何かこの三日間にわたり、ちょっと深みにはまってきたような気がするんで、明日以降は敢えて、全く違うことを考えてみよう!
って言いながら、まーその時の気分で(笑)
ちなみに上の写真は、昨年7月だったか熊本出張の際にレンタカーから見えた風景・・・焼酎の醸造工場の前に鎮座?されてたマスク小僧、なかなかインパクトあります。
さー、週末だけど呑みに行く訳にもいかんし、ぐっすり眠るためにも「宅呑み」しますかなーっと!!
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