毒親育ちの私の考え方

私は、考え方が短絡的らしい。
これだ!と思ったらただその答えを掴んでしまう。
何においても。

子育てでも、子供がごはんを食べない時、なんで食べないんだろう!このやり方で合ってるのに!
という考え方をしてしまうから、ちゃんと食べてくれないと怒ってしまう。
いくつか、選択肢や可能性があるのに、一つの答えに執着してしまい、そこから離れられない。

私の根本的な問題はそこなのではないかと。
そういう話を夫にされた。

食事に対して、夫が
味付けが濃い、という指摘をする。
それに対して、私は
作りもしないのに文句言わないでと怒ってしまう。
せっかく作ったのに。
何を作るか考えて、買い物に行って、重たい荷物を持って帰ってきて、食材を切って、味付けして、温かいうちに出せるように時間調整して。
その努力を認めてほしいのだ。
その努力全てを否定された気持ちになるのだ。
濃いかもしれない、という可能性は無視。

子供が、祖父母に会っていなかった間に、私の機嫌を伺うようになったねと
義母が言っていたそうだ。
何も知らないくせに、何も見てなかったくせに、私はここに来るまで、いろんなことを考えてきたし、いろんな辛い思いをしてきたのに、子育てしてるわけじゃないくせにうるさい。
と、思ってしまう。

側から見て、私はやばいやつだから、そういう指摘があったのに
私は、私のことが大好きで、私の意見は絶対正しいから
他人の意見や指摘を突っぱねてしまう、らしい。

指摘を受けるって、ありがたいことなんだと言われた。
悪いところを治せるんだから、と。

話し合いをしていても、指摘をされるとすぐに反発してしまう。
私は悪くないし、頑張ってると、言ってしまう。

でも、実は、私にも悪いところはあると思ってるし
そこを「何もわかってない」人に突かれるのが嫌なのだ。

私は、毒親に育てられて
虐待されて生きてきた。
だから仕方ないんだ、と。
虐待するような人に育てられたんだから、同じような育児をしてしまうのは仕方ない。
むしろ、殴ったり蹴ったりしないだけマシなんだ。
そこを分かってから、私に対して指摘をしてこいよ、と。

そういう思考になる。

まずは、指摘されても、受け入れよう。
間違ってるよ、と言われたら、間違ってると受け入れよう。
間違ってないかもしれないけど、間違ってるかもしれない。両方あり得ることを受け入れようよ、と言われた。
一つの答えだけを取らないで、いろんな可能性を考えてみようよ、と。

私は、私の味方になってくれるのは、私自身しかいないと思っている。
だから、誰かに指摘、つまり私を否定された時、反射的に自分を庇ってしまうんだと思う。
私が私を守ってあげなきゃ、誰が私を守ってくれるんだろう?
誰が味方をしてくれるんだろう?
私しか、私のこと分かってる人はいないのに。


母親に怒られてる時、心の中でずっと反発していた。

なんでそんな酷いことばっかり言うの?なんで怒ってばっかりなの?なんで分かってくれないの?なんで認めてくれないの?なんで味方してくれないの?

そんな思いを心に秘めて、口に出す言葉は「ごめんなさい、私が悪かったです。許してください」

これを何年も何年も繰り返していた。怒られた内容なんて覚えていない。

自分の気持ちを話すときは涙が必ずでてくる。それが嬉しい気持ちでも、悲しい気持ちでも。


これまで、何か努力してきたことはあるのかと聞かれて
ない、と答えた。
熱中したもの、ない。
継続的に努力したもの、ない。
能動的に成し遂げたもの、ない。
出産子育ては、受動的なものだから、自ら進んでやってることという枠には入らない。
あくまでも、能動的に。自分が選んできたもので、何か成し遂げたことは、何もない。

思えば、大学受験も、就職活動も、なんとなくやって、失敗した。
やりたいことではないから。
やりたいことってなんだったんだろうか。
大学は、母親が周りに自慢できるようなところを選ぼうと思った。
でも、勉強を頑張らなかった。
常に自分を甘やかしていたし、もっともっと、頑張ることもできた。でも、しなかった。
頑張る余裕がなかった。
応援してくれる人も、見守ってくれる人もいなかった。
それも言い訳だが。

就職活動は、やりたいことを母親に話したとき、否定されてすぐ諦めた。
それほどの熱意だったんだろう。
熱中したいものでもなかった。

私が、熱中していたのはなんだったんだろう?

読書だったと思う。
小説を読むのがとても大好きだった。
好きな小説は何度も何度も読み返した。
勉強も好きだった。

子供がよちよちとどこかに行きそうなとき、見えてたら私はすぐ捕まえにいくし
誰かに任せようなんて思っていない。
朝から晩まで、寝てる時も一人で相手している。
自分の家ではないので、あちこちに危ないものが置いてあるから、片時も目を離せない。凶暴な犬もいる。
常に、子供を追いかけているが
夫にはそう見えていないらしい。
義母が追いかけるのを黙って見ている時があると。

そう思うなら、夫が追いかけたらいいのに。
でも、それをすると、私が何もしない人になるから、私に声をかけてあげてる、と言われた。
義母がいる時くらい、気を緩めるのはいけないことなのか???
まあ、そこまで言うなら、もう義母には抱かせないし、追いかけさせないようにする。
食事中、騒ぎ出したら、私が外に連れ出したらいい、そう言うことでしょ。
料理している時に、よちよちと動き出したら、抱っこ紐で背負ったらいい。
そこまで、全力でやれることを全て、やれと。
こうやって、反発してしまう。

そう言う時があるんだね、わかった、気をつける。
とはならない。
それが私の悪い思考の癖だそう。

ちなみに、これについては本当に何も納得がいかない。
朝から晩までずっと追いかけ回すのが大変だから
部屋に子供を連れて行く。その部屋ならある程度はほっておいても大丈夫だから、私も一休みする。
が、それさえもダメらしい。
常に、子供と向き合って、見守り、一緒に遊んであげろと。

常に、全力で優しい母親であり続けてほしいと。
少しのことでもイライラせず、子供にはずっと笑顔を向けてほしいと。
余裕を持ってほしいと。

理想的な母親だと思う。
私の母親とは正反対だ。
夫の母親は、そういう母親だったそうだ。

わたしにそれができるんだろうか?
無理だと思って、できないと拒否するのではなくて
そうなろうと努力していけるんだろうか…。
不安だ。

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