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自分は頭を使っていないんだ、とハッとした話。

上司にとって日常茶飯事なことが、私にとっては新鮮だった

とあるお蕎麦屋さんでのできごと。「お蕎麦の量を200gか400gかお選び下さい。」「んー。300ってないですか?できますよね?それでお願いします。」

とあるご飯屋さんでのできごと。「AとBのセットか、AとCセットからお選びください。」「んー。BとCのセットってできますか?物はあるからできそうな。それでお願いします。」

とある自社商品についてのできごと。「そういう仕様になっていてできそうにないです。。。」「でもそれって変えれそうじゃない?この部分だけ仕様を変えればできそうだけど。」

これは私の上司のお話。今の上司とはもう5年ほど上司と部下の関係で、私の結婚式では祝辞もいただき、大変お世話になっている。仕事では私の強みを活かして伸び伸びとやらせてくれるし、私の考えを尊重して任せてくれる。失敗したときはフォローしてくれるし、落ち込んだら笑い飛ばしてくれる。仕事に熱くて、やりたいと思ったことを実現するためのエネルギーもすごい。プライベートでは素敵な奥様を持った2児のパパで、仕事の合間や飲みの場ではご家族のお話も聞かせてくれるし、記念日も大切にされている。そんな熱くて気さくでロマンチックな素敵な上司だ。

今回はそんな上司について、というか、「自分がいかに頭を使っていないのか、そのせいで知らないうちに、凝り固まった人間になっていた」というお話を。

私は割と、ルールとか決定事項みたいなものを素直に真に受けるタイプの人間だと思う。それが当たり前だと思って生きてきたし、みんなそうしてるものだと思っていた。でも実は、それは単に頭を使っていないだけだったのかもしれないと、ここ数年で思い直すようになった。

「この中からお選びください」と言われればその中から選ぶし、「これをしたらだめ」と言われればしないようにしていた。何の疑いもなく。それって素直なんじゃない?と思われるかもしれないが、それは「素直」とはちょっとまた違う。いや、素直なのかもしれないが、私の場合はあるものが欠如していた。そしてそのために、「自分で考えること」をしていなかった。その欠如していたものとはなにか。それは、なぜ?というそのことに隠れた「背景」を知ろうとすることだ。

いつも頭を使っていると、それは自然と言動に現れる

一見隠された背景を理解することで、ある程度の自由を手にすることができるし、本当に大事なものを見失わないで済む。

なぜそうしなければいけないのか、なぜその選択肢なのか、なぜそういう仕様なのか、なぜその数字を目指すのか、なぜこのルールがあるのか。

そういう、「なぜ」や「背景」を考えず言われたことだけを受け止めて取り組むところがあった。だから、言われたことを100%返すことしかできていなかったし、BとCをくっつけてアレンジするとか、既存仕様やルール自体を変えちゃうとか、そういう「柔軟さ」「自由さ」みたいなものは全く持ち合わせていなかった。これはつまり、自分の頭を使って考えていなかった、のだと思う。

大事なことは外さずに、自由に考え、変化を楽しむ

お蕎麦屋さんやご飯屋さんでは、お店のことを考えるとメニューの中から選んでいただきたいが(笑)、上司を見ていると、その自由さというか、何にも縛られていない感じが私にはすごく新鮮だった。上司に使う言葉ではないかもしれないが、言葉を選ばずに言うと、「羨ましい」と思った。

私の場合は、「選択肢の中から選ばなきゃ」「仕様上できないなら難しいかな」と無意識のうちに思考停止していたようなことも、上司の場合は、「選択肢になくてもできるなら作ればいい」「仕様が今にフィットしていないなら変えればいい」と思考を止めないのだ。きっと、上司にとっては、「つくる」「変える」ということがたいしたことではないのだと思う。むしろ、「もっとこうした方がよくなるはずだ」と常に自分の頭で自由に考え、変化を楽しんでいるのかもしれない。

そんな姿を見て、無意識のうちに自分の中で生み出された凝り固まった思考に縛られて生きていたかもしれないと、大袈裟かもしれないけれど、本気でそう思った。

もっと自由に、もちろん守るべきルールや決定事項(飲食店のメニューw)は抑えつつ、自分の頭で考えて、変化させることや生み出すことの楽しさを覚えていきたいと思う。