二人のじいちゃんから受け継いだもの 〜千葉のじいちゃん〜

千葉のじいちゃん

 千葉のじいちゃんは、この世にはもういない。

二人の息子と3人の孫(私、弟、妹)がいて、年に2〜3回会うたびに子どもできたか?と聞いてくるようなスマートとは程遠い、デリカシーのないじいちゃんである。

そして、私が人生で初めて失った身内で、死んだ時に本当にたくさんのことを教えてくれた人だ。

81歳、2022年3月3日の早朝、一人ベッドでころっと息を引き取っていたのだ。おばあちゃんが朝食のためにお越しに行った時にはすでに身体は冷たくなっていたらしい。

今まで、年始の挨拶で

「俺はもうすぐ死ぬ!」と言ってきたのに、今年の年始は「もう少し頑張ってみようと思う、ひ孫みたいから」

と言った一言がずっと気になっていたのだが、嫌な予感が的中してしまった。

人生で一番悲しい雛祭りで、人生で一番辛くて後悔を感じた経験だと思う。



 生きている時のじいちゃんは一言で言うと、「天災」だろう。故郷の白川郷で異端児として生まれたから家を出たんだという感じだった。

恐らくじいちゃんよりも個性的なばあちゃんとの凸凹夫婦で、じいちゃんを選んだ理由はお金、次に顔だといつも誇らしげに教えてくれるのをじいちゃんは横でニコニコ笑って聞いていた。なんだかんだ世界中を二人だけで旅行したりと仲は良かったと思う。

 私の知っているじいちゃんは、テレビを見ている時は大人しくしているが、ご飯の時はいつも焼酎を片手に賑やかでうるさくて泣き上戸で怒ると手がつけられないという、常に笑いと涙の絶えない食卓が印象的だ。

ただ、酔っ払って道端で血を流して倒れていた時は、本当にこのじいちゃんから私の父ができたのか疑うほど迷惑しかかけない老人だと思っていた。

昔はバリバリ働き、あまり家にはいないような人で、建築業の上の立場で人を動かしていた武勇伝を何度も聞かされた。趣味はお酒以外になく、お酒でしかコミュニケーションができない。それでも強く慕ってくれる人が数人いてくれることに、孫ながら感謝した。

酔うと孫の前でも平気で下ネタを言い、墓を守れと言い、そんな話の時は孫からも本気で嫌がられて、食事中によく本気のダメ出しをくらい口喧嘩をする。

最後は泣きながらどれだけ私たちを愛しているのかを語って許されてしまうようなジェットコースターのような人だった。

それで実際に今、じいちゃんの願い通りに面倒だけど墓を守ってあげようかという気持ちになってしまっているので不思議だ。


 それでも、私の人生でこんなにも大切な人だと思えるのは、孫のことになると常に全力で愛情を言葉や行動で表現してくれる、とてつもなく不器用で情熱的で憎めない人だったからだろう。

酔っ払って良く電話が来ていた頃は最後切る前に必ず、

「お前たちが一番可愛い!おれは幸せだ!おれが死んだらばあちゃんのことよろしく頼むな!瑠依!愛してるよー!!」

と叫んでくれた。

そんなのだから、つられて「私も大好きだよ。いつもありがとう」と照れつつも応えてしまう。

本当に人たらしもいいとこである。

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