二人のじいちゃんから受け継いだもの 〜二人の共通点〜
二人の共通点
性格も考え方も何もかもが違う二人の共通点を考えた。
それは二人とも「自分勝手」に生きてきたと自負している点だろうか。
もしくは、「人に嫌われようとどう思われようと関係ない。生きたいように生きてやるんだ」というようなルフィのような雰囲気だろうか。
それとも「真っ直ぐ、自分の信念は曲げない」そんなナルトのような人道だろうか。
どちらにせよ
「少年心」
に詰まっていそうだ。
二人の魅力は「少年心」に隠されている。そんな気がしてならない。そのまま体も大きくなって影響力も大きくなったからこんなにも人の心を動かす言葉をぶつけることができるのだと思う。「生き様」として見せてくれているのだと思う。
どんなに意志が硬くても、子どもにもどることができなくなった瞬間、普通のつまらない大人になってしまうのだろうと想像してしまう。
横浜のじいちゃんの言葉に
「死に様は生き様だ」
という一言がある。
私はこの言葉が本当に好きで、心からそう思っている。
まだ深い意味はわかっていないのかもしれないが、千葉のじいちゃんが身をもってその意味を教えてくれたのだと信じている。
死ぬ時に、どれだけの人からどれだけのことを思い出してもらえるのかが、その人の生き様を表しているのだと思う。
死ぬ時に後悔なく生き抜いた人の人生というのは、こんなにも残された人に愛情や勇気や悲しみを与えるのか、と思う。死んだら何も残らないというのは本当で、財産や物なんてそんなに残らないし、正直高が知れているのだ。
それよりも、その人との思い出の方がよっぽど価値が高く、忘れたくないものだと思えるかどうかが大事だろう。
千葉のおばあちゃんは、葬儀が終わるとすぐにじいちゃんのタンスから洋服などを全て出してリサイクルショップへ持っていった。(笑)形見が欲しいから少し待って、と孫たちで止めたくらいだ。
私は、幸運なことにリアルタイムでも横浜のじいちゃんからその生き様を見させてもらっているが、最後誰にも迷惑かけずにしれっと亡くなった千葉のじいちゃんからは死に様から生き様を見させてもらった気がする。
千葉のじいちゃんが私に残してくれた最大の財産は、「たくさん愛してくれていた」という紛れもない事実だと思う。
「愛情」を受け取っていたからこんなに苦しくて、悲しくて、愛おしいと思う。
「愛情」のなかったじいちゃんとは会ったことがないし、いつもいつも大事にしてくれていた。じいちゃんの人生において、私自身が重要な存在であることを常に教えてくれていた。それが今わかったことがとても大きな意味をもつのだ。
そして私が受け取った愛情をじいちゃんに直接返すことはもうできないけど、それを次世代に繋いでいくことこそが、じいちゃんの愛情の使い道な気がしている。
私から湧き出てくる愛情の源は、たくさんの愛してくれた人からの愛情があってこそだ。
そして、皮肉なことに死んでしまった今の方がいつもじいちゃんのことを思い出し、そのたびに愛情を思い出して私を強くするエネルギーになる。死んでしまってからもじいちゃんの愛情を感じることができる。
人を心から愛し続けることは簡単なことではないけれど、死に様にもその愛情が受け継がれることが本当なのであれば、生きているうちに愛情を伝えることをやめてはいけないんだと思う。
また、横浜のじいちゃんは愛情以外にも残せるものとして、知識や知恵を与えてくれているのだと思う。
人間は学びを辞めた時に老化が始まるんだと語っていたことがある。確かに学ばなくなると、進化はできないし頑固になって少年心は忘れてしまいそうだ。
更にじいちゃんはたまたま日々の学びから得たものを、エッセイや俳句や講義として他へ循環する仕組みを昔から作っていた。
そして昔書いた記事を、たまたま私がオンラインサロンで再投稿することになって、当時の考え方や発想、情報、知識が私のものになって行くのを身をもって体験している。視野が広がっていき、柔軟な考え方ができる。
そして新しい知識をじいちゃんと共有することでまた学びがアップデートされて、二人の興味はさらに広がり、世の中が少し楽しくなる。もしくは、二人で一つの問題に対して話し合い文句を言ったり改善点を話したりする。
共有することは、死んでしまったらできないことではあるが、学んだことを形に残すことで後世にその研究やアイディアが受け継がれ、さらに知識の深掘りができたりするのだと思う。
心から学び続けることは簡単ではないのかもしれないが、死んでもその考え方や意志が受け継がれることが本当だとすれば、生きているうちに柔軟に学び続けることをやめてはいけないのだと思う。