エッセイ:ビールの味
ガタイが良いせいか、酒豪と思われることが多い。実際はそれほど飲めないし、飲まない。酔うと多少は楽しくなるのだが、それ以上に眠気が強くなる。
近年はコロナ禍によりそもそも飲み会がなく、晩酌する趣味もないのでお酒を飲む機会は少なかった。
学生時代はもしかしたら飲んでいた方かもしれない。サークルの先輩に飲み会好きがいて、サークル帰りによく焼き鳥がおいしい居酒屋に寄っていた。飲みそうな顔をして飲めないことを彼に馬鹿にされながら(先輩もそれほど飲めない人ではあったが)、カシスオレンジやらファジーネーブルやら、弱いカクテルを飲んでいた。閉店間際までその店で飲んで、その後はカラオケオールというのが定番の流れだった。朝まで歌った後、一限の授業に行ったりしていたものだから、元気なものである。今では絶対に無理だ。
私はお酒には弱いが、ダラダラと長時間飲むことはわりと得意(という表現で良いのか)だった。酔うのも早いが、冷めるのも早い。
ソフトドリンクで休憩を挟んでいれば、長いこと飲んでいられた。長いこと飲んでいるふりをして、実際はそれほどアルコールは摂取していない、というカラクリである。
その小技のせいで、なおさら酒豪のイメージは強くなったのかもしれない。
学生時代の飲み会でよく知らない後輩から「聞きましたよ!矢口さんって、めっちゃ飲むらしいじゃないですか!」と絡まれたことがある。「そうでもないよ」と適当に返していると「いつ本領発揮するんですか!?」とキラキラした目で言われた。あんまり飲めない、なんて言うと「またまた〜」みたいな流れになるのが目に見えてるので、何も言わずにいた。そういうことはよくあることで、そんな態度がまた「酒豪」っぽかったのだろうか。
というか、後輩たちはいつまでも「本領発揮」しない私を見て少しは疑わなかったのか。
さて。私はお酒に弱いので、日本酒や焼酎はもちろん、ビールの美味しさがよくわからない。お子ちゃまである。老け顔なのに。
学生時代は何を飲んでもよかったのだが、社会人になってくると「最初の乾杯はビール」という雰囲気がある。ビールかウーロン茶、の流れのなかで「カシスオレンジ」とか言えないわけである。小心者なので。ガタイは良いのに。
だから一杯目は渋々ビールにするか、ウーロン茶で誤魔化すかしていた。
ここ数年はコロナ禍のおかげで飲み会もなく、好きでもないビールを飲む機会はなかったのだが。コロナが五類に引き下げられたことにより、じわじわと飲み会という文化が復活し始め、少し前、ついに職場の飲み会が開催された。普段飲まないため飲酒自体がかなり久しぶりで、正直あまり乗り気ではなかったのだが、とりあえず一回でも行っておけば後はなんとかなるだろうという気持ちで参加した。
もちろん、乾杯はビールだった。
そして、驚いた。
ビールが美味かったのだ。
謎だった。まったく謎だった。
これまで苦い、まずい、としか思わなかったビールが、美味しいのである。しかも、これまではカクテル二杯でじゅうぶん酔って眠くなっていたのに、全然眠くならないのだ。
飲めるようになってしまった。
どうしてだろう。
それだけ年を食ってしまったのか。
大人になったということか。良い意味でも、悪い意味でも。
飲む習慣がないので、あの飲み会以来まったくお酒を飲んでいないが、「今日は金曜だし、一杯ひっかけて帰ろう」と言った先輩を見て少し羨ましいと思った。なるほど、そういうのも悪くない。
ああ、このまま「酒豪っぽい人」から「酒豪」になっちまうのか。
そのほうが見た目のイメージと噛み合うから悪くはないんだけど。でもやっぱり、飲酒がストレス解消みたいになってしまうのは怖いなあ。ほどほどに飲んでいきたい。
美味しく飲めるのがいちばんだよな。
なんてことを、喫茶店でアイスウインナーコーヒーを飲みながら書いている。