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近況。
お久しぶりです。矢口です。
少しばかり、近況報告を。
初夏の頃、ゴールデンウィークの少し後くらいの頃です。友人と、私を含めて四人で山登りに行きました。山登り、といっても、地元の低い山で道もしっかり舗装されていますし、坂道多めの散歩と言ったほうが適しているかもしれません。
私たちは昔話や仕事の愚痴や情報交換などを楽しみながら、のんびり歩いていました。
「あれ、何?」
友人のうちのひとり、仮にAとでもしておきましょうか。Aが立ち止まり、何かを指さしました。私たちも立ち止まって見ると、道をそれて少し右側に行ったところに、小さな洞窟のようなものがぽっかりと口をあけていたのです。
「すげえ、何の穴?」
「動物の巣かな」
「防空壕の跡かも」
地元の山とはいえ、私たちが訪れたのは初めてでしたし、詳しいことはわかりません。こういうとき、童心にかえった大人の好奇心というのは厄介です。
「入ってみようよ」
誰からともなく、そういう流れになってしまうのです。
「嫌だ、危ないだろ。何かいたらどうするんだ」
ひとり、Aだけは不快そうな顔で言いました。じゃあお前は待ってな、と、私たちはAを残して洞窟に足を踏み入れました。しかし。
「何もないじゃん」
「行き止まりかよ」
本当に、何もありませんでした。
三メートルほど、入り口からの明かりがじゅうぶんすぎるくらい届くと距離で行き止まりになっていましたし、面白いものは何もありません。草も生えていなければ、虫もいません。
つまんないね、とつぶやきながら私たちは洞窟から出ました。
「早かったね」
洞窟を出ると、Aの声がしました。洞窟の向かって右に、Aが立っています。
おや。
私は、違和感を抱きました。
Aの背後に道があったからです。
私たちが入った洞窟は、道の右側にあった。だから、向かって左にAが立っていて、その背後に道があるならば何の問題もないのですが。
その違和感には、他のふたりもすぐに気付いたようです。
「道、こっちだっけ?」
「洞窟は道の右側になかった?」
が、Aは顔をしかめて言いました。
「何言ってるの?みんなその洞窟に入って、そこから出てきたでしょう」
私たちとAは、あっちだった、こっちだった、としばらく言い合いましたが、結局のところ私たちの勘違いというところにおさまりました。私たちが何かを主張したからと言って、今、洞窟が道の左側にあったことには変わりがないのです。
変なの、とかなんとか言いながら、それからは特に変わりなく、山登りを続けました。
友人たちとは下山後別れ、いつも通りの生活を送っているのですが。
何と言うか。ところどころに、小さな違和感があるのです。違和感と言うのは、あの山登りの前と後とで何か違っているような気がするということです。
具体的に言うと、持っていた服の色が少し違うような気がしたり、親戚が飼っているのは犬だと思っていたのに実際は猫だったり、左利きだったはずの友人が右利きだったり、そういうことです。
単なる私の勘違いなのかもしれませんが。
先日、久しぶりにあの山登りのメンバーで集まりました。酒を飲みながら相変わらず愚痴やら昔話やらに花を咲かせます。
そのなかで、友人のひとりがあの洞窟の話をもちだしました。
「洞窟を出てから、うまく言えないんだけど、世の中がちょっと変わったような気がして」
「本当?まったく同じこと、思ってた!」
驚いて、私はすぐさま同意しました。
すると、もうひとりの友人も「何か変だよな」と頷きました。私は驚いたのと、自分だけではなかったことに安心したのとで興奮してしまい、まくし立てるようにこれまで抱いた違和感について話しました。ふたりも同様です。
Aはしばらく黙って聞いていましたが、突如、机を拳で叩きました。
普段穏やかなAがそんなことをするものなので、私たちはぎょっとして黙ります。
「変な話、するなよ。おかしいのはお前たちだよ。世の中は何にも変わっちゃいない。今までどおりだ。洞窟を出てから変になったのは、お前たちなんだよ」
はあ、と大きく息をつくと、Aはお札を数枚叩きつけるように机に置くと、
「悪い、もう帰る。お前たちとは付き合えない」
と唸るように呟いて出て行ってしまいました。
私たちは少しの間呆然としていました。しかし、そこからまた飲む気にはなれず、そのままお開きとなりました。Aを含む友人たちとは、それから会っていません。
世の中がおかしくなったのか。私たちが変わってしまったのか。…それとも、あの洞窟に何かカラクリがあったのか。
今宵はオリオン座がよく見えます。
以前、オリオン座は夏の星座だったような気がするのですが、もともと星には詳しくないので、確かめようがありません。