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オミクロン株が見つかって二週間後に米国から帰国した私が見た2021年12月或日の天国と地獄とその記録。

昨今の事情を鑑みて、考えもしない方向から石が飛んできたり詰られたりして、ああ、書かなければよかったのかな、と後悔するかもしれない。


けれど、この二週間で起きたことは軽く大変なことだったので。
いつかの誰かの参考になればと思って書いてみます。

大変長い話になります。




1.ことのはじまり。

2021年11月26日。閑散とする羽田空港に私はいた。

昨今流行っている疾病から米国に住む家族を尋ねる計画は幾度となく頓挫していた。

徐々に感染者の人数も減り、有給休暇はまるっと余り、とうとう出かけられるのでは、という甘い希望は徐々に膨らみ、チケットを購入したは秋の始まりの頃のこと。

それでも二度に渡るフライトの欠航連絡、コードシェア便への変更のための高価な差額の支払い、二週間にも及ぶ滞在にむけて、仕事の調整、学校の課題提出、頼まれた移送物の収集とおみやげの見繕いなどの数々の困難に打ち勝ち、二つのスーツケースと大きな持ち込み荷物と手回り品以上の物が入ったかばんを手に、極度の寝不足と清々しい気持ちで羽田空港に立っていた。
HPもそうだが財布のライフはだいぶ減っている。
その事は忘れることにした。


勝手を忘れてしまった航空会社のチェックインカウンターで覚束ない動きで二日前に取得した流行り病の陰性証明書、ワクチン接種証明書、英語で書かれた入国に関連した誓約書を地上乗務員の人に見せて荷物を預け、さぁ出発するぞ、と意を新たにした時に、そのニュースの速報が入りました。


『南アフリカで新型コロナウイルスの新種株 オミクロン株を確認。』


友人や家族に出発前の連絡をしながら、新種の株が見つかったらしいけど、行き先は別の大陸だし大丈夫だよ。なんて、確証のない話をして飛行機に乗り込み。乗り継ぎを含めた10数時間あまりのフライトの後、迎えにきた家族の車で米国の家に到着しました。持ってきたカバンを洗剤とアルコールで清め、シャワーを浴びて着替え、着衣はすべて日本の我が家の2倍程の容量がありそうな洗濯機に放り込んで
珈琲を飲んで一息。
 

本当に来てしまったUnited States. 
もう二度と来られないかと思った。 
ここまでは無事に来られてよかった。
みんなここまで無事に生きられてよかった。


J-POP調に喜びに溢れかえりつつ、家から見える鬱蒼とした木々につながる庭や、東京では見られない鳥たち、人が全くいない田舎の道路や、右車線通行、YoplaitとTargetのある生活に懐かしみを覚えつつ、室内で本や記事を読んだり、通っている学校の授業動画を見たり。それでも夕方になると人の少ない景色のいい所に車を走らせ、散歩のためだけに外出をする、そんな普通の生活を慈しんでいました。

それは、車で一山越えて夕暮れの景色を眺めていた時のことでした。


「在米国○○州日本領事館からのお知らせ
12月某日○○州にてオミクロン株の感染者が発生したことが確認されました…」

家族が登録している居住州領事館からの在外者用メーリングリストに一通のメールが届きました。同じ州内で感染者が見つかった。南アフリカで確認されてから、まだ10日も経っておらず、この時の感情は驚愕と不安。もちろん、こんな時期に移動をするという事は、こういったリスクも織り込み済みだったはずなのだけど、実際にその知らせを聞くと動揺するもので。

オミクロン株についてCDCのサイトで確認するとデルタ株の2倍以上の感染のしやすさで、未知の要素が多い。日本では外国人の新規入国を取りやめる話が入り始め、帰国が出来るのかどうか確認。日本の人、および、日本に住んで働く手続きが済んでいる人は、どうやら入国時の手続きが増え、3日間、待機場所で隔離のための待機が必要になるらしい。

なぜ3日なのか、他の国ではなぜ6日や10日だったりするのか、基準が全くわからない。この時点でわかっているのは、在宅勤務用の道具を持っていないので、帰国後はすぐには仕事ができないようだから、休暇の調整のお願いを上司に速やかに連絡することでした。

米国入国後、出国までの間、私自身の濃厚接触者は家族だけである。
その家族ですら在宅勤務で、濃厚接触者になるような人はこの二週間はいない。外でも2回食事をしてはいるけれど到着後すぐだったし、それらの店では隣の人とは座席は遠く離れていた。
感染の懸念のある行動は控えて、基本的に自炊か、テイクアウトに作ったサラダを合わせたりしていました。
一度、久しぶりに日本のカレーを食べたりした。
米国でもルーが買えるハウス食品は神だと思う。


米国を出国するまでの間、町のPCR検査施設に事情を話して日本入国用のPCRの検査をして貰い(他にも日本に向かっている人が居たので話は早かった)日本入国時の誓約書の作成や、外務省からの入国に関連するガイドラインを読んだ。

変異株の話はピンと来ないし、とにかく久しぶりに家族に会えて、帰りたくなくて仕方ない気持ちはあるけれど、生きるための仕事は島国にあるので後ろ髪をひかれる思いで帰宅準備を進めます。

入国後の待機施設で食べるお菓子を買い占めたり、(行きに物資を詰め込んだ分、帰りのスーツケースはスカスカだった)もう家族が使わなくなった、隔離で使えそうなガジェットを貰ったりした。

無事にまた近いうちに会おうね、生活を気をつけて、元気でね。またね。


2.帰国開始

12月8日。日本では9日。
米国の家族の住む町[*0]から早朝の便で移動。乗り継ぎの空港は、まだ国際便も国内線のターミナルも閑散としてた。

興味本位でレストランに入ろうとすると、陰性証明書の提示を求められる。区役所で発行されたA4版の紙をみせると中に入れた。
レストランも閑散としていて、広々としたエリアに、窓際でPCを開きながら作業をしている男性と奥の方の家族しか居なかった。

通されたテーブルにはメニューはなく、QRコードの入った小さなメニュースタンドが立っていた。最近よく耳にしているQRオーダーシステムらしい。好奇心の赴くままコードを読み込む。

ブラウザが開き、店で食べられる物の一覧と注文個数を入力する画面がひらいたので、商品をいれて決済。

日本のカードで連携したApple pay(Quic pay)がなぜか通らないのでPaypalでの決済に切り替えて支払おうとしている間に、決済がまだ終わっていない州のクラフトビールが運ばれてきた。その後注文は通ったけれど、この動線がやたらと早くて楽しい。

日本もこういうタイプのレストランだったら、心理的障壁が軽くなりそう。

朝ビールをキめてJALに乗り込むと、アジア系の人が沢山。
ああ、帰るんだなあ。飛行機の中は50%程度は座席が埋まっているけれど、70%はいかない、そんな混み具合。
そして機体がB787。窓の外はずっと見える。よい。
赤ちゃんと小さな子を連れたお母さんもいた。大変そうだ。

コロナ禍が始まっていつの頃からか、日本に入国する人は
・専用サイトに自分の情報の登録
・入国時のPCR検査が必要
・14日間の自宅待機
が、必要です。

この時はオミクロン株が流行り始めたところで、厚生労働省は「14日間の自宅待機」の入国後の最初の数日間を出国地域に応じた日数で各宿泊用の待機施設で待機するのを決めました。「水際対策に係る措置」です

この日数は地域によってまちまちで、基準はよく分かりません。私が出発した米国の州はオミクロン株の感染者が見つかっていたことから宿泊施設での待機が三日間義務付けられましたし、同じ米国でも、この時点では感染者が発見されていなかった州では通常入国で自宅での二週間待機となりました。


機内では
・誓約書
・検疫法12条に基づくアンケート
・右上に小さく健康カードと書かれた紙
これに、いつもの免税に関する書類も配られ、入国に向けての書類作成が始まります。
この「検疫法12条に基づくアンケート」が更新したばかりで、新旧二枚に記載しました。

2時間ほど予定より早く羽田に着陸して、30分くらい待って降機。

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降機後、行ったことは大体下記の通り(うろ覚えかつ順不同)

1.厚生労働省の質問票WebのQRコードを表示させるように求められる。  
  これは忘れてたのでQRコードをその場で作成。
2.次のブースで健康カードとパスポートと航空券を提示する。 
3.ワクチン接種証明書を提示、質問票の表示
4.出発前のPCRの陰性証明書を提示。ここで4桁の番号が付与され、.
  「検疫所宿泊施設」の利用対象者のカードを手首につけられます。
5.PCR検体の採取
6.入国者健康確認センターとのやり取りアプリ(MySOS) と 
  感染者接触情報管理アプリ(COCOA)と
  スマートフォンの位置情報の状態変更作業。
7. 誓約書やここまでの確認項目実施シートの回収
8.検疫所宿泊施設登録票の付与と禁煙・喫煙ルームの選択。

ここまで一時間程度でサクサクと滞りなく進んだり。脱出ゲームのダンジョンのように間仕切りされた空港中をテクテクたくさん歩きます。

途中、なぜこんな事をしなくてはならないのか、と抗議している60代位の方を見受けたりもしました。係の人も仕事ですよ、おじいさん。
でも長旅の後のウォーキングは疲れるよね。


提出したPCRの検体には付与された同じ番号がふられ、待合エリアでその番号が呼ばれるのを待ちます。途中、トイレに席を立ちましたが、手首につけられた緑色のB7版くらいのカードが邪魔でした。待合エリアには、WHSのカバンや、Harrodsの包み紙、COSTA COFFEEのお菓子を持った人がいました。同じ時間にロンドンからの便も入国してたんだ。もちろん、同じ待合エリア(天井は3階分程度の高さ)で一緒に待ちます。
この後入所する検疫所宿泊施設登録票に書き込んだり、Twitterやゲームをしていたら自分の番号が呼ばれました。

待ち始めてから1.5時間程度。結果は陰性。結果値(ー)と書かれたシールを健康カードに貼られて、そのまま待合室を区切った座席に連れて行かれます。ここまでに、待機のための検疫所宿泊施設(という名前の隔離施設)がどこだか一切知らされません。

ですが、このとき係の人が持っていた30行くらいに区切った名簿用の紙の上部に
「両国・横浜・ヴィラ汐留・ヴィラ羽田・税務大学」
と書かれていました。

その日、私よりも前に到着された方が税務大学に移動された話がネットに上がっていて家族が送ってくれていたので、どうやらこの紙の場所がこの日の宿泊施設の場所の名前の一覧のようです。

30人程の一団になって、やっと入国手続きに進みます。
周りを見てみると、米国に住む孫に電話している壮年の女性、疲れ果てた様子のハロッズの袋を持つ青年、コートの下に米国某大学と書かれたパーカーを着た若い女性とまちまちで、一人残らずくたびれた様子です。

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時刻はもう夜。
これからどこに連れて行かれるんだろう、と不安になっていたのも束の間、係の人が
「ヴィラフォンテーヌ羽田空港に向かいます。」
「税関を抜けた後、一列になってバスに向かいます。」
と元気よくおっしゃいます。
行き先がわかるだけで不安が解消され、少し楽。
羽田空港のホテルか。これ以上の余計な移動がないので安心しました。仕事とはいえ、こんな時間に疲れ一つ見せず、こんな状態の帰国者を捌いているスタッフを見ていたらなんとなく元気になってきました。昔イベントで人を捌くバイトやってたなあ。懐かしい。

どれくらい放置されたかわからないスーツケース2つを手荷物引き取り所のピックアップし、「感染防止対策実施車両」と書かれた貸切バスに乗り込みました。
宿泊施設もまだ入所手続きが済んでいない人で込み合っているということで、バスの中で出発を30分ほど待ちました。
ホテルについてからも入室手続きに30分ほどかかりましたが、今日はこれでもう最後かと思うとフルマラソンを走りきったかのような達成感があります。
お疲れさまです、皆さん。
お疲れさまです。私。
あ、これ今日の夕飯ですね。お弁当ありがとうございます!
そのまま部屋に進もうとして、疲れてスーツケースがうまく取り回せなくなって先に進めない私に、スタッフの方が部屋まで運んでくれました。
到着から五時間経過、三日間滞在する自室にたどり着きました。



3. 検疫所宿泊施設での滞在
        ヴィラフォンテーヌ羽田空港編。


隔離のための施設は待機場所と呼ばれます。

放送も「ご待機中の皆様にお知らせします」で始まります。

服役中の皆様、と一瞬聞こえたのは忘れてください。

宿泊施設、ホテルだけあり、かなり行き届いていていました。
タオルは三日分。お茶とコーヒーも三杯分、パジャマも貸与、ちょうどソファーの前に空間があって、その先にテレビがあるのもナイスです。
歯磨きだけはこれも三日分用意がありましたが、自前で持参したものを使いました。ヒゲ剃りや櫛やよく見るアメニティは無いけれど、ここに入るのは帰国者なので当然みんな持っているという想定なのでしょう。いわゆるホテルの洗面台周りのアメニティは歯ブラシくらいでした。
動線もとてもよく、お風呂場と部屋の段差もなく、動きやすいです。

そして空調。
東京はそろそろ寒いはずなのに寒くない!
何回もビジネスホテルに泊まっていますが、こんなに外気の寒さを感じないホテルは初めてでした。
とても心地良い。

東京はそろそろ乾燥しているようなので、備え付けの加湿器に水をいれました。何も出ていないように見えるのに、ちゃんと空気が柔らかくなったような気がします。
コインランドリーもあるみたいでした。

インターネットは速くないながら、音声のやり取りには問題ありません。


検疫所で宿泊する人たちは、誓約書に書いてあるように健康状態をアプリを使って共有しないといけません。

まずは空港で設定をしたMySOS、知らない人に説明すると。
本来は救急関連のアプリのようなのですが、拡張として新型コロナの感染者とやりとりが行えるようになっていて、その機能を利用して帰国者とのコミュニケーションを行えるようになっているようでした。QRコードを読み取り、氏名・パスポート番号等を登録すると、帰国者受け入れモードの画面に変わります。
一日に何度か位置情報登録のための通知がきて、そこから一定時間以内に場所通知のボタンを押します。
他に、一日一回はAIによる通話があり、顔を映しながら画面の枠内に30秒いないといけません。(今は15秒らしいです)
この通話の前が始まる一分前に通知が入り、その間ずっとドキドキしながら開始を始まります。早くつながって。

他に、ホテルが用意した待機者用のWebサイトに毎日体温と健康状態を登録する作業もありました。コロナ禍を受けて急場で拵えたのでしょうが、チャット形式で入力が出来ます。途中、ネットワークの事情が悪いので何度も切断されましたが、中断したところから始められたりと、とても良く出来ていました。


隔離施設での生活は、下記の時間に放送が毎日入ります。

6時50分ごろ 放送がはいって、その日出所予定の人のPCR検査の検体採取容器の配布が知らされます
7時30分ごろ その日出所予定の人のPCR検査の検体採取容器のピックアップがくる連絡が来ます。
8時00分から8時半頃 朝食が配られるのでドアを開けないように指示が入ります。
8時30分から9時頃 朝食が配られたので、引き取るように指示が入ります。
(このお食事放送パターンは12時と18時にもそれぞれあります。)


ベッドもいい寝心地です。最高です。
サイトを確認したら、シモンズのベッドと書かれていました。最高です。


次の日、Amazonライフが宅配範囲内なので、当面の生活に必要な

・保湿乳液
・珈琲のバラエティパック
・水2リットル(一日1.5リットルもらえるけど足りない。)
・カップ麺ミニ(非常食)
・入浴剤
・ヤクルト
・炭酸水

を注文しました。
炭酸水とヤクルトは冷蔵食品という事で没収と伝えられたのですが、数時間後、購入した品々としてスタッフから宅配されました。無事に乳酸菌にありつけました。
係の人の間でも、何がOKで何がNGかがあるみたいで、大変そう。
もう余り注文しないようにしよう。


難を言えば、BBCが時間によっては日本語音声しか聞けないのと、部屋から出られない事と、お弁当。
誤解しないでほしいのは、お弁当、とても美味しかったんです。
冷たいお弁当という不評もネットではあがっていましたが、お米は冷たくても美味しい品種なのか。いつも食べているお米が悪いのか、
とても美味しかったんです。

お惣菜の味は基本的に濃い味のものは一切なく薄味でした。血圧の高い方への配慮を感じました。アレルギー食品についての表示もありました。
一回だけお弁当の中身と書かれている原材料名が違う時があったけれど、きっと気のせいです。各お弁当会社についてはメモして経営されているレストランをチェックしました。
野菜は本来の味が生きる調理法がとられ、中華も和食も洋食も、香りも楽しくて、本当に素晴らしかったです。
もちろん、高価な食材は使われていないのですが、各制限がある中、優秀な管理栄養士の方が隔離中の人が少しでも楽しめるようにと存分の力を発揮して考え抜かれた味がしました。

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ただ、毎食少なくない量の揚物。
毎食揚物。
人類はそんなに揚物がすきなのか。
あるときは、アジフライ、揚げ出し豆腐の茄子の和え物、回鍋肉、と白米以外全て一回揚げたお弁当がやってきました。

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一般家庭では選ばない斬新さ。美味しかったです。

食中毒予防の観点からか、生野菜は一切入りませんでした。全て蒸すか焼くか炒めるか。限りある食材と調理法、毎日楽しめるように献立を考えている人が弁当箱の向こう側にいることが伝わってきて、毎食毎食とても楽しくて美味しかったです。
油分多いし。文句を言うとしたらこの一点のみですが、でもそれもきっとなにか事情があるのでは、と思うようなご飯でした。
ヴィラフォンテーヌ羽田空港でお弁当を作られている皆さん、ありがとうございました。

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一日部屋から一歩も出ないで暇なので、シーツをもう一枚持ってきてもらい床に敷いて、ホテル側が提供しているヨガや体操の動画をやりました。
狭いながらも、大人一人が十分に動けるスペースがあるし、テレビも運動出来る位置に設置されています。
ただ、運動すると軽く汗ばむし、洗濯洗剤もないのです。汗を掻きすぎないよう、ゆるゆると無理のない範囲で動いてました。

後は業務の勉強をしたり、各国のニュースを読んだりとか、
ゆっくりとした時間のなか、たまに窓の外に目を向けると空港から飛び立つ飛行機が見えました。

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こんなにゆったりとした時間が東京でもすごせるなんて。
そして病気を人にうつさなくても済むなんて。

隔離、すごい。めちゃいい。
初日は緊張したし、どんなひどい目に遭うのかしらと戦々恐々として帰国しましたが、
こんなにいい経験なら悪くないです。今まで納税してきてよかった。

滞在3日目の朝にPCRの検体を採取して、防護服を来たスタッフの方に提出。その検査結果が陰性なら帰れます。無事陰性の連絡を受けるとお昼ご飯をいただいて部屋を後にしました。

本当にスタッフの皆様にはお世話になりました。
そしてとてもいいホテルでした。
コロナ禍あけて普通に泊まれるようになったら、五回は訪れたい、そんな体験になりました。

4. 帰宅、そして。

ヴィラフォンテーヌに入った(つまり帰国した)次の日のお昼間、前日の提出書類に連絡先として登録したアドレスにメールが届きました。

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あ、陽性の人居たんだ。
へえ。
ちょっとショック。
…気の毒。
ただ、それ以降メールでの連絡は一切ありませんでした。

三日間の帰宅待機期間を無事終えて羽田空港に一旦戻り、羽田空港からお願いしてあった帰国者用のハイヤーに乗って14000円払って自宅到着。
MySOSに通知が入りました。

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…えっと、家くらい帰らせて。

荷解き。洗濯機を2回回して珈琲を飲みました。

我が家久しぶりだなあ。光の差し込み方が随分変わってきたなあ。
と、のんびりもしてられません。11日間は家から出られないので急いで当面の生野菜や牛乳をネットスーパーで注文。 冷凍食品や日持ちする根菜は準備してたけど、
今は
何よりも
果物と生野菜が食べたい。
ホテルの蒸し野菜生活に飽き飽きしていたので、グレープフルーツやバナナや色々を欲望の赴くまま注文し、しばらく眠って気がつけば夜。

My SOSに連絡が入っていました。

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居住自治体の保健所に帰国者の連絡をする必要があったようです。
えーっと区の保健所。もう営業時間外だ。
明日にやることにしました。
次の日は普通に在宅勤務で仕事に復帰一日目。面倒な案件が次々舞い込み、気がつけば18時でまた保健所につながらない時間でした。しょうがない明日。。明日こそは電話しないと。

夕飯を食べながら、夜ふかし中の米国にいる家族とオンラインで音声通話していると、携帯電話が鳴りました。
区の保健所からでした。
ちゃんと帰国者として把握していて連絡くれたんだ。親切だなあ、と思ったのも束の間。

歯切れが悪いのです。なにやら
同乗のコロナ感染者の検体を解析したところ、オミクロン株に感染してた
と、わかったと。

そのため、同じ機内に居た全員が「オミクロン株の濃厚接触者」という扱いになり、明日からの残りの10日間、自宅待機の期間を、濃厚接触者として宿泊療養所に移動して待機してほしいとのお願いです。

ー ええ、困ったな。
洗濯してスーツケースも片付けたなあ。また開けないと。
生野菜どうする?牛乳は?
久しぶりのビールは明日届くのに!いつ飲むの!
今月結構休んでるのにまた仕事休むの?さすがに迷惑!  ーー

いろんな考えが錯綜する中、気になって聞いてみました。


私「これは、可能性の有無として伺うんですけど、隔離施設へ移動の拒否権というのはあるのですか?いえ、移動するのを断る意図ではないんですけど。」

と、なんだか間の抜けた質問をすると

区役所の人(以下、区)「こちらは強制出来るものではないのですし、お願いをする、という形でお知らせしています。濃厚接触者ということになりますので、今後は管理が都に移ります。今回はオミクロン株ということで、都も更に上から管理について強く言われているので、出来たら移動をお願いしたいとお一人お一人に伺っている最中です」

上。。

都よりも上。。

あ、省庁か。。そのレベルなのかあ。。そうだよねえ。


私「……一人ひとりに電話で連絡って大変ですね。。ちゃんとお休みをとって、区に残業手当を請求してくださいね。お仕事ではあるんでしょうけど、事がことだけに言い辛い内容ですし、本当にご苦労様です。 自宅隔離期間は仕事を家でする予定にしていました、ので、ネットワークがまともにつながらないような施設だと困ります。要望は以上になります。」

区「ありがとうございます。いえ、気持ちは理解できるのですが我々としてもお伝えするのが仕事です。しかし、中には怒られる方もいらっしゃいますので。そう言って頂けると助かります。ありがとうございます。」

怒る人とかいるんだ。。区役所の人に怒っても。。意味がないよね。。
業務時間外に話し始めて10分程度の私に、今日の状況を吐露したくなる彼の気持ちを考えると、それが仕事とはいえ割り切れない気持ちになりました。

区「では明日のお時間で手配しますね、午前中に隔離先をお知らせいたします。」

私「あ。とはいえ。突然のことで、ちょっと頭の中が整頓できていないので、ちゃんとした返答は明日の午前中でもいいですか? 隔離先に行くのはOKですし、そちらの方が状況的にいいことも理解しているんですけれど、気持ちが追いついてなくて。  あと、午前中は会議があるので、◯時から一時間は避けてください。自宅隔離のために色々注文したものも明日の午後に届きますし夜はオンラインで忘年会に参加予定なので、明日は動けません。お酒が飲みたいです。家からは一歩も出ないので、ご了承いただけたら」

区「もちろんです。また明日、ご連絡いただけたらと思います。」

ガチャン(概念の電話切断音)

この間、ずっと別の端末の通話アプリの向こうで会話を静かに聞いてた家族に、というわけらしいです。と報告をしました。
そのまま二人で都の濃厚接触者用の隔離施設の一覧があるサイトに接続し、具体的にどの程度の広さのところになるのかを調べ始めます。

福祉保健局の宿泊施設に関する案内のページや各宿泊所の案内は、既に都が紹介していました。ー>
ここのリンクで各施設で何を貸し出しているのかがわかります。

施設の一部屋の広さを確認してわかったことは、大体13m^2程度であるということと、仕事道具を持っていかないと何もすることがなくて退屈で死にそう、ということでした。
この時点では帰国隔離されている人の情報はたくさんあるけれど、帰国してオミクロン濃厚接触者で隔離されている人のTwitter上での情報は大してなく、参考になりません。

出国・帰国を内々にお知らせしていた数人に状況を伝えました。オミクロン、同じ飛行機にいたんだってさ。
みんな一様に戦陣に送り込む隣組みたいになってた。ありがたい。
(うち、一人は既に厚労省のサイトの報道報告を見て、なんとなく感づいていたそうです。すごい)
マァショウガナイヨネ-、って、片付けたスーツケースを引きずり出して、荷造りを開始しました。

次の日。14日。
午前中に保健所からの電話で、濃厚接触者の宿泊施設への移動を承諾したあと、今度は上司に状況を伝え勤務時間を調整しました。
15時に電話が入り、大体のお迎えの時間を区の保健所の人が調整し、行く先が決まりました。隔離施設がアパホテル。電話が終わった後、膝から崩れ落ちました。。11m^2。。狭いと評判じゃないか。不安。
他にも15m^2のところもあるのに。運命を呪わずには居られないけれど、もし自分がオミクロン感染者だったら管理されていた方が良いという面もあるので、お上には従います。
でも…。
11m^2……。
ありえない。ホテル側もなぜそんな場所を供出したの。。

呪詛を溜め込みながら、西友ネットスーパーで届いた生モノと冷凍食品を受けとり、食べられるものは急いで胃袋にいれました。
トマトとサラダパック、温かいキャベツと鶏肉のスープ。美味しいけれど、気分が晴れないままだったので、久々の上京した友達が集まっている飲み会に参加しました。オンラインでLINEからこんにちわ。LINEのカメラってバーチャル背景使えないんだね。知らなくて我が家の台所がアップされたよ。
電車で10分のところで飲んでるから早く来いよって言われたけど、ここで万が一私がオミクロンに感染していたりして、居酒屋で友人8人に、しれっとウイルスばら撒いてしまったら。だいぶ有事。かなりマスコミ沙汰。間違いなく、「痛いニュース」に取り上げられて、Twitterでもきっと22回くらい同じニュースが回ってくる。下手したら氏名と顔写真がバレ、卒業アルバムが晒され、住んでいる部屋の扉に落書きをされ、駅で電車を待っている時に卵を投げつけられる、そんな未来。ここまで妄想時間0.3秒。
うん、行かないよ。
でも飲まなきゃやってられない。しばらく飲めないし。

俗世のことはすっかり忘れて、実家の寺を継いで久しぶりに上京した友人を囲んで(私だけ)オンライン飲み会。結構いけた。明日から強制隔離されちゃうんだ、なんてことはもちろん言わない。忘年会だし。終わった後、タブレットに入った私とみんなの集合写真送ってくれた。少し故人みたいにも見えたけど嬉しい。次はいつ会えるんだろうかわからないけど、本当に楽しかった。早くリアルで飲める日がくるといいね。

ってそんなこと考えてました。
明日、何が起きるかも知らないで。


5.濃厚接触者は隔離のはじまり、はじまり。

濃厚接触者としての隔離施設の入所は14日間のうちの最後9日間となりました。(3日待機施設+2日自宅)
隔離については帰国してすぐにヴィラフォンテーヌ羽田空港に居たので、何が必要で何が不要か、隔離リテラシーが爆上がっていて、一丁前に一家言持てそうです。


= 持っていったもの =
豆を挽いた少し上等なコーヒー + ペーパーフィルター + ドリッパー
ドリップパック式のコーヒー
小分けにしたお茶各種
コーンスープ粉
樹脂製の耐熱ボウル
樹脂製耐熱マグカップ
ダイエット用のドリンクミールとプロテイン。(食事に変化がほしい時用)
ドリンクミール用シェイカー。
プラスチックのスプーン・フォーク・ナイフ(コンビニで貰ってスーツケースに入れっぱなし)
お盆
ランチョンマット

食器洗い洗剤(ヤシの実洗剤を空いた350mlのペットボトルに入れて・服と兼用)
小さな物干し吊り
入浴剤 (バブ)数個
無印のアロマディフューザー。加湿用
保湿液(羽田隔離中にAmazonのネットスーパーのライフで買ったこれ )
化粧水
爪切り、毛抜

コンベックス(距離計測用メジャー)
Nintendo Switch(ドック付)(結局一回も使わなかった)、
リングフィットのコントローラー(同上)
HDMIケーブル(Switch用、同上)
イヤホンマイク(ジャック付き有線、仕事用)
ノイズキャンセル付きイヤホン(騒音対策)
仕事用PC
自分用PC
仕事用のキーボード(Realforce)
iPad・iPhone 
LANケーブル(結局ホテルにあったので不要だった)
各種充電ケーブル(Apple製品用、Switch、ガラケー、Fitbit、仕事用のマウスのエネループ)

寝具を含む着替え各種 (防寒着含む)

タオルがないとかいうのでタオル(使い捨てのタオルしかなかった。)
体温計をもってこいというので体温計(行ったら体温計配られた)
A4サイズの絵 (他の社長本隠すの最高に役立ちました)
喘息の薬
血糖値測定器 (糖尿病予防のため持っています。)

バナナ (冷蔵庫のキャパはもうゼロよ!)
==/

ざっとこんな感じになりました。
都内に住む二親等から、差し入れが必要なら教えて、というのでアマノフーズの味噌汁を彼女の家に届くように注文して、出来たらヨーグルトと一緒に持ってきてほしい旨を伝えました。
乳酸菌はとても大事
準備は万端。

区役所とやりとりが進んでいる最中、MySOSのビデオ通話が鳴り、灰色の画面に切り替わり、有人オペレーターの会話が始まりました。AIでかかってくるときは画面に自分が表示され、無言です。オペレーターの人はオミクロンだと言いづらそうにして言葉を選んでいるので、もう区役所から連絡来ていて濃厚接触者なのは知っていますよ、と伝えると安堵した様子でした。連携取れていないのかな。区の保健所と連携して移動の支度を進めているのを説明しました。

通話が終わった後、あれだけ言いづらそうなの、きっと他の濃厚接触者の人に散々怒鳴られたり難癖つけられたりしているからなのかと考えて悲しくなったりしました。君に幸あれ。

さて当日。まぎれもない12月15日。
不快さと緊張で2時間くらいしか眠れない。
本当は久しぶりの我が家が愛しくて、行きたくなくてしょうがない。

迎えの1時間前に区の保健所から電話があり、健康かどうかと入所までのプロセスを確認されました。
保健所の担当者に、体温は平熱・SpO2最高潮・そんな健康そのものの私が11m^2に9日間滞在というのは、いくらなんでもおかしくないか、私は元気だ、と訴えます。どうにもなりませんけど、本当にお元気そうですよね、ご協力ありがとうございます。との返事に我に返り、生活に関する注意事項を受けました。滞在中はアルコール禁止とかそういう話です。
この後、迎車のドライバーからも電話があり、最寄りのどこに車を止めてもらうか、などを相談しました。両方とも、輸送時にトイレに行けないから必ず先に行っておくようにと注意を受けます。小さな子になった気分です。

時間になったので迎えの場所へと向かいます。わナンバーの日産車。
運転手さんは車にナビがあるのに道を聞いてきてきました。近くの国道に出たいみたいです。出発前に一番走りやすくて近い抜け道を教えていると、MySOSからAIではなく有人のオペレータで電話がかかってきました。昨日に続けて通算2回目。
この時間に出発するって前日も伝えたし、保健所からも伝えているだろうに。なぜこのタイミングなのかなあ。
車乗って移動しているんですかじゃないですよ、濃厚接触者の宿泊施設に行くんですよ、入所後の手続きの一連についてはさっき保健所の人からもう説明受けているんですよ、もし私が感染者で車の中で通話が続いたら、いくら防護用のラッピングで運転席と隔離しているとはいえ、そこに隙間があれば運転者の感染リスクになりうるし、そんな私に会話させるのは全く正しくないと思うんだけど。

MySOSで架電してくるオペレーターの人は、もしかしたらコロナについて良くご存知でいらっしゃらないのか、全然電話を切り上げません。
焦る気持ちを抑えて状況を説明していると、今度はドライバーが道を教えていないのに予告なく発進し始めました。
ちょっと待って。まだあなたに抜け道の説明し終わってないよね。

急いでMySOSのオペレータとの通話を切って、ドライバーに一番早く国道に出られる道を説明しているのに、後もう一歩のところで曲がる場所を逆方向に曲がり、しばらく路上の真ん中に停車しました。
リカバリー出来る地点まで戻る方法を説明し始めたのですが、全く返事がなく、結局我が家の細路地を危なっかしい運転で戻ってきました。
そしてナビが最初から示していた、混んでいる都道に遠回りして入り込んで渋滞の中をのろのろと進みました。
結局、抜け道と都道の合流地点に到着するまでに20分。あのまま真っ直ぐ行っていれば2分以下。でも、運転手の彼の心の平安が、それで取り戻せたのなら。よしとします。私は無事に隔離施設まで運ばれたい。
その後も急発進急停車、首都高でウインカーを移動と共に出したりとスリル満載な運転でした。賃走ではないので二種免許がない方をドライバーとして雇っている? 当たり前とは言え、荷物をトランクに入れるとか、そういったことは当然してくれなくてはいいんです。でも。
せめてナビの話を最初から信じて進むか、人の話をちゃんと聞くか、そしてウインカーは方向変える3秒前には出せる方に運転してほしい。

そんな状態でしたが、目隠しをされた車窓の隙間から見える銀杏の並木道が綺麗でした。

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年末の混み合う道を抜け、予定より15分ほど遅れてホテルに到着です。

車を降り荷物を持つと、入り口に立たされて、名前と乗機していた便名と日付の確認があります。
エントランスを抜けるとホールに自分の名前が書かれたものを含めたA4版の東京都の封筒がならべられています。
表面に宿泊施設からの挨拶と同封物の一覧、Webでの健康状態管理システム(BONITA(仮)という名前)の登録のお願い、カードキーが貼られ、裏面にカードキーの使い方が書かれていました。
同封物は、滞在のしおり、BONITA(仮)の利用方法、パルスオキシメーター、パルスオキシメーターの使い方、火災発生防止の協力のしおり、ボールペン、体温計です。
部屋に行くまでの動線で他の入所者と鉢合わせることが起きないようにシステム化されていました。素晴らしい。


与えられたのは17階建の4階の部屋でエレベータに乗り込みます。

まあ狭いけど頑張ろう、
ここまで来たらしょうがない。
と、充てがわれた部屋の扉を開きました。

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思ってた以上に狭いです。
広角で撮るとほら!こんなに広く見える。
実際は、むしろこの狭さをよく作った感じです。

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噂の社長の本。PCの高さを調整するのに使えたのでとても良かったです。

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火災時の避難はこちらを使ってほしい。テレビのWelcomeページでも装着方法の動画が流れてました。
個人が準備するならともかく、これを設備側が出すの。
本当に火災時にこれで無事に退避できるの。プロが言うから信じるけど。
窓は少し開きますが、でも火災が起きない事を祈らずにはいられません。


なぜかベッドエリアの真ん中に安い感じのシャンデリアがついています。
内装が私のセンスじゃないですが、部屋の狭さが絶望的で、それと比べたら、まあ気になりません。
ベッドと床が30センチ?ほどの高さがあり、スーツケースが入れられるようになっています。これはナイスです。

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バスルームの床は部屋の床と比べて20センチ程度の段差もありました。
なぜか髭剃りや髪留めなどのアメニティも準備されていましたけど、宿泊客じゃないので全部持参済みです。もらう気にもなれず、そのままおいてきました。スリッパはふかふかなものが二つありましたが、室内履きを用意してたのでこれも不要です。
テレビはベッドに乗っからないと見られません。HDMIケーブルでつないでディスプレイ代わりにするのは無理そうです。
床で動ける範囲を簡単に計測したら4m^2でした。その後詳細に計測した結果はこんな感じです。

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3.44m^2が動けるエリアです。
(Bのエリアの小さな四角は加湿器で動かせます)
測量については正しく勉強したことがないので、素人が一人で行ったものですがおおよその感じが掴めるかと思います。

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そして窓の外は

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え、 
え、
壁?
どっち側の端っこに立っても壁しか見えないよ。
マジで?

他は一切見えず、一面の壁。
明るくはなっているものの日差しも入りません。

ここに9日間。。

…え、



冗談でしょ。


肝心の部屋の空調は、すごく寒かったです。丸一日暖房を動かして、次の日の夜にやっと気にならないくらい。乾燥も酷かった。備え付けの加湿器はパナソニック製のヴィラフォンテーヌと同じもので、持ってきた加湿器と2台でフルで動かしてました。狭いのに。

とはいえ、1時間後には仕事場にログインしないといけないので急いで仕事用の機器の設定をとデスクに腰掛けると。ネットワークの状態は申し分無いけれど、右手の外側と、右腕、右足が。寒い。
手の半分だけが冷えてきて、アンバランス。風が吹き込んできています。風の出どころを追いかけると、デスクの横のシェルフの下に埋め込まれた冷蔵庫の裏側から冷房のような風が吹き込んでいます。

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どうやら通気孔があるみたいです。冷たい風が足に吹き付けて、このあと4時間くらいしてから昔怪我して数年掛けて完治していた足が痺れ始めました。神経痛の再来。経験のある方はご理解いただけるか、悔しくてしょうがない。
通気孔がデスク横にない部屋がいい、とは要望を出していませんでしたね。だって想定していないもの。

両隣は後からわかるのですが、強制的に空けてあるようです。
ビルの空調から感染する、なんて話も新型コロナの最初の頃はあったなあ。
騒音対策も含めて考えたら当然のことかもしれません。

不安は更に濃さを増しながら、宿泊施設で使うシステムに登録を行っていると、濃厚接触者の事務局スタッフから電話が入り、入所後の館内の利用案内(室内)を受けました。
瓶缶の持ち込みは出来ないとか、ゴミ捨てのルールとか、差し入れ時間についてや、入所用のしおりに書かれている内容と困った時の連絡先などでした。一人ひとりにこんなことをやっているのは、とても親切。


この後、部屋の担当看護師から電話がかかってきて、問診があり、全く体調に不穏なことはなく、ものすごく元気である。全く問題がないが、乾燥が酷くて少し喉が痛く、窓の外の景色がないため圧迫感が酷い事を伝えました。
他には基礎疾患で気管支喘息を去年発症している事、過去に低血糖で倒れているから、少し調子がおかしい為血糖値を計測することにしているが今のところ至適であること等を話しました。


宿泊療養所での生活は、検温と健康状態のWeb登録、3食(8時ごろ、12時ごろ、18時ごろ)提供なのはアパホテル(宿泊療養所)もヴィラフォンテーヌ(検疫所宿泊施設)も変わりません。
違うところは、2日に1回PCR検査が実施されているのと、1日に2回検温とパルスオキシメーターの値で健康状態をチェックとWebシステムへの登録(検疫所宿泊施設では1回)登録が10分遅れると部屋に事務局から督促の電話が来ます。毎日看護師の方の問診が2回入ります。
他にMySOSとのやりとりが位置登録1日2回、AI通話が1日2回に増えました。
あとはランダムで人との通話が入ります。MySOSのアプリは、今回のように何かあった時に管理側からの通話コミュニケーションツールになっているのは面白いなと思いました。が。

乗り物では必ず窓際に座るのに、窓から何も見えない。
そんな所に9日間。
暗澹たる思いで胸が詰まります。

健康状態のチェックですが、下記の項目になります。

- 唇が紫色になっている。
- 咳やたんがひどくなっている。
- 起きているのが辛い。
- 嘔吐や吐き気が続いている、
-下痢が続いている、
- 脈が飛ぶ、脈のリズムが乱れる感じがする。
- 息が荒くなった。(呼吸数が多くなった)
- 息苦しくなった。
- 日常生活の中で少し動くと息があがる
- 胸の痛みがある。
- 横になれない、座らないと息ができない。
- 肩で息をしている・ゼーゼーしている。
- 意識が朦朧とする。
- 喉の痛み
- 鼻水・鼻詰まり
- 便秘
- 関節や筋肉の痛み
- 食事食べられない
- 半日で一度も便が出ていない。
- 自由入力欄(100文字)

これは厚生労働省からこの項目の指針がでているようで、待機所でも宿泊所でも全く同じ内容でした。こころなしか脈が早まっていて胸に気持ち悪さを感じたけど、脈が飛ぶ、というのを経験したことがありません。看護師の問診でも答えた内容と同じものを入力しました。
自由入力欄には「空調も悪く9日間行動ができず、滞在を主目的としない部屋で日当たりが無いのは想定外で病気になりそうだ。日当たりや景観がまともな部屋に変えてほしい。」と要望を書きました。

すると1時間後、事務局スタッフから電話がかかってきました。
が、内容が。要約すると

「同情いたしますが、あなたがいる部屋が一番日当たりのいいお部屋です」

と言うことでした。

建物は通りにも面していて、居室は16階まであるのに
私の部屋は壁に面していて、居室は4階で。

一番日当たりの良いお部屋

と言われました。

……。 
…………    あっ  そう?
小学校で日時計勉強している程度の知識しか無いけれど。
その説明。
微塵にも納得できねえな。

流石に「要望の多い入所者」を黙らせる話法にも思えたので、それならば。
以下の質問を手短に述べました。

・この建物の階と位置から鑑みて、その話はとても信じられず構造的にも有り得ない
・日当たりがいい事をこのように伝えられるからには、それを何かしら信用のおける方法で確認した証拠と見取り図、数値があるはず。開示出来る範囲で共有しないと納得しない。
・また、それらの確認の行う際に観測をした日付も明らかにしてほしい。12月に即した内容か、異なるのか、明らかにする必要がある。
・他、科学的に納得するに適う文書を共有してほしい。

事務局の係の人はおそらくマニュアル通り伝えるようにいわれているんでしょうが、この返答はマニュアルになかったのか途中から「…はい…はい」と相づちしか打たなくなりました。これは駄目なパターンでは。
彼にはきっと責任は持たされていないのに、ちょっと強く言い過ぎたかなと反省していると、一回確認して折り返すと残して電話が切れました。残ったのは憤慨する私。
目の前壁なのに日当たりがいいってなんだよ。どこの洞窟の住人だよ。
ダメならダメでそう言ってくれれば未だいいんです。どういう社会にいたら、こんなに人を馬鹿にした嘘を吐いて黙ると思っているのか。

再度電話がかかってきて、ここから五つ隣のお部屋なら少しはマシ、一度変えたらもう変更の要望は受け付けられない。との提案がありました。これを受け入れたらもう変更の要望を受け入れられない、という強制的な物言いに不穏なものを感じました。
そのため、要約すると以下の質問を行いました。

今受けた説明と部屋にある避難経路の地図を鑑みると、私の予想では窓の外がここと同様に隣のビルの壁面となり、同じ階となる。
正確な方角がよくわかっていないが窓からの照光の状況についてなんの大差がない。一体景色はどうなんだ、窓の機能として、外界と精神的なつながりが保つという項目があるけれど、それが満たされる程度の変化はあるのか、
と問い詰めた所、事務局からアパホテル側で確認しているが、他の居室は提供できない事を伝えられたと苦しそうに言われ、口籠って話にならなくなりました。
少なくとも、通りに面した部屋は避難経路図ではもう少し広く、おそらく通りの景色が見えるはずなのに。
この状況で帰国してきた濃厚接触者には、運動が出来る広さや、窓が窓として機能しているような心理的安全度が高い部屋を与える筋合いは、アパホテル側には一切ない。部屋から一歩も出られなかったとしても。

帰国した濃厚接触者は、風景のない、まともに動けもしない部屋でただただ黙って入っていろ。

そうおっしゃいますか。
少なくともここまでのやりとりで、そういうメッセージを受け取りました。
怒りが心に渦巻いていましたが、この後は仕事もあります。
事務局の人も、もっと上からそう言わされているだけでしょう。彼に怒っても仕方ないです。その部屋への変更の提案は受け入れない旨と、ここまでのやり取りは不誠実でおかしくなりそうなので、別のホテルへの移送を検討できないかお願いしました。

仕事なんか手につきやしません。
リフレッシュしたくて外を見てもそこにあるのはただの壁
もちろん部屋から出られない。
運動をするために動きたくても何かがぶつかりそう。運動すら躊躇されて更にストレスが溜まりそう。

それでも仕事をやらなきゃと手をつけ始めてたのですが、まず、英語のドキュメントが全く読めなくなり、その次に日本語で書いてあることが分からなくなりました。随分前に、ご家族をなくされた方が、平気だと思っていたけど文章の書いてある意味がわからなくなった、という話を思い出しました。これは同じ現象では。
ストレス。
え、窓の外が見えないだけで? 
部屋が狭いだけで? 
Twitterは、かろうじて読めましたが、文字を見ているだけで普段は感じない非常な疲労感。これは普通じゃないことが起きている


事務局の別の方が、状況について同情し、何か別の方法がないか検討していることを伝えに電話をかけてきてくれました。
また、看護師の方も、何かサポートが出来る事があればいつでも言ってほしい、と励ますメッセージを問診の際に伝えてくれました。
翌日来訪予定になってた二親等には、ヨーグルトのと味噌汁の差し入れはペンディングでお願いしたいとLINEで伝えます。

米国にいる家族に、移った隔離施設(宿泊所)の状況を共有しました。
滞在中の二週間濃厚接触者になるのは君だけになるよう行動に細心の注意を払い、ほとんどを家で過ごしていたのにも関わらず。
経由地で一緒になった同乗者が感染していたせいで、なぜこんな目に遭っているんだ。
と一通り家族に悪態をついていました。
家族の気持ちを考えたら、とても良くなかったと思いました。
聞くしかできないけど、全力で受け止めるつもりでいるから、と静かに聞いてくれました。
反省しています。
(アパホテルに入るまでは、同乗していたオミクロン株に感染された20代男性東京在住の方について、本当に気の毒だなあと思っていました。今は快癒されていることを願います)


家族は東京都の宿泊療養施設の対象者のページを確認するとこんな箇所を見つけてくれました。
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/shien/syukuhaku.html
の4にこう書かれていました。
○(宿泊療法の対象者は、)以下のいずれにも該当しない方
(2) 基礎疾患がある方(糖尿病、心疾患又は呼吸器疾患を有する方、透析加療中の方等)
※定期的に処方される薬剤の内服により症状が安定している場合を除く(内服薬は、あらかじめ一定期間分を処方されていること)。

この場合、私は基礎疾患があるのですが症状はあるのか分からないくらい安定しています。
オミクロンに感染していたら、何かの拍子にスプレッダー側に回る可能性はあり得ます。
だからでこそ、宿泊療養を行うことについては受け入れていたのです。
でも、こんなひどい環境に移るとは思わなかった。


現状を打破する為に以下の三つを考えました。
①主治医に現状を話して病状が悪化しそうだから、区の保健所に掛け合ってくれるよう頼むか、
②事務局が代わりのホテルに移送してくれるのを待つか、
③区の保健所に直接助けを求めるか。

①は流石に申し訳がなく、今までのやり取りでは全く②に期待ができなかったものの、③はやってみる価値がありそうです。
ですがもう営業時間外だし。また明日掛けてみよう。


アパホテルで配られたお弁当は外から廊下が面する吹き抜けの風に晒されて、更に冷たいものでした。
でも米はよく噛むと冷えててもちゃんと甘くて美味しいものが選ばれているし、主食の他に副菜が6種類ほどついており、タンパク質・食物繊維もしっかり摂れました。生野菜や果物も供されて、一度はライチが出てきたのでそれは嬉しかったです。もちろん、塩分も控えめです。ちゃんと味が控えめでも冷めても美味しくなるように作られていました。そして揚げ物は二食に一回程度でした。冷えちゃうのがもったいない。

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ヴィラフォンテーヌでは出なかった食パンがあり、ハムの種類もその度変わっていました。
これらをうまく組み合わせてバラエティに富んだ献立を考えたアパホテルの管理栄養士さん、食品会社のみなさん、正直ストレスであまり食べられなかったけど、美味しかったです。ありがとうございました。


6.そして退出へ。

16日午前:
前日に朝食を食べた後測った血糖値は112(高い)
いつもの朝起きた後の血糖値は85〜95(至適)です。
そして前日にろくに食事が喉を通らなかったこの日の私の起床後の血糖値は132でした。

え、
ええ、
何も夜食食べてないのに。132。糖尿病の値出ました。
1日で普段より40高い数値でたよ。この伸び方だと退出の8日後には400超えちゃうね!アハハ! 死 ぬ わ !

健康診断の登録サイトに喉が痛い・食欲がない・吐き気がする・などにチェックをつけました。
喉が乾燥で痛いが、SpO2も体温も全然問題ないが血糖値が130超えて並外れた伸び方をしており、このまま糖尿病になることがあったら誰が何の責任をとってくれるのか。
そんな事を100文字で書き記しました。

配られた朝食には、前日私の対応をしてくれた看護師さんからでしょう。こんなメッセージが入っていました。

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すごく嬉しいです。
こういうのメッセージを書くのは本当に苦手なので、じん、ときました。
でも、頑張ってどうにかなる事なのかな。十分に動けないのって。
私の為にカードを作らせる手間を作ってしまって、本当に申し訳なくなりました。
住環境が悪いのは別問題です。入居者へのサポート環境は最高ですけれど、でも運用でカバーしきれる範囲にも限界はあります

看護師から電話がかかってきたので、健康状態については、足に風が吹き付けて痺れていること、文字が一時的に認識できなくなったこと、血糖値が見たことのない数値にあがり、とても不安に思っていることを話しました。
かなり面倒な入所者にも関わらず、何かできることを考えると言ってくれるだけで随分と楽になったのを覚えています。


仕事をしていると、区の保健所からも電話がかかってきました。何か困っていることがないか?というので、部屋の状況と、窓の風景、今まで起きたことを端的に伝え、こうつづけました。ここで働く人は、この状況に親身になって寄り添って、明るく対応してくれて、いい人ばかりで感謝しています。
でもね、箱がよくない。構造自体が生活する水準に出来ていない。
この部屋は本来、日中は外出して仕事をしていて、食事も別の場所で行うのが目的。運動を部屋の中でする必要のない人が入るところ。だから、狭くても需要があるし、長期で部屋から一歩も出ない滞在は目的になっていない。もちろん昨今の社会状態を鑑みて、ベストな状態の部屋に入りたいと主張するのは憚られるし、希望はしない。しないけど、何も窓の外の景色もない、ここまで罰ゲームのような部屋を出してくる事ないじゃないか。あと8日間もいるとか気が滅入りすぎて耐えきれない。実際病気になりそうだ。と訴えました。
その間、区の職員の方は、時に同情を表しながら聞いてくださいました。
入所者がこういった状況に置かれることはご存じなかった様です。

この時、前日に事務局とあった「日当たりが一番いい部屋」と言われた話については、一晩経ってみると面白すぎたんで、あえてお話しませんでした。あの時話していた事務局の人も、それぞれの立場で話さなきゃいけないことがあって話していたと思うので。

16日午後:
区の保健所から、再度連絡がありました。
担当看護師とも話した結果、ある条件を満たせるなら帰宅してもよいと言われました。

条件は下記。

 ・帰宅までの移動手段を自分で確保すること
 ・厚生労働省の健康管理システム(HER-SYS)への登録と入力の徹底
 ・MySOSにちゃんと答えること
 ・二日に一度、区が指定した医療機関に行き、PCR検査を隔離期間終了まで行うこと。
 ・隔離終了まで自己隔離を徹底する事

これらの事が実施いただけるならと聞かれたので二つ返事でお受け致しました。 家に帰れる。

本当は窓からの景観が壁よりはいいホテルを探して頂いたそうです。が、既に満室であった事と、
私自身が独居生活なので隔離が容易な事から、自宅に決まったそうです。ありがとうございます。

「で、自宅で退避される濃厚接触者や感染者の方には食事の補助として二週間分のレトルトの食糧をお送りしているのですが、ご自宅にお送りしてもいいですか?」

ありがたい!でも、ここの時点で入国して七日目で、残りの期間は一週間。
家では、14日にスーパーから我が家にやってきて、私の帰りを待っているキャベツや胡瓜やミニトマトや野菜たち、ベーコン、卵、各肉、干物がいます。
念の為、食料補助は三日分とかで受け取れるか確認したところ、二週間分が一個セットになっているの難しい。
食糧、いらないんじゃないかな。
税金の用途に更なるご迷惑をかけるのも忍びなかったので、次の方に回していただくようにお願いしました。
でも、帰国して調理環境もご飯もなくて不安になっている人もいるでしょうに、そこに寄り添うプランがあるのは素敵です。


区の保健所の方には、これから移動手段を探さないといけない事、自宅に戻った後のPCRの検査場への移動リスクを減らす為、次のPCR検査まではホテル内で実施した後に移動したいのと、仕事の関係上、直ぐに移動の準備をするのは難しい為、18日の移動を考えている事をお伝えしました。
帰れると決まった途端、変な緊張が解けてすごい楽になりました。とは言え胃があまり受け付けず、この日もご飯は半分以上残し、持ってきた粉末スープで暖をとりました。

17日
 この日は居室で仕事をしました。やっと文字が普通に読め、メールも普段と同じような調子で書けるるようになりました。
 前日、靴下を二重にしてレッグウォーマーで包んでも通気孔の風が当たる側の足が冷えてしまい、神経痛が出ていることを看護師に伝えてあったのですが、朝早くに電話がかかってきて、朝食の袋にカイロを幾つか入れたので使ってほしい、足りなくなったら持っていくので、遠慮なく教えてほしい、と言われました。
ー看護師さんたち、なんでこんなに優しいの。
 前世は天使かなんかだったの?
わがままボディで申し訳ないです。患部につながる関節をいただいたカイロで温めて、痛みが緩和されてきました。よかった。
仕事が終わると、全ての場所に広げていた荷物を片付け、帰宅の支度を整えました。
前日のPCRの結果は陰性です。
ネットで見つけた帰りのハイヤーも確保しました。
湯船にお湯を張り、持ってきた入浴剤を投入しました。やっとお風呂に入る余裕が出てきました。

18日の朝、
 アパホテル最後の朝です。
 初めてご飯を完食できました。起床後の血糖値も、正常な値に戻っていました。
 ただ、なぜか手のひらが痺れています。やだなあ、もう。
 看護師さんとの問診で手のひらが痺れていると話をすると、ゆっくり手を温めて、血行を促進する方法を教えてもらいました。終わる頃にはチリチリした感覚がほぼ収まりました。気温の低い寒冷地で起きる人もいるそうです。YouTubeでも幾つか似たようなマッサージはあるので参考にされてくださいね、と穏やかな声で言われました。

2回目のPCR検体を提出して(帰国後4回目)新型コロナウイルス感染症対応のしたハイヤーに移動。(べらぼうに高かった)ハイヤーの運転手さんがいうには、アパホテルから出てくるお客さんはみんなノイローゼみたいになっているそうです。

ソリャ、ソウヨネ。

首都高を使って我が家に帰着。帰宅がこんなに嬉しいなんてあまりないんじゃないかな。運転手さんにお礼を言って名刺をいただきました。  

 家の玄関に荷物を置いて、窓のカーテンをあけたら、見慣れた景色と窓から差し込む日射しが眩しかったです。
 必要なものをスーツケースから取り出して、シャワーを浴び、死んだように眠りました。


アパホテルの感想ですか。
どんないい部屋があるとしても、自由に動ける面積が、普通に運動出来る面積以下の部屋を10日前後の隔離用に供出する企業、なのかなって。
外に出て食事をして、外で一日の大半をすごすなら、まぁまぁいい部屋でしょう。
ダブルベッドだし、旅行に来て一日誰かと遊んで部屋に戻ってくるのなら、立地もいいし素敵でしょう。
でもね。今回の宿泊者、一歩もでられないの。部屋から。忘れちゃった?
今回、都に建物を供出することを決定した内部の方は、ご自身で14日間窓の外が壁の部屋から出ない生活とかやってみて、正しい選択だとおもったのでしょうか。思われているんですよね、きっと。
その内部の方は、雑誌やメディアやあれこれで、隔離されて滞在するにあたり、自分のところの商品がどれだけ良いか、を語ってほしい。なにか私が見落としていた、参考になることや納得できることももあるかもしれない。しれないけれど、
今後、あらゆる面でアパホテルはもういいかな。

床の絨毯や壁紙の柄がおかしくて、安定性が欠けるものであったりとか、そんなのどうでもいいんです。ニュースではコロナ感染者のために幾つかの棟を貸し出した、と聞いて素晴らしいとすら思っていました。
でもね、今回のような経験をしてしまうと、生命を維持する為の運動すら難しく、窓の外に景色すらない部屋に9日間とか14日間とか人を閉じ込めるような残忍な行為を躊躇いもなくできる人がいる事が信じられない。

こんなところに泊まるくらいならどこかで装備を自前で盤石にして野宿したほうがマシなんじゃないか。


7.施設を後にして。

19日 
  無事に自宅の生活です。仕事をしていました。前日のPCRの検査結果は陰性なら知らせなくてもいい、とお伝えしておきましたが、ちゃんと看護師さんから19時頃に連絡が入り陰性だと知らされました。本当に至れり尽くせりです。

20日
  約束していた外部でのPCR検査の受検日です。区内の保健センターへ行って、PCRのための検体が取られます。
いくら平熱高酸素濃度の健常体であっても、まだ濃厚接触者。マスクを二重にして、手袋をして、歩いて10分程度の場所を自転車で行きました。
この日初めて帰国後の娑婆に出ました。直行直帰とはいえ外の景色が堪能できました。翌日には結果出て陰性でした。
毎回毎回、陰性なのはわかっているし信じているけれど、それでも陽性になったら、と思うのはしんどいです。

本来なら22日も検査を受ける予定が、入国からして十二日が経過し、その間は物理的には誰にも会っておらず濃厚接触者がいないこと、ずっと陰性と健康的な体温と酸素濃度を保っていること、そして入国者が激増してPCR検査の予約が取りづらくなっていることから、スキップ対象と判断されたと伺いました。新型コロナの発症は接触から五〜七日目が一番多く、十一日目以降は極めて少ないというのは聞いた事があったので、医学的に見て安全と判断されたのだと思います。

23日に隔離期間がおわりました。
期間が終わると、MySOSにメッセージが届きました。

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こちらこそ、どうも。

それでも24日にダメ推しで自前でPCR検査を郵送で受け、26日に結果を受け取りました。こちらも陰性でした。
短いはずなのにとても長かった私の隔離生活は、これで終わりました。

感染してなくて、よかった。

”ー”ー”

今回の入国から、隔離終了までを振り返ってみました。

羽田の入国の際のこと。
イギリスからの帰国者との時間が重なり、同じ待合室で数機の乗客が1時間以上、同じ空間で一緒に待つことが発生していました。
新型コロナウイルスはマスクをしていれば防げるそうですが、マスクを外して飲み物を飲む方はたくさん居ます。私も飲みました。
でも、米国から来た人も、英国から来た人も、どこか別の国から来た人も同じ場所で1時間も待っていたら、そこで別の国の新型コロナウイルスに感染する可能性はないのか心配になりました。
あれ、大丈夫なんでしょうか。

あと、アパホテルの居室についてです。

私がアパホテルで入室した部屋は、浴室とベッドや机を抜いて動ける面積は3.4m^2と上記 で記載しました。ですが、少し違和感があります。体感ではその面積ならもう少し体が動かせます。
扉から机の横までは廊下で、活動の際に余り使わないエリアというも含まれている事に気が付きました。
なので実際に活動で使えるエリアについて算出しました。以下になりました。

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体が動かせるその範囲、おおよそ 1.9m^2
日本人の小さい人なら大丈夫。でもこれ、欧州人の190センチの方もこちらで滞在することがあるのでしょうか?国際問題になりませんか?

また、部屋の広さについても疑問がありました。
11m^2にしては圧迫を感じるのです。部屋の中を計測した時の数字を集め、もう一度計算し直しました。そうすると、
 430 * 215 = 92450 cm^2 ≒ 9.25 m^2
となりました。

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友人いわく、11m^2は壁芯からの面積ではないか、と。なるほど。
で、気になるのはこの広さは果たしてホテルの部屋として成り立つのか、という点についてです。
ここで厚生労働省から出ている旅館業の関する規制の資料を確認しました。

ここによると、
「ホテルの9㎡は、旅館の7㎡に寝台を置くスペースを加味し た床面積、簡易宿所の延床33㎡(10人未満の場合は一人あた り3.3㎡)の床面積を定めている。 」
と書かれています。

つまり9m^2という面積はこの規制を上回るものなので問題はありません。
旅館の和室より2m^2 ほど広いのは、ベッドを置くスペースを含んでいる為と考えられます。

最低限の個室のベッドの面積は2m^2という前提のようですが、ここでアパホテルで使っていたクイーンサイズベッドの面積について計算します。
142 * 195 = 27690cm^2 ≒ 2.77m^2

部屋の広さからベッドの面積を惹くと
9.25 - 2.77 = 6.48 (m^2)
旅館の最低面積を下回る広さになりました。
それだけの話なのですが、この規制というのは、何の目的で定められたものなのか。同資料にはこう書かれています。「滞在スペースを確保することで、宿泊者の衛生確保や快適な 滞在に資する。」目的のため、この面積が定められている。これが利用中の宿泊設備で健康を損なわない面積として定められているとするのなら、その目的とする最低限の面積から下回っているのかどうかのチェックはされるべきなのではないでしょうか。


この規制の目的については、経緯までが調べられていないので憶測を交えたものです。が、このような部屋がこう言った場面で利用されることを考えると、この旅館規制が目的として守りたかったものは一体何なんだろう、と考えました。


友人が部屋の様子の写真を見て「まるで牢獄」と言いました。
では本物の牢獄はどうなっているのだろう。
簡単にネットの海に聞いてみました。

ネットで他国の監獄の様子について調べようとした所、
Wikipediaの牢獄の項目によると面積的にはノルウェーやスイスが定める10m^2と同じようなことがわかりました。

ただし、同室内にこれはシャワールームなどを含むかどうかはわかりません。トイレはともかく、シャワールームなどの設備を伴わないとしたら、アパホテルよりも広いのではないかと思います。
なお日本では旭川刑務所の独居( 7m^2 トイレ浴室なし) 、一般的に独居で畳3畳( 5.47m^2 トイレあり浴室なし)(すべてネット調べ)と出てきました。もしこの値が正しくて雑に判断するのなら、この宿泊療養施設と刑務所の独居室はあまり変わらない規模の広さとは考えられます(もちろんベッドの質は遥かにアパホテルのほうがいいでしょうけど)

部屋から出て運動ができるかどうかの観点も、牢獄と比べる場合必要な要素です。

国連被拘禁者処遇最低基準規則(マンデラ・ルール)によると、こう書かれています。

「規則 23
  1.屋外作業に従事しない被拘禁者は、天候が許す限り、毎日少なくとも一時間、適当な屋 外運動を行うものとする。
  2.若年被拘禁者およびその他の被拘禁者で、年齢・体格が適当な者は、運動時間中に、体 育的及びレクリエーション的な訓練を行うものとする。この目的のために、必要な場所、 設備、用具が備えられなければならない。」

つまり拘束されている人は一日にある程度の運動が必要であることが国際的にも認められています。

また、日本でも各刑務所で行われている体操や昼食後の運動は毎日行われているということでした。
参考:
http://prisonfile.info/itiniti.html
https://motherhouse-jp.org/wp-content/uploads/2020/05/life_inside_prison.pdf
他。


牢獄、と言われて刑務所に収容されている受刑者の話で調べてしまいましたが、私は未だ受刑するための判決が下されていなかったはずです。
なので、他の国の隔離施設の話と比較したいと思います。

各国では入国後の隔離としてのどのように運動を担保しているのだろうと調べてみたら、
英國やアイルランドでは退避期間中に15分から20分程度、自室を出て歩く程度の運動を認める例もあることが有ることがわかります。
英国 →
アイルランド →

中国やタイなどの隔離施設がSNSに上がっていますが、これらを確認すると室内での運動が行える程度の広さが確保されているようでした。


窓の外から見える景色がもう少し動きのあるものであったら、私も我慢できたかもしれません。窓の外の景色が心理的に与える影響というのは現在は多大にあることが専門領域でも指摘されています。
参考:
http://news-sv.aij.or.jp/jyoho/s1/proceedings/2012/pdf/H34.pdf
http://www.itakyo.or.jp/upload/kouka_miryoku.pdf
https://dspace.jaist.ac.jp/dspace/bitstream/10119/14109/6/paper.pdf

専門外なので詳細についてはどなたかに話を聞きたいと思いますが、「窓には、採光や通風換気などの基本機能以外に、 天気や時間などの外界の情報を取得するインタフェースの役割を持」っており、窓が機能していない場合「心理的不快感・閉塞感」などが起きることはどうやら共通認識として扱われています。

可動面積が2m^2以下で、窓の外に景色がないようなところに、9日間も人をいれるという状態を、この国の保健を担う機関や、そこに意見を出せる専門家が知っていたかどうか、という点が非常に気になります。
この状態は、簡単に述べると人が健康的に生きて毎日を過ごすという権利を侵害するものに当たらないか、という点です。

今回濃厚接触者の宿泊施設は、元々は新型コロナウイルスの患者が隔離する為に用意された部屋になります。都の職員の方々は、どんな設備の場所に都民が14日間動けずに滞在する事になっているのか確認しているのか?
なにかその基準があるのか、ちゃんと議論された上でのこの設備での運用であるのか。ちょっと資料が探せませんでした。

ただ、今日本の社会は突然現れた脅威に晒されている、という点は否めないと思います。もうそろそろ二年が経過しますが、きっとまだまだ対応出来ないこともあるのでしょう。国民一人ひとりが我慢をし協力することも必要になる場合もあります。それでも、運動もできず部屋から一歩も出ず、窓の外も景色のない部屋が本当に耐えうるものでしょうか?もし想像してもわからないのなら、一度アパホテルで窓の外が壁の部屋に連泊してみるのもよい経験かもしれません。そういえば幽閉なんていう拷問もありましたね。
果たしてこの部屋の状態は正しいのでしょうか?

3日以上の部屋から出ず、運動も認められない滞在となるのなら、窓の外の景観を保障される権利は認められるべきです。

せめて歩いて動ける面積を8m^2位にして、(これは一例で、実際には健康を保つのに必要になる正確な面積は理学療法や心理学などの専門のPhD持っている人の指示を仰ぐ必要があるとは思います)
それが出来なければ、せめて動く景色がある窓の外にしてください。
一日中部屋にいるのに窓の景色が壁だと、気が狂う。



8.終わりに

ここまでの内容ですが、個人の特定を避けるべく若干のフェイクは入れております。それに、もう過ぎたことだし、自治体の保健所の方とか引いては都の担当部門の方にご迷惑をかけました。本当に皆さん暖かく対応してくださったので、記事を仕上げるのはやめようと思いました。年始も仕事忙しいし。状況も変わってきているとおもうし。


でもね。

元国会議員の方が、この状況を矮小化するような発言を見受けたので今回記事にすることにしました。

…これ、壁紙がアパのツインルームですよね。
広いし明るいしHDMIケーブルあればPCと繋ぎながら作業も出来るし空調もよかったんですか?
さっすがー!
言うことなしですね!
あっしもこんな部屋で隔離されたかった!羨ましい!
隔離ガチャの当たりを引き当てて、Twitterで煽ってマウンティングとか本当すごいです!
ちょっと真似できない!


この環境はね、ガチャとはいえ、人によったら一歩間違えば命に関わる状態なんですよ。
オミクロン株に感染してもすぐに治るくらい健康な元議員のあなたにはわかんないかもしれないんですけど。

こういう場所について我慢を強いるより、本当に問題のある点を探って改善した方が次世代の日本の発展に役立つと思いませんか。
政治家ってそういう仕事でしょ。


この帰国者待機と隔離について、各フェーズでSNS等にて話さないでください、っていうの毎回書かれていたのですが、もし問題なかったとしたら、日常の一コマとしてSNSで紹介するのは全然問題がないはずです。
実は問題があると薄々わかっているからこその一文ではないでしょうか。
行政から提供するものなのだから、堂々としていればいいと思うんです。
理不尽なものについては耳を貸さないで。本当に問題として考えなきゃいけないものをちゃんと洗い出してください。その問題を解決するために一緒に意見を出し合いませんか。もし苦情や文句が出たとしても、今の都の隔離は精一杯やっているし、どんどん利用者からレビューをSNSで集めて改善していくことが出来ると思います。

今回私の問題に携わってくれた空港の方看護師の方区役所の方、そして宿泊施設の事務局スタッフの方たちは、すこしでも快く過ごせるように力を尽くしてくれているのがわかりました。彼ら彼女らが行っている事は、当然のことと済まさないで評価されてほしい、今後のキャリアにつながってほしいと思います。待機施設や宿泊所に入るまでの仕組み自体も良く出来ているものでした。

今回の経験で、それを知る事ができたのは本当によかったと感じます。関係者がどんな働きをしていたのか、それを記述することが出来なければ、感謝の言葉を伝えることすら出来ません。この体験を表に出すことを制限するのか。それは違うんじゃないですか。

あ、note.comは「文章や画像、音声、動画を投稿して、ユーザーがそのコンテンツを楽しんで応援できるメディアプラットフォーム」なので、SNSではないですよね。


隔離が明けて数日後、帰国された方が取材を受けていたのをテレビで放映されていたようです。(あとから聞いた話です)
どうやら観光に出かけて帰国の後、隔離され、施設の部屋が狭くてご飯が冷たくてまずいとか、不平だけを述べているシーンを実名で放映し、それはそれは叩かれていました。

不平を述べているだけなら、私のこの書き込みも変わらないのかもしれません。でもね、普通の帰国者は二週間位前から行動を控えて、帰国をしているんです。少しでも自分が入る国に別の国のウイルスを持ち込まないようにね。
隔離があるとわかっていたら、ちゃんと準備するでしょう、
それが日本にいる他の家族や友人を守るための当然の行動だと思います。

叩かれた人は、隔離のための対策をしていた話は伺えなかったのですが、だからといってみんなが叩く対象というのも違います。
ちゃんと、隔離のルールにも従っているのだし。
もしかしたら余命宣告を受け、人生で最後の海外観光なのかもしれない。
なにか事情があって隔離の支度もできなかったのかもしれません。
みんなそれぞれ、何が起きるかなんて、外からじゃ分からない。


こういうちょっと標準値から外れた叩きやすい人を取り上げて、一面だけ見て衆目に晒して叩きものにするのは、話題としては面白いかもしれないし、帰国者を一方的に叩ける理由付けにはなるかもしれません。

でもね、叩く論調が強くなりすぎたら、その影にある、人権が侵害されたような状況にぶち込まれる問題を矮小化し、なかったことにすることを助長してはいないですか。報道するときに対象となるモデルが正しい中央の値の行動なのか、何が議論されるべきことなのか、きちんと調べているのかが大変疑問に感じました。


今回、私は経験したからこの投稿が書けました。実際にはこんなことを世に知らしめるのは一専門外の只の勤め人の私ではなく、ジャーナリストとか他の専門にされている方が行うべき仕事です。
この状況は、実際自分が陥らないと何が起きているのか全くわかりませんでした。同じ状況に置かれた人たちで、SNSやコミュニケーションツールなどを使って横つながりで過去の情報を共有しながら、何が起きるのかを予想し合わさなきゃいけないのは少しおかしくないですか?


今回の隔離について、特に言いたいことはこれ以上そんなに無いです。

もし、責任のあるポジションでこれを読んでいらっしゃる方がいるのなら。この状況改善してください。
どこに訴えればいいかわからないけれどnote に書けば誰かが読むということなので書きました。
(家族の帰国予定も立ち消えになり、私も当面出国しないので最早あまり関係ないけれど)

入国・帰国が全く関係のない人も、いつか、自分の身で何らかの隔離される事態が発生した時に。同じように牢獄のような部屋に入れられることが可能性としてある事だと思って、今の状況に関心をもって助けてください。
例えばですが、隔離施設に使われる設備について、一定のクリアが可能で持続的で、滞在者も部屋を提供しているホテルの人も心地良く過ごせるとしたら、こんなにいいことはないじゃないですか。
条件を伴う条例なり法令なりが整備されてあれば、それだけでも次の隔離が必要な時に役に立つと思います。


今日日この手の訴えをインターネットで名前入れてやると、何がどうなるかわからないんで匿名で申し訳ないんですが。
どうか、よろしくお願いいたします。

それじゃーここまで読んだみんな!読んでくれてありがとう!
早くコロナを乗り越えていこうね!
Stay Safe !!!




[*0 ]出入国日とその大凡の場所を明示しましたが、厚生労働省の水際対策報道資料に具体的な記載が無いため、オミクロン株感染者の方の個人情報に配慮し、米国のどの州かというのがわからないような記述といたしました。

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