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彼女のうつくしいこだわり①【自閉と偏食】

調子がよろしくないと方々にこだわりが出る。
キャパが下がって平素押し殺していた本来の感覚が主張する。

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昔から層状の食べ物を分離して食べるのが好きだ。
アポロチョコなら△と台形の上下、ピンクとこげ茶、イチゴ味とチョコ味に
バームクーヘンなら外側から一層一層、クリアにしていけると望ましい。
ミルフィーユ?クロワッサン?ええ ええ、もちろんはいで・・・いきたい。
お行儀がよろしくない気がして、①番以外は、あんまり外ではやらないようにしている。

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チャーハンはお米以外の具材を、種類ごとに制覇していくのが好き。
母の作ってくれたチャーハンで行くと、ピーマン、ニンジン、ソーセージ、それから可能な限り玉ねぎ。この順がやりやすいし、いい。

別に混ぜることへのアンチテーゼなわけじゃない。
そうして分類するプロセスと別々の食感を別に味わえるのが、好きなのだ。
ただし、お米は米だけにして食べたいんだけれど。

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今日は体調回復のため、お勉強に行こうと思っていたのをキャンセルした。
取っていた有給をそのまま取得し、お休みデーにさせてもらい、ちょうど良かったのかもしれない。

年末年始の移動疲れのまま仕事が始まり、年度末事務と授業の自転車操業の中で週末も心折れることがあり、そのまま心身共にぽっきりいってしまうところだった、と思う。

同僚の皆さん、ありがとう。来週からは元気に出勤します。

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身体を温めて休んで休んで、キングダムの最新刊を読んで途中涙した(デトックス…)後、美味しいものを、と思い、ご飯やさんのメニューを開く。
つい、鳥つけ蕎麦なるものを頼んでしまい、食べながらああ、とほとほと思い知らされたのが、冒頭の自分の舌感覚の独特さである。

どうしてわざわざ冷たい蕎麦を、温かいつけ汁につけるんだ?と言っている。つけ汁に具材、必要ないよね、とも(笑)
蕎麦は混ざりものなく、冷たいそばを冷たいつけ汁に何にも入れず、食べるのが好きらしい。

アラカルトの和膳も美味しそうだったのだけれど、あれこれと食卓に乗っているのは好きではないらしい。あっちの食べ物も冷めて食べ時を逃してしまいそうだし、こっちは食感が損なわれそうだし…と思い煩ってしまい集中できない。

三角食べ、という単語を知った時は、耳を疑い、そんなこと考える人、正気か?と思ってしまったぐらいだった(笑) 別な味が一口ひとくちかわりばんこで現れたら、口の中が何か忙しくて落ち着かない。その間にお水をはさみたいけど、そんなことしてたら水でお腹が膨れてあんまり食べられないだろうし。

おかずは、一つひとつ、制覇していくのが好き。クリアした感があるし、同じ味をまとまって味わえるから、混ざらない。ちなみに祖父の教えで、残すという選択肢はあまりしない。思い込みって大事。

体調と気力に余裕がなくなればなくなる程こだわりが現れるのは、逆に言うと、普段はそれだけ自分の感覚に鈍感になっているということ。ちょっときつい言い方で言うと、自分を欺いて、だましだましやってるってことだ。集団行動やお仕事にまつわる社会的なパフォーマンスをしなくちゃならない場面では、誰しも、そういう部分はあるのだと思う。

一人の人が生きてくうえである程度の社会化が必要なのは否めない。
だけど、みんなが合わせててきついなーと思ってるのに合わせてる状況だったなら、何か他にやりようありますやん?て思う。

少なくともほかならぬ自分自身が、自分の欲求や感情をくみ上げて善きサマリア人…ではなく、善き聴き手になって、分かろうとしてやらないとなー、と、ぼけっとする中で感じた一日でした。



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それにしても、母のチャーハンなんて、何年食べてないんだろう?

スパイス満載の私のチャーハンとは全然違うあの味。そしてムスリムじゃないから入っているソーセージ。側面に切れ目を入れてから小口切りにしたソーセージが、丸っこいカニのハサミのようになったのを、いそいそと「これでラストの飯だっ♪」と一人、食卓に残ってピッキングしていた、スローであることが許された娘時代を、懐かしく思い出したのでした。

おかーさんのチャーハン、食べたいなぁ




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すかーれっと/Scarlett
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