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「ベーダ・ミン・ディーチ」ひらけー、ごま!
一昨日の夜、帰宅した夫が長女の話をきいて言った
「ベーダ・ミン・ディーチ」
アラビア語で、「雄鶏から卵ダネ」という「意味」は覚えていたのだけれど
どうもコンテクストが思い出せないでいた昨日の朝。
その日の授業を直前の集中力でどうにか見通しをつけ教材をどうにかまとめあげ、ほっとしながら行きの車を走らせていた時のこと。
コンテクストがするするとよみがえってきた。
*
昨日、娘の学年は校外学習で、かの有名なエンターテイメントパークへ。平日とはいえ混雑が予想されるから、7時前に学校を出て行くスケジュール。よって、家を出るのは6時過ぎ!いつもより1時間半ほど、早い。
「外から帰ったらシャワー」文化の夫は娘達に「帰ったらシャワー浴ビテ」とよく言っているが、私の生まれ育った「寝る前にシャワー」で育ってきてしまった彼女たちにはどうもしっくりこないようで、「えーやだ」と決まって食指が動かない(たぶん用法がちがう)。だって日本の場合、冬は寒くって湯冷めしちゃうしなあ。行動の変容には、大きな動機が要るのだ。
その、正の要因がそろったのがまさに一昨日の夕方。「ご飯ができる間に、おふろ入っちゃいなよー、早く寝れるよ~w」の私の一言に、「うんそだね」と入浴し、階下に降りてきたところに夫がかけたのが「ベーダミンディーチ」だったのだ。
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わたしの脳は考える。
もし私がアラビア語学習者で、このことわざを覚えるコンテクストを必要としていたのなら、この小噺は最高の文脈だな。
そして、さっきまで考えていた「表とグラフ」をどう授業にするか、にしても、思わずその子がその子の生活の中で「表にしたい!」「グラフにしたい!」と思ってしまう、そういう文脈を考えるのがこの上なく好きである、ということ。きっとだからこの職業を、また、選んでいる。
一方で、その文脈を考えるには、何て言うか脳の隙間が必要なのだ。ぎしぎしのスケジュールの中で、やるべきこととしてやっていると、そういうぴったりくるコンテクストが「降りて」来る、ヘリコプターの緊急着陸場のようなところが、なくなってしまう。ヘリポートまで、患者でいっぱい、みたいな。
コンテクストを考えたい。あ、これ、そういう意味か、がストンと落ちて来るような、ストーリーをつむぎたい。人工的に切り出された学校という環境の中だと、極寒のアラスカの温室でサバンナの熱帯植物を育てたい、って言ってる感(笑)があるけれど、そこがどうやら自分の目指すオアシスらしい。何言ってるのやら。(時間切れっぽい)
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考え出せたコンテクストを、実際に形にして、生徒に届けられるかは、また、別の話。
教育実習で、「授業案→授業」を指導教員の先生のサポートの下で行って、その「ぴったりくる授業」をできているという点で、やっぱり英語にアドバンテージがあるなぁ。いつでも、あそこを目指してやればいい、というのが体感で分かっている。
特別支援はそれがない分、まだ照準を探している。
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「この言葉を、どんなシチュエーションで使うのか?」
そこが合致する瞬間は、まるで魔法の扉が開くよう。
ずっと編んでいた船が、とうとう航海に乗り出す朝のよう。
ひらけー、ゴマ!
イフタヘヤー、スィムスィム!
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