見出し画像

[不登校]登校できないんじゃなくて、登校しないという選択

7歳の娘が「学校、行きたくない」と言い始めて二週間ほどになる。不登校できたてほかほか、ホットな時期を迎えている。そんなわたしも、不登校の子をもつ親としてホットママになりつつあり(笑)、そんなホットな近況を軽くレポートしておきたい。

そもそも1学期は、わたしも含めて「普通の生活」をしていた。カッコつきなのは「フツウ」なんてものは決して存在しないからなのだが、それはさておきパート教員の主婦として、娘の入学式も入学のこまこまとした諸準備も人並みに(草)やったし(メェェ)、毎晩ご飯を準備し、多少遅れても小1と小5を学校へ送り出していた。

夏休み、九州へ旅をしたことで人生は急展開した。薄々感じていた違和感が排気口を見つけたように四次元の(五次元か?)噴出孔から出てきて直面せざるを得なくなった。

2学期がオンラインで始まった9月、子どもたち二人ともう一度九州へ戻った。友人の家に身を寄せたり、そこのコミュニティと少し遠出をしたりした。やりたいことを人に話しているうちに、自分のしたいこと、今しなければならないことがはっきりしてきた。違和感の場であった家庭と、仕事に、さらようならをすることを決め、『いのちのじかんのまもりびと』の翻訳に専念することにしたのが、9月の終わりだった。

10月、18年住んだ茨城を後にして、フェリーで南下して九州へ。自由を感じて、心が晴れ晴れした。引っ越しにあたり、選択肢それぞれの客観的な条件を説明して選択は娘たちに委ねた。結果、小1の娘がついてきて、小5の娘は友達と今までの環境を選んだ。娘達にとっても、激動だったに違いないし、今もきっとそう。

移住先の住居が定まったのは、11月も半ばを過ぎた頃だった。それまでは友人の家からフリースクールに通ったり、通わなかったりで、一緒に表現活動の場に顔を出して隅の方で踊っていたり、ひたすらタブレットをやったり、絵を描いたり、猫と戯れていたりしていた。転学手続きをして、ランドセルや学用品も宅急便でこちらへ送り、いざ、学校生活へ…!と思ったら、そうはことが運ばず。自由の味を知ってしまった子どもは、大人の引いた時間割で管理される生活へ、戻ろうとなんてしないんだろうな。

 思い描いていた「お嬢さんは学校へ、お母さんはパソコンへ向かい仕事をしましたとさ」生活像はいとも容易く崩れ去った。それに抵抗しては、その摩擦にエネルギーを使い、自ら気力を差し出しているくせに「何で思い通りに行かないんだろう」的な外向き矢印の被害者の心理を選んでいた数週間だった、のが、昨日あたりでスッと抜けた感じがしている。できごとは常に何かを気づかせるために起こってくれている、恩寵でしかないのだ。

この一連のできごとはきっと、ものごとに良いわるいをすぐつけて一方に喜び一方に落胆する、そういう心の癖に深く気づかせてくれるために、あったんだろうな。

 *

 登校、できないわけじゃないんだ。

 でも、「登校しない」ことを彼女が選んだとき、そういう意思表示をしたとき、大人のわたしはどれだけ介入する権限があるというのだろう?

 子どもが今という時間を過ごすのにあたって、最大限の教育的環境ってどんなだろう?

 恐れからやるべきことばかりを優先させ、じぶんの心もからだも置いてきぼりにすることばかりをがっこうで身に付けた、羊の心臓の昔の子どもである、母はこの数年、ずっと考えている。そして感性を涵養できるような環境がいいなと思う。敏感な子どもが、他者のコントロール下に入ることを潜在意識下で処世術としないで済む環境。むしろ鋭敏な感性をいかんなく発揮できる、自信を育める環境。それは、どうリーチしよう?

 ――そんな一連のことに想いめぐらしながら、「学校いきたくない」「いいよ」から「学校いかない」「そうか」になりつつある、不登校五日目ぐらいの朝である。

住んでいるシェアハウスで飼っている子ヤギ(ヘッダーのかわゆい♀です❤)は、今日も草を食んでいる。あらゆる食物繊維を消化して、土へ還す一歩手前にする所業を、起床時間の8割ほどを割いて日々、成している。

そういう在り方へ、われわれももっと回帰してよいのではなかろうか。

何ごとも笑い飛ばして、大草原を食んだら、良いのではないだろうか。
メェェ・・・🐐


#不登校 #いのちのじかんのまもりびと  




いいなと思ったら応援しよう!

すかーれっと/Scarlett
投げ銭は、翻訳の糧になります。