感情を消化する四次元ポケット
「母である妻は家事をやって子どもをケアするのは当然で、
自分の欲しいものを与えない女という存在に対して、
自分はどんな態度で接してもいい」
そういう考え方は、もしかすると私の中に
「父である夫は金を稼いできて当然」という観念と
思いやりのなさがあって、それを映す鏡なのかもしれない。
そう自省したりしてみる一方で、
「自分に愛情を与えない男という存在に対して」
私は少なくとも、一緒に暮らす人間として、
ご飯を作ったら声をかけ、飯を一緒に食べたらいいと思うし、
どこかに行くならそれを一言告げたり、何なら事前に声をかけて誘いたいし
誘って欲しい、と思っている。
それらを拒否されて、どうやって床を共にしろっていうんだ?
と困惑し、そういう一挙手一投足に何かが削られていく思いがする。
ダメージを食らわない強い心になりたいと願ったりもするが、
そういう自己否定は自分を更に苦しくする。
そういうものが溜まりに溜まって、何だか心頭滅却の真逆、
怒り心頭というか、熱が体にこもって心身共にしんどく、これはまずいなと感じている。
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何か、断ち切りたいと思い、美容師さんに髪を切ってもらった。
かれこれ20年ぐらいお世話になっている美容師さんで、髪を切るだけでなく、心にもさもさと伸びた余分な枝葉も、切ってくれる。
「イライラしてきたとき、それを何か消化できるポケットを、持ってるといいよね~」みたいなことを、言ってくれた気がする。
何か望ましくない人の思念やアクションが来たとしても、受けたとみせかけて斜め後ろに逃すような、そういう人生を乗り切っていくための技のようなものが、あるんだろうな、と受け取り、目下それ自体を消化中の一言だ。
それって、どらえもんの四次元ポケットみたいなもんだろうか?
と思ってみて、いやいや四次元に落としたら異次元をすり抜けてまた、この次元にぽかっと落ちてくるかもしれないじゃないか、と一人突っこむ。
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やっぱり、どこかへやってしまうのじゃなく、消化しなくっちゃいけんのかなぁ……「感じ尽くしなさい」的なのは一通りやったけど、それもちょっと違う気がする。
何にせよ、相対さないと。
そのためのスタミナと気力を、蓄えよう。