不登校シリーズその②「何をがんばってきたんだろう?」坂の上の雲の、その先
「学校いきたくない」を通過中の次女(小1)が、「今日はがっこうへいく」と言うので、一緒に朝ドラをゆっくり見たのちに送り届けたさざんかの帰り道、ふとこんな思いがこみ上げてきた。
「何をがんばってきたんだろう?」
わたしは小学校のときから学生時代を通じて、お勉強を、がんばった方だった。大人に言われるままに、従順に。それが良いこととされ、奨励されたから。
がんばった先には、きっといいことが待ってるんだろう、と思ってた。単純!…だって、そう、聞いていたもの。色んな大人から、口をそろえて。
でも、社会に出たとたん、使い物にならなかった。怒られてばかりだった。何かがいけないらしい。やってもやっても、追いつけない。表面ばかりを、得体の知れないデータだけが、通り過ぎてゆく。
――何がいけないんだろう?――
わたしは自分の勉強不足を恥じ、責め、何かを病んだ。休憩して、持ち直しては「社会人」に戻り、また似たようなことを繰り返した。大学を出てから12年という歳月を、それに費やした。
*
学校というハコの生み出すもの
最近、楽になってきて思うのは、システムは何も保障してくれないってことだ。システムはシステムの保有者もしくは履行者のためのものであり、その中にいる人の幸福を真に考えてくれたりは、しない。残念ながら。
してくれるって、習ったから、してくれるって信じてたのに!(←単純)教育を受ける権利が保障されている日本は幸せだ、って、本気で信じてた。(←単純)そうじゃなかったなぁ…!衣食住(形式的には)足りて、強制労働させられない、幸せなポイントはそこだったのだ。学校へ行けること、では、なかったのだ。
では、労働から自由になったその時間を、制度に預ける必要は、果たしてあったのか?という疑問が沸いてくる。ティーンエイジを含めた子ども時代という、人生において気力体力が最も充実し得る時間を、教育という制度にまるまる預ける必要は、どれだけ、あったのだろう?それも、誰のだめに?
仮に6・3・3・4の16年間、教育機関の提供する学びの名の下に自分の時間を委ねてみて、そこから得たものは、何だったか。学歴という形骸的なものが、大半ではなかったか。人として生きる上で必要なことが、小学校中学校高校大学というあの、ハコの中に、どれほど詰まっていただろう?
労働から自由になったはずの時間を、そんな形骸的な何かに費やすのは、畢竟勿体ないことではないのか。
わたしは労働生産性の鋳型にハメられるために、青春時代をそなたらに預けたのでは、ないぞよ。(ハマれなかった、のだけれどもw)
わたしの時間、返せよ
わたしの素直さ従順さを、いいようにしないでよ
*
結局、近代教育の目指すところは、工業化した社会(クラシック♡)に都合の良い労働力を育てることであり、それは制度が生まれた頃から今まで変わっていないんだろう。
そうした工業的・産業的・「社会的」発展の向こうに、より良い便利な社会が待ってる、という神話は、本当の神話の足元にも及ばない程、表面的で本質を欠き、人間性を欠いていたから、その大ごしらえの枠の中で生きている現代のわたしたちが、いわゆる生きづらさを感じるのも、当然のことと言えるんじゃないかな。
坂の上の雲を目指した先は、島遼太郎が書いてたぐらいだから(読んでないけどそういう内容だよね)、明治の頃から既に、見えていたのかもしれない。
じゃあ、どうして、それを百年以上かけてわざわざ、やり続けているのだろう、と言った時、「教育は百年の計」という言葉が、皮肉にも思い出される。
「右向け右、って、学校で教わったから」
「長いものには巻かれろ、って、大人が態度で示したから」
「いい子にしてれば怒られない、って、子ども時代に、親から先生から”学んだ”から」
*
「いい子」って何だよ?
「いい生徒」って何だよ?
いい歳しても大人になれない、心の成熟を阻むような教育なら、もういいや、と、心から思う。
しつけの名の下に、大人の力に子どもを屈服させるような場面は、少ない方がいい。子どもは一人の人格として、もっと尊重されていい。
――「じゃあ、どうやって?」
自分の受けたことのない「教育」の在り方を、子どもの生きる場所を、戸惑いながら模索しています。
子どもの真に健やかな成長を、それに必要な環境を、わたしたちおとなは、もっと真剣に考えて、自分たちの手で、創ってく必要があると、痛切に、感じています。
翻訳している『いのちのじかんのまもりびと』の今日訳した章のテーマが他でもない「大人の成熟」で、思わず書かされてしまった今日の一稿でした。お読みくださり、有難うございました。共に明るい未来を生きて行きましょう♪
令和3年12月17日金曜日 記
◇不登校シリーズその①:
◇きょういくシリーズ:
投げ銭は、翻訳の糧になります。