根無し草にならないために、文化を祝う。
「子どもも3人集まると、社会ですからね」
3人の母である知人が何気なく口にした一言が、十何年経った今でも記憶に残っている。二人だと両者の関係性に留まるのが、3人になると自然に上下関係、役割分担や独自のルールなんかができて、「社会」になる。
そういえば小学生の時、登下校で一緒だった二人が、一人ずつと帰る日はいつもと違うトピック、その場にいない方の悪口になって、驚いた経験がある。私がいない時の帰り道の会話を想像して、怖くなったり(笑) 3人いると、子ども間の外交も一筋縄ではいかなくなるみたいだった。
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さて、年末年始を夫の実家のあるサウジアラビアで過ごした。
イスラムを基盤に日々の生活が営まれている土地柄、正月という概念はない。日本の正月はともかく、そもそもグレゴリオ暦にそれほど重きを置いておらず、西欧の「ハッピーニューイヤー!」的に年が変わる節目として祝う習慣もないようだった。サウジは5年程前に現王になってから、内政がドラスティックに変わっているから数年後のことは何とも言えないが、少なくとも今のところは。
向こうは「週末」が現在は金曜と土曜。今年の元旦は水曜日だったので、水曜は週の半ばを越したところ。前日の大晦日と共に、あくまで淡々と「平日」の一日として、過ごされていた。
年末、仕事をまとめ→パッキング…でバタバタと渡航し、正月準備をろくろくしなかったため、正直自分の中でも「お正月が来る」フラグが立てられていなかった。(フラグの使い方、合ってる…?)
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日本に帰って職場で新年の挨拶をしたり、noteも含め皆さんのお正月の様子を聞いて、やっと「ああ、新年なんだな」という実感が湧いてくると共に、何だか自分の根差した文化の大事な節目を祝い逃してしまったような、ちょっと寂しい気持ちになっている。
娘達も一緒だったんだし、もうちょっと正月をお祝いしても良かったんじゃないか。華僑の人なら世界中のどこにいても同胞と春節を祝うんじゃないか。イスラムの人はどこに行っても毎日のお祈りを欠かさないだろうし、ラマダンの断食を行い、ラマダン明けのエイドを祝うだろう。
・・・私が日本文化に根差す足腰の筋肉は、かくも脆弱なのか? 根無し草になったような、そんな気分がしている。
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今回、日本という社会を離れて、異文化で生きている夫の家族という集団にぽん、と自分を放り込んでみて、数年に一度会うか会わないかの「嫁」という立場なりに気をつかって、あちらの文化に歩み寄ろうとしていた。アラビア語を私は話せないし、でも話せないなりに単語を覚えてコミュニケーションをはかったり、習慣や文化に関心を寄せたりしていた。
お正月どころではなかったのは、そういう姿勢の表れでもあり、それは自分で評価したい。がんばったねぇ、わたし。
けれども、この、根無し草感というか、節目を逃した感は何だか寂しい。
ちょっと広げすぎだけれど、自分がどこから来た何者でもないような気さえしてくる。
自分のルーツに誇りをもって、心賑やかに祝いたいな。
たとえ、将来どんな集団の中で暮らしていても、懐かしいと思えるような文化的習慣を、娘たちが持てるように。
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今日は娘達が一足遅れて帰国する日。
餅、たくさん食べさせるぞ。
それでは成田へ、行ってきまーす(^^♪