麗しき片目の世界 ~間欠性外斜視は雨の日を踊る~
わたしの目は気まぐれに片方だけ、外を向く
「間欠性外斜視」というのをご存じだろうか。斜視と聞いたら、ピンと来る人は多いと思う。両目が平行に同じ方向を向いているのを通常としたら、そのうち片方が明後日の方向を向いてしまう状態、と斜視を説明して大体当たっていると思う。内側に向いているのが内斜視、外側に向いているのが外斜視。そのうちわたしは外斜視を持っているが、いつもではない、というのが「間欠性」の部分の意味である。時折、片方の目が外側に向く、という目の生来の特性。
わたしがこれに気づいたのは、小学3年生のとき、習っていたお習字の教室の一個上のお姉ちゃんに「ねーさっちの目、あっち向いてる!」(←素晴らしい語呂でワクワクする)と発見された。その場で、下敷きで片目を隠してからすっとそれを外すと、「あっち」を向いている目がややあってもう片方の目と方向性を揃える、という現象が、そのお姉ちゃん達の見事な検査技法により確認された。前後して近視で眼鏡を作ることになり、そこで「間欠性外斜視」という症名を知ることとなった。
では、どんなときに「さっちの片目」は「あっちを向いて」しまうのか。
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――それはこんな雨の日が多い。気圧が低く、心身ともにプレッシャーから有無を言わさず解放されて、ぼーっとカフェの窓越しに50メートル先の看板を眺めているようなとき。そしてそういう場合、たいていは右目が職務を離れ、左目が眺めるともなく対象に焦点を合わせて居る。
そんなときの思考は、論理の型を成さないのだが、美しい隙間にアイディアの核ともつかぬ球体群がそぼ降る。ちょうど、今日のミストシャワーのような春雨のように。
眺めている看板は確かにギラギラした「DVD鑑賞」なのだが、わたしの内的世界はそんなことに拘泥しない。わたしの左目は、真正面を向いているようで、実は視覚刺激を意味のある視覚情報として処理していないようだ。何か空中の、実際の意味を成す記号とわたしの内側に抱えている概念群の、その間のどこか、に焦点が合っている。美しき右脳の象徴の世界。
わたしにはそんな時間が悉く必要だし、多くの人にそうなんだと思う。
特に女の人には、隙間がなくてはいけない。
それは10年間の、挫折と自責だらけだったけどやっと楽になりつつあるワーキングマザー生活で、身に染みて確信している。
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小3当時は、うまくコントロールできなかったが、今は意識してどちらかの目をずらすことができる。いずれも内側にはできず、外側だけだ。だから、左目をずらして右目だけで世の中を眺めることもできるのだが、それはあまりやらない。
理性だけで世の中を見て、何が面白いだろう?
10Mar2020
Satomi Scarlett O'Bata
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