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南国の熱気と、大音量の音楽

 こんなに暑い日は、車の窓を開け放して、大音量で音楽をかけてドライブしたくなる。

 アスファルトに反射した熱気は、私に南国を思い出させる。プエルトリコ、インドネシア、カイロ、そしてインド。それらを歩いている、自分の羽が生えたような背中と思考をまた体現したくって、私の手は、はた迷惑な大音量にボリュームキーを上げる。喧噪と熱風に巻き上げられながら、それはリミットを知らず、いつの間にか大きな、大きな、音となる。

 それは、24で結婚した私の焦燥感に似ている。

 失われてしまった、独身時代の自由さに焦がれる、焦燥感。

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 日本では他人を煩わせるものが、南国では人を煩わせないことがある。熱い、空気に溶け込むようにして、それらはどーでも良いこと、つまり気にならないことになるから不思議だ。

 大音量の音楽は、その最たるものだと思う。

 その、音楽そのものが風景になっている様子を、目撃してきた。

 プエルトリコで滞在していた友人宅のご近所では、日曜の昼下がりともなると、サルサでも踊れそうな音楽が爆音で隣家から聞こえてきた。御多分に漏れず、友人のお父さんも、陽気な音楽をかけたガレージで、鼻歌を歌いながら洗車をしていた。もちろん、爆音。

 インドネシアのようなイスラム圏では、お祈りの時間に合わせて近くのモスクや放送塔から、お祈りの時間を知らせるアザーンが聞こえてきた。ジョグジャカルタのような入り組んだ都市では、アザーンを知らせる棟も密なようで、四方八方から入り乱れる祈りの独唱に、持っていかれそうになった。

 インドネシアはバイクの渋滞の国だったが、カイロは車の渋滞の都市だった。メインストリート沿いのその古ホテルの目下では、朝から晩まで、クラクションの音が鳴り響いていた。ある時クラクションが壊れた友人は、とっても運転できたものじゃない、と言っていた。クラクションで注意をしないと、人や何かが飛び出して来て危ないのだそうだ。

 インド。滞在していたホテルの真下を、結婚式のパレードが通りかかった光景と音が、目と耳に焼き付いて離れない。インド式のバグパイプのようなあの、けたたましくも晴れがましい響きと、数々の伝統的な打楽器。結婚――人生のパートナーに誓いを立てる儀式、それをどうしてあれほど五感に訴えずに祝えると言えようか?

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 熱気は私を世界の街頭へ連れてゆく。

 心を彼方に飛ばしながら、その落差に涙を流してマスカラパンダでしかも汗だくで髪を風のされるがままにしながら、私は自分の今いるハコを心地よくするべく、抗う。

 外苑と接続の良い、むしろ壁と所有の少ない、ハコのようでハコでないところに、住みたいと願いながら。


#エッセイ #旅の記憶 #南国 #大音量の音楽

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すかーれっと/Scarlett
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