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決戦は意識下に・潜在意識と材木屋のはなし

決戦は意識下に

ふわふわとした朝
夢は語りかけてくる雄弁さ
一方通行じゃない
双方向なんだ

私は夢へ語る:
そなたはすっぽりとまるまる
この世界に住居を構える

私は大工の手で
かんなで材木を削り
設計図通りに釘を打つ

居住地の景観にそぐわない?
大丈夫、ガウディもグッゲンハイムも
それ自身がランドマークとなった
奇抜な自らがこそ
人の眼を通して彼らの心の奥底を保養した

滋養的にあるんだよ
あなたはそのまま
具現化する
毎日が最前線の決戦

ラ〜ラ〜ラ〜ラ〜♪

FRI, 24APR2020
Satomi


ドリカムの「決戦は金曜日」を聴いていると感極まって泣けてくる。

のは、私だけだろうか?

「少し気が多い 私なりに 回ってきた道
 わたしらしくあるために 繰り返した」

…あたりで、感極まってしまう。


わたしは母に「材木屋の娘」と称される程、「き」が多い。
(母に座布団一枚!)

やりたいことが多くて、いろんなものに興味を持っては、その興味は移ろい、全速力で駆け抜けていく。元気のあるときは。

でも、シャカイジンではそれがから回った。

本気で、週明けから金曜日に向けて、よっしゃ今度こそやったるでー!

と「決戦は金曜日」を聴いて、がんばってたこともある。
がんばって、うまくいかなかった。

行きどころを見失った「き」は鬱蒼と塞ぎこむ。

がんばりどころが、私に合ってなかったんだ、
と痛すぎる程分かって対処の仕方も何となく見えて来たのは、
当時から10年以上経ったついここ半年ほどのことである。


そんな自分の20代を思いながら、その曲をかけていると、涙で途中歌えなくなるのである。

かねてからの夢に、「のど自慢」に出たいというのがある。

「決戦は金曜日」歌えるかな、でもサビに行く前に鐘、鳴っちゃいそうだな、なんて考えている。





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