決戦は意識下に・潜在意識と材木屋のはなし
決戦は意識下に
ふわふわとした朝
夢は語りかけてくる雄弁さ
一方通行じゃない
双方向なんだ
私は夢へ語る:
そなたはすっぽりとまるまる
この世界に住居を構える
私は大工の手で
かんなで材木を削り
設計図通りに釘を打つ
居住地の景観にそぐわない?
大丈夫、ガウディもグッゲンハイムも
それ自身がランドマークとなった
奇抜な自らがこそ
人の眼を通して彼らの心の奥底を保養した
滋養的にあるんだよ
あなたはそのまま
具現化する
毎日が最前線の決戦
ラ〜ラ〜ラ〜ラ〜♪
FRI, 24APR2020
Satomi
*
ドリカムの「決戦は金曜日」を聴いていると感極まって泣けてくる。
のは、私だけだろうか?
「少し気が多い 私なりに 回ってきた道
わたしらしくあるために 繰り返した」
…あたりで、感極まってしまう。
わたしは母に「材木屋の娘」と称される程、「き」が多い。
(母に座布団一枚!)
やりたいことが多くて、いろんなものに興味を持っては、その興味は移ろい、全速力で駆け抜けていく。元気のあるときは。
でも、シャカイジンではそれがから回った。
本気で、週明けから金曜日に向けて、よっしゃ今度こそやったるでー!
と「決戦は金曜日」を聴いて、がんばってたこともある。
がんばって、うまくいかなかった。
行きどころを見失った「き」は鬱蒼と塞ぎこむ。
がんばりどころが、私に合ってなかったんだ、
と痛すぎる程分かって対処の仕方も何となく見えて来たのは、
当時から10年以上経ったついここ半年ほどのことである。
そんな自分の20代を思いながら、その曲をかけていると、涙で途中歌えなくなるのである。
*
かねてからの夢に、「のど自慢」に出たいというのがある。
「決戦は金曜日」歌えるかな、でもサビに行く前に鐘、鳴っちゃいそうだな、なんて考えている。
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