マイクロプラスチックの逆襲
昨年、住んでいる自治体が「段ボールコンポスト」を無料配布していた。生ごみを有機的に処理したいものだ、と日頃から思っていたので、喜んで一つ、わが家にお迎えした。確か季節は今頃、9月のはじめだった。
段ボールコンポストとは何か。
「毎日かき混ぜる」「始めは細かく分解しやすい形状のものを少量入れながら、微生物を増やしていく」等、注意をできるだけ守って使っていたつもりだったが、1週間ほどしたころか、コバエのような虫がわいてしまった。
説明書を見ると「虫がわいたら、一度基材をすべて黒いビニール袋に入れて、天日の下で数日間置くことで、基材の温度が上がり虫が死滅する」とのことで、その通りやってみた。
すると、一旦は虫がいなくなるのだが、日が経つとまた虫がわいてしまう。蓋と本体の間にすき間がないように、蓋を開けている時間はできるだけ短く…など、いろいろ気を付けてみたけれどどうもうまくいかず、10月の半ば頃には、生ごみを巡らせたい気持ちよりも「虫がわくことへの嫌気」が勝ってしまい、さじを投げてしまった。
その時点で、基材と生ごみは、ある程度はいい感じになっていた。そこで、さらなるコバエの発生が懸念されたので、それは黒い45リットルポリ袋を二重にした中へ閉じ込めて、軒先に放置されることになった。どちらにしても、数か月ほど生ごみを投じた後は「熟成期間」として置いておく時間が必要だったので、早めに熟成に入った形だ。
時は巡り、春。
いろいろな植物の移植や植え付けの季節だ。
まずは土づくり。そうだ、生ごみたい肥、どうなったかな……と、少しワクワクしながら、きつく輪ゴムで結んだポリ袋の口に、手を触れた。
すると、ポリ袋は、輪ゴムをほどく間もなくぱらぱらと崩れた。
暗褐色の中身が覗き、それは確かに堆肥化しているのだけれど、その上層部へポリ袋が崩れた大小のひらひらした片鱗が、降り注いだ。
ひと冬分の日光と雨風にさらされ、ポリ袋は劣化し、シート状に凝集し袋のかたちに留まる力を失っていたのだった。
あ、と思い、慌ててかき集めたが、細かく散り散りになったその哀れな破片たちは、少しの風に舞って周囲に飛んで行ったものもあれば、微弱な振動で堆肥となった基材の奥に更に潜り込んだものもいて、全てを取り切るのは不可能に思えた。
ああ、これが「マイクロプラスチック」ってやつか、と、ため息交じりに理解した。次の息を吸い込む頃には、それは危機感に変わっていた。劣化してほろほろになったこいつらプラスチックたちは、土に還ることも、海に還ることも、できないのだ。
それは、知識として既に知っていた。
「マイクロプラスチックは、環境に悪いものだ」
けれども、プラスチックは本当に自然に還れないんだ、ということを、私はこの瞬間、本当に理解したんだと思う。
異物感を放ちながら堆肥の中と庭に突き刺さるように散らばったプラスチック片の有様は、彼らの場違いな感じを、もの静かに語っていた。
さて、プラスチックの原料である石油は、化石燃料とも呼ばれるように、もともとは地球上に生息していた生物の死骸が、時間をかけて変化したものだ。
石油の正体は、どう見ても自然物だ。
それなのにどうして、掘り出して燃やしたり加工したりすると、自然に還れないのだろうか?
飛躍するかもしれないが、行き場を失くした化石燃料の成れの果て達は、私に「カオナシ」を思い起こさせる。『千と千尋の神隠し』に出てくる、お面をかぶったような黒い塊のようなやつ。
人間の需要に従順に、原油は燃料から生活用品まで、さまざまな便利さを手放しで与えてくれている。移動手段から工業生産の場、調理に空調に、衣服に住宅に…と、その恩恵は生活のあらゆる部分に入り込んでおり、枚挙にいとまがない。百円ショップに行けばその製品のほとんどが原油由来の製品だし、最近では衣料も化学繊維、住宅すら石油由来の建材が主流になりつつあるように感じている。
ただ、これらは燃やした瞬間に有害なガスを放ち、一瞬でその形を豹変させながら黒い塊に燃え落ちる。そんな姿が、カオナシの差し出すあぶく銭のような「金」と重なる。
もしかしたら本当は、石油は掘り出されたくなかったのかもしれない。何億年も前に命を失った動植物や生物の亡骸たちは、そのまま地中に埋もれて、眠っていたのかもしれない。そんな彼らの眠りを起こして、煮るなり焼くなり成型したりしている私たち現代人のしていることは、墓暴きもいいところなのかもしれない。
身近な生命であれば、わたしたちは遺体をただの物体とみなすことなく、敬意をもって埋葬し、そこを定期的に訪れ、悼む。
生命への敬意を、空間的に現代の地球上へと広げると、日々の資源を大切に暮らそうと思う。同じように、生命の敬意の時間軸を後ろにぐーっと伸ばしていくと、プラスチック製品もわれわれのご先祖様を構成していた有機物を含んでいるかもしれない。そう思うと、無下に捨てたり浪費したりはできなくなる…ような気がしてこないだろうか。
マイクロプラスチックは、いわばそうやって相応に大切にできなかった化石燃料の、成れの果てだと言える。
そんなマイクロプラスチックに、自閉スペクトラムグレーゾーン濃い目で、ものの気持ちを想像してしまう癖がある脳は、自然と思い致してしまう。
彼らの怨念は深いかもしれないし、意外とあっさりしてるかもしれない。
でも、プラスチックを代表とする彼ら石油由来製品のもつ、永遠の眠りを覚まされ呼び出された驚きと、この時代の地球上に物体として具現化してしまい、存在しているという異邦人感は、いかなるものだろうか。
それはカオナシのように、恩恵を盲目的に貪る私たちに、ある時を境に牙をむくのかもしれないし、それはもう始まっているのかもしれない。
棺桶で眠る故人を起こそうとは、誰も思わない。
いわんや、化石燃料をや。
*
私たち人間は、墓を水で清め、花を手向ける同胞愛を、生き物全般に対して、もっている。
だから、それを発現していけばいいだけだと思うけれど、それが難しくなっている現代だ。
そういう同胞愛や人間間の安心やつながりにシフトしていくような装置が、今の時代には何より必要とされている、と感じる。
あなたは、今日、どんな道具を使い、誰と時間を過ごして、暮らしますか?
子々孫々が、マイクロプラスチックの逆襲に遭わないように。
🍀最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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ヘッダー画像は、にう@コトノ葉デザイン祈承天結 さんの素敵な写真を、拝借しました。