「母みたいな大人にだけはなりたくない。」
金曜日。やっと朝ごはんを並べて、娘達と慌ただしくも和やかに食卓を囲み始めた。平日もあと一日だ、という高揚感も手伝って、なぜか私と次女は(最近家で流行っている)早口言葉で悪ノリし、若干しつこく、早口言葉に長女をいざなおうと語りかけ(?)た。
そこで苦い顔をして彼女の口から発せられたのが、
「母みたいな大人にだけはなりたくない。」
だった。
ああこういうのって、乗れない方にとっては相当ウザったいし、中2だしそういうお年頃だしな、と看過しながらやっぱり悪ノリ早口言葉フラッシュを次女と続けていたら、長女は同じ言葉を3,4回ほど繰り返してきた。
「母みたいな大人にだけは、なりたくない。」
結構パンチの効いたその一言の連打に、文脈はさておき、私の中の劣等感やふがいなさみたいなものが刺激され、いきおいイラっとしたものがこみ上げる。
人を下げて優位に立とうとしている感じの、発言の意図も見えて気に食わない。長女には私に似て、自分のアクションが他人の気持ちに与える影響が読み取りにくいASD傾向がある。心を保つのに優位性を確保する必要があったとしても、それは必ずしも相手に伝えてしまわない方がいい。それがなかなか理解できないことを、身をもって経験しているからこその、もどかしさが加わる。
「そりゃあ私には欠陥も多いし、スーパー胸張って誇れる人生もたどってないけど、何でそんな朝から全否定の言葉、突きつけらんなきゃなんないの?こうやって朝ご飯が並んでるのだって、一つ一つ準備したからで、それに朝の貴重な私の時間を使って、家族のためにやってるんだよ。一回ならまだしも、何で朝からそんなこと3回4回も言われなきゃなんないの?あなたはそれを言うことで、何を得てるのか自分の心に聞いてごらん。人を落としてるの、分かる?正直イラっとくる。そういうのやめてほしい。」
……等々、大人らしくなく、すっかり感情的になってしまった。
通勤の車でも、モヤモヤしてしょうがない。怒りの感情が、収まらない。これは、何かあるな。
途中、コンビニに立ち寄り、コーヒーを片手に車中、自分の心を覗いてみる。
*
くだんの「ナイトくんワーク」で攻めてみる。
身体を見ていくと、みぞおちとその真後ろの背中が、グーっとこわばっている感じがする。「石つぶてゴーリキー」と名付ける。
わたし:石つぶてゴーリキーさん、あなたは何をしてるの?
石:人の攻撃から、あなたをまもってるんだよ。
わたし:ふうん、そうなのだね。あんまりプリプリ起り続けると、困ってしまうこともあるんだけど、どうしてそんなに頑なに護ってくれてるの?
石:だって、人に言ってもわかってもらえない、ごかいされて、立たされて、なかまはずれにされる。かわったひとだとおもわれて、からかわれる、やおもてに立たされる。笑われる。
わたし:そうかそうかー、それは、辛いよね…。(小学生の時、誤解されてなぜか悪事の犯人にされて担任の先生にクラス全員の前で怒られたこと←冤罪も甚だしい…!や、恋愛ごとの理解の遅かった私を担任がそういうことの早い他の生徒達とからかったことが、思い出される。)
きみが、もし怒って堅く閉ざしてないと、どうなるって思ってるの?
石:もろい心をそのままさらけ出してたら、こわれちゃう。
わたし:(涙)
……そうだよねぇ・・・寄ってたかって、ばかにされたり、怒られたり、ぜんぜん、言い分を聞いてもらえなかったり、そんなことされたら、傷ついちゃうよね・・・!心が壊れたら、生きてけないよね。そうかそうか、そうやってあなたはわたしを護ってきてくれたし、今もそうなんだね。
・・・ありがとう…!
あのね、きいてほしいんだけど、私には今は、自分の子どもがいるんだよ。自分に似たお姉ちゃんや、生徒もいるんだよ。私はね、そういう子たちに、「こうするといいんだよ。こうなんだよ」って、その子たちが傷つく前に伝えることができるんだよ。
それにね、がちがちの鎧で護っていなくても、今の私は言葉で、自分を守ることができるんだよ。時間はかかっても、文字にしたりすることで、人に伝えることができる。
「それはちがいます、わるいのは私じゃありません。かってに誤解して、罪を着せて断罪して、何のための教育ですか?教員としてのキャリアはその盲目性を培うためにあったのですか?一度お山の大将降りて、学校の外へ出て自分を見つめ直してみたらどうですか」
「わたしのことを馬鹿にしないでください。馬鹿にするそっちの人間性の方がよっぽど乏しいんだよこの阿呆。いい大人が、しかも教師が、権威濫用してんじゃねぇよ。てめえみたいなやつが教頭にまでなるって、学校ってほんとその程度のものなんですねまぢ残念」
って、言い返してやれるんだよ。
石:…そうなんだ。
わたし:そうなんだよ。だから、がちがちを少し緩めても、大丈夫だよ。
まだ、世の中はわけのわかんないことだらけで、傷つきそうなときがあるから、そういうときはまた、よろしくね。でも、わたしも援護射撃するから。できるようになったから。心をこわさないで、感じやすいままにしていて、生きやすい世界になるように、ちょっとでもできることをしてくから。
*
そうしてぼろぼろ泣いて、スッキリして、出勤した。
それにしても、長女は私の起爆剤というか、天然デトックス用地雷というか……彼女の素直さが発揮しやすい世の中にしなきゃなぁー、と思いを新たにするとともに、無意識なのに確信犯的に私のトラウマなツボを押してくれる長女の、魂レベルの優しさが、身に染みた金曜の朝でした。
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