会議でしゃべれない。なんでだ?

昔から、集団での会話に混ざるのが、苦手だ。

サークルのミーティングなんかでも、そうだった。会話のパス回しが自分にとっては速すぎて、追いつくだけで精一杯。なんでだ?

数年前に受けた発達検査(WISC-IV)と、この5年程で積み上げてきた自分の特性への理解が、手がかりをくれるような気がするので、ちょっと考察してみたい。

パス回しの速さに追いつけないのは、処理速度が平均以下、というところが効いているだろう。単純に、わたしの脳は、ゆっくりとものごとを濾過するように作られている。ハレルヤ。

また、会議には「名言されない合意」のような、ニュアンスを読んで理解しなければいけない、という要素が加わる。これを恐らく、ASD特性が難しくしている。「え?白黒はっきりさせてないのに、何で決まったことになってないの?ちゃんと決定事項なのか、そうでないのか、名言してよっ!」という心の声が、会議のあいだ中、心の中では実況中継ばりに流れる。何となく、が理解できない。ゆえに、脳内にクエスチョンマーク多発。

極めつけは、ワーキングメモリの弱さ。発言内容を精査して組み立てようとしても、次の発言がきて、その真意を測ろうとそちらに注意を向けていると、発言したい内容を忘れる(笑) 思い出す努力をしている0コンマ何秒のうちに、次の人の発言内容が投下される。→新しく話したい内容が惹起されて、すべてを包括した(ちゃんと受けている)発言をせねばいかぬのでは……と自らの発言を考え直し、そのうちに新しい発言がやってきて、その真意を……発言を忘れ…の堂々巡り。涙。

恐らく、社会的な失敗体験もあるだろう。自分の発言は取るに足らないものなのではないか、という疑念が潔く払拭できれば、鳴り物入りで思い切りよくえいやっ!と会話に入ることはできるはずだ。ただ、実務的というよりは夢想的、感覚的な、どちらかといえば少数派のものごとの捉え方をするので、(この場にそぐう発言なのか?)というあたりは、空気を読めないアタマなりに場を読んで、考えてしまう。

昨日の会議では、その、感覚を動員した知見がたしかに自分のなかにあって、でも間を測りかねているうちに話題はより具体的な方向へ行ってしまった。パス回しで、ほら、とパスが回ってくることもなく、ああ、無責任だと思われてるんだろううか、どうしてこうもトロいんだろうか、と落ち込みそうになった。

かなり、心理的な負荷も高いのを感じたので、ビリーフとかブロックの類だろうか?という気もして、前回書いた「ナイトくんワーク」もやってみた。

発言しよう、よし、と思うと、みぞおちのあたりが緊張してむかむかして、心臓はものすごくドキドキする。呼吸は浅い。声が、たとえ話し始めたとしても、上手く出せないような感じがする。胸や、お腹から出したい声を、出すという上方向とは逆に、しまっておく、下へ引き戻すような感覚。

どうして、しゃべらせてくれないの?
――だって、しゃべったらはずかしい思いをするでしょう。それはちがう、っておおぜいの前で言われて、くやしくてやるせない思いをするでしょう?ごかい・・・されたら、ひどい思いをしてつまはじきにされる。それなら、さいしょからなんにも言わないほうがまし。

そうか、そうなのだね。
あなたのミッションはなーに?
――よくわからない場面で、よけいなことを言ったりやったりして、ほかの人たちからはずかしめを受けたり、けんい・・・のある人にごかいをいだかせないこと!目をつけられないようにすること!

そうか…えらいひとが、誤解をして、あなたのことを否定して、みんなの前でくやしくて恥ずかしい思いをさせたんだね。そして、あなたの言い分はなぜか、聴いてもらえなかった。つらかったねぇ……!

じゃあ、あなたがそのミッションをやめたら、どうなるとおもっているの?
――ぽーん、って、一人にされる。罪をなすりつけられる。わるい人だと思われる。おこられる。立たされて、一人で。そんな思いはもうしたくない。

そうだよねぇ~、そんなのはいやだよね。アンパンマンじゃないけど。どうもありがとう。まもってくれてどうもありがとう。

でもね、わたしはあれから、30年も生きているんだよ。立派かはわからないけど、大人なんだよ。先生として、生徒の前に立っている。小さいけれどわたしのところにもあるけんい・・・を、変わった生徒を誤解して他の人と隔てるためじゃなくて、その子を理解して生きやすいようにしてあげられるように、使うことができるんだよ。そのために、先生をやっているんだ。だから、だいじょうぶだよ。どうか、わたしがもっと人の役にたてますように。そうしたら、あなたももっと楽で嬉しくなるよ。

あなたが生まれてくれたおかげで、わたしは弱い人、声の小さい人の痛みが、よくわかるようになったんだ。どうもありがとう。よくがんばってくれてるね。ありがとう。



変わり者の意見や存在を、淘汰するのではなく、
吸い上げて抱きしめて大切に扱っていくようなしくみ。
それを実現しうる、効率で時間を切り刻んでいくのとは対極の、
長期的な見通しヴィジョンと、手元の余白と余裕。

そういうものを紡いでいけますように。




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