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「おかーさん」と「自分であること」のバランス / キッチンと両者の友好旗
思えばこの5年間やってきた全てのことは「おかーさん」と「自分であること」のバランスを取らんがため、だったように思う。
もうちょっと厳密に言うと、「おかーさん」として、「妻」として、職場の「おばたさん」として、期待されているように振る舞うパートをやり過ぎて埋もれてしまった自分を必死で探していた。
(わたしの人生は失くしものを探している時間が圧倒的に長いと思う。ケータイ、車の鍵、そして自分。)
ADHDコーチングの主訴も「子どもと家にいると心身が苦しくなって最終的にキレてしまう自分をどうにかしたい」で、そのために仕事でどうしても累積させてしまう負荷を調節しているのだし、
ホメオパシーの主訴も「家庭人としての自分を優先させる結果行き詰まってしまう(しまった)心身を楽にする」で、その結果自分の良いところを活かして社会貢献したいがためだし、
インド映画が好きなのだってシングルで海外を飛び回って各地でダンスをするように人生を謳歌していた、そのトキメキを思い出させるからともいえるし。
家出も、今に始まったことじゃない。次女を産んで1年ぐらいの時、家にいるのがシンドイあまりに近所の古ーいワンルームのアパートを1年近く借りて文字通り家出していたこともあった。(そう、そうだった!)
こうして文章を書くのだって、その、自分を取り戻す過程を電脳空間で書き出すことで、正直な自分をつまびらかにする目的で、前身のブログを始めたのがきっかけだ。
たとえそれが理想的な役柄であれ、被った仮面はいつか剥がす時がくる。だから、人はできるだけ早く本当の自分が何者か、を知って、それを地で生きていけるようにこそ、貴重な時間とエネルギーを使うべきなのだ。
「おかーさん」という、役得も多い、万民に賞賛される役割。
「わたし」という人格の、失くしもの。
両者の間のどこかに今日も潔く捕らわれながら、私は模索を続ける。
白旗を上げることはなく、濃い目のピンク位の友好旗を染め上げて掲げるべく、染料となる草花を育てるべく種を植える。
さいごに
ご存じの方も多いと思いますが、#challengeaccepted #womensupportingwomen は、女性が、女性のempowerment(地位向上)を訴えるためにモノクロのセルフィ―を投稿するインスタのタグ付け祭りで使用されていたタグです。
調べてみると、トルコで女性の殺害率が高いことへの抗議、から、始まったチャレンジだったようです。
ヘッダーのセルフィ―は、エジプトの友人からバトンが回ってきてその時投稿したものです。
その時、ふと思い浮かんだコメントがこうでした。
"Feeling caught somewhere between the kitchen and work."
時間を置いた今、行間を埋めて和訳したら、こう感じていたんだと思います。
お家の中でのわたしの居場所は、キッチン
仕事では必要とされていることをすれば、居場所は確保される
役割をこなさないわたしの居場所を求める精神に枷を付けるのは、
他人ではなく、他でもない私自身
その、私自身のはめた枷の重みを感じている
臆するなかれ、これから子どもを持つ皆さん。子育てのエグさが次の世代で軽減されるように、私はこうして書いているし、これからも活動していくし、そう思っている同世代も多いと思う。
エグみが減れば、子どもの居る暮らしは圧倒的に興味深いし、楽しいこともいっぱい。子育ては愉しい、をスタンダードにしたい。
先日コワーキングに逃げて自分に戻って人と交流できる有難みを実感して、ADHDおかーさんが一息ついて、リフレッシュしてお家なりに戻っていけるサードプレイスがあれば良いなー、と、昨日から思っています。
noteでADHDおかーさんのサークルを作って申請してみたので、結果を待っています。3カ月ぐらい、試行してみようと思います。気になった方、審査が通ったらこのnoteで告知しますので、どうぞ入ってみてくださいねー!お楽しみに💛💛
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