「申し訳ない」
わたしが、生きていて、「申し訳ない」。
わたしが、存在していて「申し訳ない」。
わたしが、結果を出せず「申し訳ない」。
わたしの口癖のひとつに、「申し訳ない」という言葉がある。
謝れば許されると思っているわけではない。
申し訳ない、という言葉を使う場面は当然存在する。
悪いことに対して「申し訳ない」と思うのは勿論ある。
ただ、わたしの場合は
「周りに迷惑をかけたり、そんなに手厚くサポートしてもらう存在に値しないわたし」
に対してそのようなことをされることに
「申し訳ない」と思う。
大体の方々はこう言う。
(以下、引用部分はこんな雰囲気のことを言われたというものです。)
「あなたが迷惑だと思っていることは、こちらからしたら全くそう思わない。勿論、甘えとも思わない。」
「存在価値は、あなたが決めるものではなく、周りの人間が決めるもの。」
そう言ってくださることは、本当にありがたい。
だけど、「ありがたい」気持ちと同時に「申し訳なさ」が強く存在する。
その気持ち…考え方が昔から染み付いているのもあってか、今回も辛くなってしまった。
結果を早く出したい。
早く独り立ちしたい。
ただ、それだけの気持ちなのに。
それができない自分に、酷く落ち込んだ。(今でもとても凹んでいるけれど)
「申し訳ないって思われると、逆にこっちが申し訳なくなってしまう。」
「だから、『ありがとう』の気持ちだけで留めて欲しい。」
ちゃんと感謝しているわたしの思いを汲んで下さってのことなんだな、と思った。
同時に、少しだけ、申し訳ないという気持ちを持たなくていいんだとも思えた。
そして、
「落ち込み過ぎちゃうのはまずいから、逆に動く方がいいかもよ?」
「少しだけ気持ちに余白を持って動いて、出会いをたくさん増やしていくといいよ」
何だか、関わった長さや深さ関係なしにわたしは荒療治を勧められるのだなとも思えた。
ただ、これはわたし自身も薄々そうだなと実感はしている。
…身体がついていかないだけで。
すぐに自分の癖がなおるわけじゃない。
けれど、こうやって周りの方々からたくさんの言葉を投げかけてくれることで色んな気付きに繋がると感じた。
わたしを、見守ってくれて、ありがとう。
わたしを、支えてくれて、ありがとう。
わたしにたくさんの言葉を送ってくれて、ありがとう。