生きることは贖罪であり、懺悔だ
母に対する、贖罪と懺悔。
6月は、わたしにとってとても辛い月。
それは、唯一の家族であった母親が旅立った月だからだ。
わたしが精神に異常があることがもっと早く分かっていれば、まだ母親は生きていたかもしれない。
けれど、母親はわたしの精神が異常であることを薄々察していながらも病院に連れて行くことはなかった。
その辺の話は、また分けておこなおうと思う。
けれど、結果的にわたしは母親を苦しめた。
そして、母親はこころが壊れる前に身体が病魔に蝕まれたのだ。
最初に母の病気が判明した段階で、5年生存率は50%と言われていた。
そう宣告されて、母親は本当はとてもショックだったと思う。
母親自身は、どこか悟っているようだった。
同時に、
「何で他にも兄弟がいるのに、私なんだ」
と本音も漏らした。
その本音は、わたしに対しての憎悪だろう。
このことでわたしは、母親以上に大きな精神的ダメージを負った。
わたし自身が宣告されたわけではないけれど、母親がこの世からいなくなる覚悟をしなければならないことを受け入れられなかった。
母親は、精神的にとても強い人だった。
いや、わたしが精神的に弱すぎる上に異常があったのだから、母親は娘に心配させないようにしようと必死だったのだろう。
そして、母親は病と共に生きた。
何度も転移を繰り返し、その度に大手術をおこない、何度も母親の異常な程の生命力で生還したのだった。
1度目の手術をしてから、わたしは母親と共に母の病気と生きることを考えた。
栄養面だったり、母親が平気だと言ってもわたしが手伝ったり…。
経過観察にも常に母親に同行し、母親の病状を把握した。
けれど、同行したり買い物の付き添いで重いものを持ったりなどは出来ても、毎日毎日身の回りのことまでの手伝いはできなかった。
母親としては、やれよという思いだったろうが…体力維持の為にも自分の身の回りのことはやるようにと指示はあった。
けれど、わたしの分までやらせていた。
母親以上に気を遣い、自分のことにある程度制限をかけ母親に付き添っていた分、元々壊れていたこころが更に壊れていった。
けれど、母親は最後の転移後の放射線治療からどんどん変わり果てていった。
余命宣告された時は、母親の実の兄弟すら直視できない程になった。
もうその時には、わたしのこころは死んでいて…けれど母親に悟られてはならないと必死だった。
そのタイミングで、わたしは精神に異常があるということを初めて知り病名を与えられたのだった。
最期は、母親に付きっきりでできるだけ世話をした。
世話をしながらも、母親がこの年齢で逝ってしまうのはわたしのせいなのだと強く思った。
何度も何度も、わたしの生命を母親に差し出せるものなら差し出したいと思った。
母親は、長生きしたかったのだから。
何故わたしが生きてしまうのだ、と。
結局、母親は病魔に侵されて約7年後にこの世から旅立った。
最期を看取ることも叶わず、母親は看護師さんにも気付かれず静かに逝った。
本当は、看取って欲しかったのだと思う。
未だに、その日に少しだけ外出しなければならなかったことをわたしは悔やんでいる。
わたしが母親に苦労ばかりさせた挙句、母親の生命を奪ってしまった。
その事実が消えることはない。
変わり果てた母親を見て、わたしは崩れ落ちた。
いつかはこうなるのだ、と覚悟はしていてもせめて看取ることはしたかった。
「あと20分早く戻っていれば」
そのことが、今でも悔しくて苦しくて、昨日のことのように思い出しては涙が出る。
変わり果てた母親の手に触れた時、まだ体温があった。
手を握れば、目で訴えたり握り返してくれていたのに、全く動かなかった。
本当に旅立ったのだ、という事実を突き付けられたのだった。
「最期まで一緒に居られなくてごめんなさい。」
「寂しい思いをさせて、ごめんなさい。」
手を握りながら、わたしは母親にそう言うことしかできなかった。
当時の母親の主治医は、泣き崩れるわたしを見ながらこう言った。
ここまで生命力があって、言語や理解力も失われても、わたしの言葉や様々なことには反応していた。
母親は、本当に強く生き抜いた。
そんな様々な思いを、感謝の言葉で母親に沢山伝えた。
その後の葬式なども母方の祖母に支えられながらも、わたしは喪主として涙を見せず振る舞った。
いくら家族葬でも、喪主が崩れては元も子もない。
生前の母親の最期の願いも、叶えた。
そのことは、わたしが唯一親孝行できたことかもしれない。
そして、今。
わたしは、好きな人から好かれることは一生ないんだということを改めて突き付けられた。
何度もそれは突き付けられているけれど、1番欲しいものは一生手に入れられないのだという事実に直面し、こころが死んだ。
これは、わたしが母親を早死にさせてしまったことへの罰なのだと思う。
そのことを背負いながら、生き続けろ。
そのことが、母親への贖罪であり、懺悔なのだ。
わたしが、生き続ける理由。
それは、母親に対する贖罪と懺悔。
生き続けるには、もっとこころが死なないとならないのだろうか。
母親が生きて、わたしが消えれば幸せだったろうに。