見出し画像

転生vol.10

バーテンダーに転職をしてから5年が経った。

僕をこの道に連れてきてくれた祈子さんは出会った頃と何も変わらない美しさだ。
僕はと言うと、少し大人に近づけただろうか。
客との会話も、祈子さんとの距離感も、マスターからの信頼も、それなりに上手くやれるようになっている。
若さと引き換えに、経験を手に入れている実感はあったが、やはり若者を見ると少しだけその無邪気さが羨ましいと思える時がある。

まだ20代前半と見受けられる若いカップルが来店した。女の子はこういうBARに来るのは初めての様子でキョロキョロとお店の中を見回していた。男の子の方は、少し得意げに彼女をエスコートしていたけれど、初めて見る顔なのできっと口づてにこの店を知ったのだろう。
2人とも初々しい。

「私、ここ行きたい!」
「いいよ、そこも行こう!」

2人でなにやら旅行の計画中のようだ。
「今度はちゃんと計画していこうね、前の時はグダグダだったから」
口ではそう咎める彼女も、とても楽しそうだから、きっと前回のグダグダ旅行も楽しかったんだろう。

「あ、このお店も美味しそう♪」
「うん、いいね!ここでご飯食べようか?」
「でも、少し高そうかな?」
「大丈夫。心配ない」
「ホント?やったぁ」

彼はこの旅行のためにきっと頑張って貯金したんだろう。彼女の嬉しそうな顔を本当に嬉しそうに眺めている。
いいな。
うん、こういう2人を見ているのは心地いい。

僕はそんなふうに幸せをおすそ分けして貰いながらカウンターの反対側を見ると、

祈子さんが、泣いていた。

祈子さんに知り合って5年、時折、悲しそうな、寂しそうな表情を見せることはあったけれど、泣いているのを見るのは初めてだった。


僕は、不謹慎にも祈子さんの涙を綺麗だと思ってしまった。
「祈子さんが、ただのお客様だったら、きっと声をかけたりしないのだけれど、聞いてもいいですか?」
「何かしら?」
「祈子さんは、何を忘れようとしてるんですか?」


ずるいわね、そんなところまで似てくるなんて──。


その晩、祈子さんはそれ以上何も語ってくれなかったけれど、僕は思い馳せた。

祈子さんが、あの二人のように誰かと一緒に無邪気に笑っていた日々を。


つづく。

読んでくださるだけで嬉しいので何も求めておりません( ˘ᵕ˘ )