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星が降る? 伝説と星を追って
「星の降る池」伝説
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新潟県村上市北新保(旧神林村)にある「大池」は、冬になると白鳥が集う砂丘湖です。大池と日本海の間には「お幕場」と呼ばれる赤松林が広がり、林を抜ければ岩船港が見えてきます。
この大池には「星の降る池」という伝説があります。
伝説の存在を知ったのは『四季の星座神話』という本です。世界の星の神話と伝説が紹介されるなか、馴染み深い旧神林村の「大池」の名前を見つけました。それもそのはず『四季の星座神話』著者は、旧神林村出身の星の写真家・イラストレーター沼澤茂美さんでした。「星の降る池」の伝承について「星の配置と動きがこれほどリアルに物語としてまとめられている例は国内では他に見当たりません」と語られています。
天の川に手の届きそうな田舎で育った“にこふね”、これは気になる!とっても気になるーー!!と星に誘われ、旅に出ることにしました。
[出典]
*美しい星座絵でたどる『四季の星座神話』
沼澤茂美・脇屋奈々代 著/2014年発行
*「星の降る池」『岩樟舟夜話』
中村忠一 編/昭和13年
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神様降臨! 石船神社
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(石に「、」がついていますね)
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わたしが訪れるときは、いつも社務所不在なのです。。。
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貴船神社より合祀された三柱の神様でしょうか?
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<御祭神>
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
罔象女命(ミズハノメノミコト)
高龗神(タカオカミノカミ)
闇龗神(クラオカミノカミ)
大同二年(807年)北陸道観察使 秋篠朝臣安人が下向の際に社殿を建立。越後国の北の守護神として京都貴船神社の御祭神三神を合祀。
<由緒書きには記載のない御祭神>
天香語山命(大日本史神祇志/地理志料)
船霊(神名帳考證)
<境内社>
(確認できた神様・神社)
金毘羅大権現
若山神社
古峯神社
大山祇神社
須賀神/大己貴命/少彦名神
<その他>
磐舟招魂社
磐舟柵跡碑(磐舟柵の正確な場所はまだ発見・確認されていません)
芭蕉句碑 2基
瀬波温泉方面に向かう山の斜面(道路沿い)に「牛頭天王道」「馬頭観世音」の石塔と登れそうな山道あり。拝殿から見えた階段の先が続いている!?!?
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<社叢>
ヤブツバキ群生を主とする社叢は県の天然記念物。
アベマキの大木がある。
「神様が天の石船に乗りお出でになられた」という伝説を持つ磐舟郡総鎮守。創祀は大化四年(648年)磐舟柵(いわふねのき)設置以前と伝わる。(神様は饒速日命)
天の石船(磐船)とは、日本神話において天神である饒速日命が高天原から中津国に降りる際に使用したとされる船です。
石船神社の真下から清水が湧いていて、手水舎の龍口から出る水はこの霊水だそうです。そのため、水神である貴船神社を勧請したのではないかとのこと。宮司さんがおられたら霊水についてお聞きしたかったです。古い資料にしか載っていなかったため、知らない人も多いのではないでしょうか。
拝殿の左側にも階段があり通れない状態でした。石船神社のある明神山の麓から見上げると、2つの鳥居とブルーシートがちらりと見えました。図書館の古い本にも、多数ある神社ブログさんにも全く載っていないため、更に上に祀られている神様がわかりませんでした。 饒速日命だと思うのですが。
岩船地区に伝わる「天の石船伝説」は、大阪府|交野市《かたのし》の磐船神社に伝わる天降り伝説より、素戔嗚尊にまつわる蘇民将来の伝承のほうに近いようです。
饒速日命は、空飛ぶ船ではなく海から藤のつるにつかまって崖を登り上陸しています。裕福な巨旦将来の家を訪ね、泊めてほしいと頼むも忙しいからと断られ、貧しい蘇民将来の家を訪ねたところ、快く泊めてくれたという話になります。
そこから先は、疫病を免れる話ではなく鮭の酢漬け(鮭の飯鮨)を食べなくなったという話や、饒速日命が漁業や農業の技術を伝えたという話につながります。
(探せばまだ他にも種類があるのかもしれません)
伝説や境内社を見るかぎり、饒速日命より素戔嗚尊のほうが色濃いように思えます。
大阪府交野市の磐船神社のように御神体とされる巨石はありませんが、当時の明神山は海に面した大きな岩の丘、海から見ると「岩の船」のように見えたのではないかと推察している方が多いようです。
[資料]*Wikipedia *『新潟県の地名』/野島出版
*にいがた地名考/長谷川 勲 著/新潟日報事業社
星と天と虹と
「星の降る池」「天の石船伝説」の他に、この地域には「虹の嫁」という昔話も存在します。
木こりの青年が、綺麗な虹がかかっているのを見つけ、虹をよく見ようと湖まで行くと、空から七色の羽衣をまとった七人の美しい天女が舞い降りてきます。その一人に一目惚れした木こりは嫁になってくれるようお願いしますが、天上界の娘は地上の男と結婚できないため、目の下に青いホクロを付けて生まれ変わるので見つけてくださいと天界に戻ります。
このお話はハッピーエンドとなるのですが……この地域、星や空のお話多めですね。(天の石船を天からやってきたと解釈すればですが)
そしてそして、村上市の村上大祭は7月7日※1の七夕であり、旧暦の五節句(お盆の頃)にも七夕祭りが開催されています。
岩船地域と星との関係が、ますます気になってきました
この星の話、どこから来たのでしょうか? 星が降る=隕石?とも考え調べましたが、この地域にそのような史実は残っていません。
新潟県内では星や天女の昔話・伝説を耳にすることがほとんどありません。なぜこの地域にだけ? しかも星の専門家が驚くほどの、詳細な星の動きを表現した話が残っていることが気になります。
※1 村上大祭:寛永十年(1633年)六月七日に西奈彌羽三社大権現の社殿が現在地に造営され、臥牛山下の旧社殿から遷宮されました。そのとき、村上大町の人々が太鼓を打ちながら町中を練り歩いて祝ったのが始まりとされています。
[資料]図解にいがた歴史散歩 村上・岩船
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星の伝承はどこからやってきた?
【仮説 その1 】移住者が語り継いだ?
<磐舟柵の造成・蝦夷征討のための移住>
磐舟柵を置く際、越(石川方面)と信濃(長野方面)から民を送り柵戸とした、と村上市史年表にあります。蝦夷征討のため、他県からの人の移動があったようです。移り住んだ人々によって、故郷の伝承が語り継がれた可能性が考えられます。
わたしの祖母は村上市の出身です。祖母の旧姓「長谷川」という名字のルーツを調べると、大和国(現在の奈良県)を流れる泊瀬・初瀬川を由来とし、雄略天皇の家臣として全国へ派遣され、各地でも「長谷川」を名乗ったとあります。人口に対する比率として一番多く長谷川さんが住んでいるのも新潟県だそうです。
磐舟神社のある大阪府交野市には天野川も流れており、七夕や天女の伝承も伝わっています。奈良から移り住んだ人がいたのなら、交野市方面からも来訪した人たちがいたのではないか? そして星の伝承をのこした可能性も考えられるないでしょうか?
[資料]*Wikipedia *なまえさあち
<もともと伝説があった?>
石船神社近くの浦田山古墳群では横穴式石室と竪穴式系横口式石室が見つかっており、古墳を作るほどの有力者が居たということになります。磐舟柵を作る以前から石船神社には祠があったと伝わっており、蝦夷征討のための移住者ではない、もともと住んでいた人たち、またはそれ以前の移住者や訪問者が残した伝承なのかもしれません。
<饒速日命を祖神とする物部氏>
物部氏と蘇我氏の争いにより逃れてきた物部氏が移り住み、磐舟伝説を持ち込んだ説もあります。 (物部氏は星や暦にも詳しかったとも聞きますし)
【仮説 その2 】海洋民族が訪れていた?
<世界を航海した海洋民族>
星と海洋民族の関わりについて、TOLAND VLOGさんの動画を視聴するまで全く意識もしていませんでした。星を頼りに航海していた海洋民族には星信仰があり、当然星の動きにも詳しいはずです。
もしかして「星の降る池」伝説は海洋民族が伝えたものではないのか? この伝説にはそう思わせる要素があります。ほぼ同じ伝承が遠く離れたフランスプロバンス地方の遊牧民にも伝わっていたのだそうです。(ドーテ作『風車小屋便り』の一話「星」より)
日本ではシリウス星は青白く見えるのに対し、プロバンス地方では赤くたいまつのように見えるため、「星の降る池」伝説の描写により近いのです。伝説の発祥元は、プロバンス地方の遊牧民である可能性があります。
[資料]『四季の星座神話』
海洋民族は航海に必要な“腐らない水”を求め、川を遡って源流や湧水のあるところに痕跡を残したといいます。(TOLAND VLOGフィールドワークをご参照ください)
海洋民族が川を遡り山へ入るのは、船を修理する木材を手に入れるためとも言われています。
図書館へ行き、「伝説」「地名」「信仰」「湧水」「源流」などから手がかりになりそうな場所を探しました。そして、岩船地域から少し離れた場所に、気になる山を見つけたのです。
嶽薬師と光兎山
海から三角に見える山で、古くから漁師の信仰を集めてきた嶽薬師。眼病に霊験あらたかな霊水があるといいます。神奈備山と言わないまでも漁師の信仰の山ですし、海洋民族の痕跡が発見できるかも!? と期待しながら、まずは書籍やネットで周辺情報を調べます。
……(汗)いやいやいや。嶽薬師に行くには登山が必要じゃないですか!!!! 登山の知識と体力を身につけるには時間がかかります。しかも今回は一人旅です(熊も心配)。だけど目印となる岩もあるみたいなんだよねー。気にはなりますが、まずは車で行けるところへ向かい、手がかりを探すことにしました。
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荒川沿いに国道113号を車で山方面へと向かいます。嶽薬師が海洋民族の目印となる神奈備山ならば、分かりやすく見え続けているはず!という勝手な思い込みで、残雪の目立つ三角山を眺めながら光兎神社を目指します。
途中左折し国道290号を女川方面へ。嶽薬師「登山口」という看板をちらほら見かけるものの、登山口しか見当たりません。目立つ三角山は嶽薬師ではなく、どうやら光兎山だったようです。
かわいい兎がいっぱい! 光兎神社
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光兎神社は女川のほとり、国道290号の道路沿いにあります。
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平日ということもあり、参拝客はわたしともう一人だけでした。宮司さんがおられたらお話しを伺いたかったのですが、なんと誰もおらず!勝手が分からないので、もう一人の方と相談しながら参拝させていただきました。
<村の語りべより>
むかしむかし、ある日のこと きれいな満月の夜
月の兎が金の光の雫とともに
関川村のある山に降り立ったそうな
お山を飛び跳ね回り
そのうちふもとの神社へも遊びに来るようになったそうな
兎は自然豊かな関川村を大層気に入り
月(神)の使いとして神社の守り神となり
奉られるようになったそうな
<御祭神>
月夜見命(月読尊/ツキヨミノミコト)
光兎大神(光兎大権現)
奥宮は光兎山山頂(標高966m)にあります。
貞観三年(861年)嶽薬師と光兎山は、比叡山延暦寺座主 慈覚大師により、卯の年に開山されました。春には西側斜面の残雪が兎に見えるのだそうです。
こちらでは星の手がかりは見つかりませんでしたが、月も星ですよね。星信仰と月信仰は違うんでしょうか??
この時は気づいていなかったのですが、ブログを書くため追い調べをしていて、光兎神社のすぐ近くに蛇喰という地域があるのを知りました。ギネス認定された「大したもん蛇祭り(たいしたもんじゃまつり)」で有名な大蛇の伝説が残る地域です。
越の八口と安角
荒川をさらに上流に登ると、古代史好きが喜びそうな地名が。 光兎山は関川村八ツ口にあります。『出雲国風土記』に「大穴持命(大国主)は越の八口を平定した」と記載があり、この八口が関川村八ツ口ではないかと言われています。(諸説あります)
さらに、関川村の「安角」は、長野県安曇野と同様に海人安曇族が住み着いた場所とも言われているそうです。海洋民族が訪れていた気がしてきましたね。
しかしながら、こちらへの旅は次回となります。古い地図を調べていて気になるワードが出てきましたので、続きの旅が楽しみです。
船玉神社
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(→おまけ:船玉神社と多岐神社の伏線です)
光兎神社から荒川沿いに国道113号を戻り、葛籠山(要害山)の麓にある船玉神社へ。以前の写真を見ると杉に囲まれていましたので、何らかの工事が入っているようです。
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長ーい胴体の獅子のような彫刻があります。鍵がかかっているので中は分かりません。「お参りのあとはロウソクを消してください」と貼り紙があります。境内にたくさんある祠や石塔の前にもロウソクがあったので、神仏習合の雰囲気です。お参りの際に鳴らすのも鈴ではなくお寺のほうで見かける鰐口でした。
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<御祭神>
住吉四神
底筒男命(ソコツツノオノミコト)
中筒男命(ナカツツノオノミコト)
表筒男命(ウワツツノオノミコト)
神功皇后(ジングウコウゴウ)
住吉の神様は航海安全や海の神様です。全国の船玉神社を調べたところ御祭神は様々でした。「住吉三神」は耳にしますが「住吉四神」? と検索すると真っ先に、大阪府交野市の「私部住吉神社」が出てきました。饒速日命が天の磐船に乗って航海したことから転じて海神となり、交野市の磐船神社の大岩のそばに住吉四神をお祀りするようになったそうです。(諸説あり)
ということは、村上市の石船神社は交野市の磐船神社の流れに近いのかも!?
一方、神功皇后の伝承は、秋田と山形にも残っています。
秋田にある唐松神社は、神功皇后の腹帯が御神体とされています。唐松神社の宮司・物部家の邸内に鎮座する唐松山|天日宮《あまつひのみや》の御祭神は、饒速日命です。
三韓征伐の後、神功皇后は秋田の天日宮へ参詣したと伝えられています。対馬海流に乗り秋田へ向かう神功皇后の一団は、新潟の岩船港にも立ち寄ったのかもしれません。
というのも、磐舟柵が置かれた当時の岩船港は、琵琶潟が存在し軍船が入れる大きな入江だったといいます。(図解にいがた歴史散歩 村上・岩船より)停泊するには充分な場所だったようです。
そして山形県鶴岡市(旧温海町)にも、神功皇后と武内宿禰が矢を除けたという伝説の岩が存在します。(暮坪の立岩と矢除神社)
この温海という名称も海人安曇族が関係しているのでは!?との説もあります。(諸説あり)
海から見た岩船港は、粟島が目印となり目指しやすかったように思えます。三韓征伐に際し海人安曇族は神功皇后を案内したとも言われていますし、岩船港にあった琵琶潟という名称も神功皇后に縁がありそうな名前です。
*神功皇后は、近江国(現在の滋賀県)を本拠地とする息長氏の出身。
とっても余談ですが、全国の佐々木さんの発祥地「沙沙貴神社」も琵琶湖のほとりにあります。
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古四王神社
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<御祭神>
大毘古命
四道将軍の一人
古四王神社は、阿賀北地方から北のみにある、蝦夷討伐のためにおいた柵のできた地方にある神社だそうです。(神林村は磐舟柵に近い)征夷・北方拓殖の守護神であり、そのため社殿は北向きに建てられています。
御祭神は大毘古命とありますが、明治期の報告書によると仏の四天王(持国天・広目天・増長天・多聞天)とされ、口碑では四菩薩(阿弥陀・薬師・文珠・普賢)を祀ったとされています。県から神仏混交であると指摘を受け、甕速日命・饒速日命・武甕槌命・経津主命の四神が祭神であると訂正されたそうです。
(資料:図解 にいがた歴史散歩 村上・岩船)
えーと……難しいので詳しい方、教えてくださいませ。
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どこまで続くの〜?
赤い鳥居をくぐり、階段を登った先が拝殿だろうと予想していました。が、その予想は大はずしでした。
階段を登った先には長い参道が待っていました。両端の土塁により先行きが見えず迷っているのか道を間違えたのか判断できません。雨天なら長靴がないと厳しい場所です。
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拝殿は雪囲いのためか中を伺うことができません。『図解 にいがた歴史散歩 村上・岩船』によると、社殿は北向きに建てられ、拝殿は格天井となっており、彩色の花鳥の絵が三十五枚、向拝の各所の彫刻は手の込んだもおのである。とあります。新潟地方の神社を訪れる際は雪囲いが外れてからが良さそうです。(熊が出る前に!と出かけたは4月10日)
祭礼日は7月12日なので、その日に伺うと中が見れるかもしれませんね。
社殿の床下には卵形の石もあるそうです。
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伝説と桜の名所 古刹 乙宝寺
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奈良時代創建の金堂の古材が使用されている。
松尾芭蕉も乙宝寺を訪れ参拝したそうです。『うらやまし浮世の北の山桜』とい句碑が残っています。当時より桜の名所だったんですね。
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本尊は弁財天(商売・学芸の神)
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真言宗智山派 如意山 乙宝寺
新潟県胎内市乙
天平八年(637年)に聖武天皇の勅願を受けて北陸一帯の安穏を祈って、行基菩薩と波羅門僧正によって建立されました。古くは乙寺と呼ばれていましたが、後白河法皇の御代に「乙宝寺」という寺名になりました。
<御本尊>
胎蔵界大日如来
(大日如来・薬師如来・阿弥陀如来 三尊形式)
<お釈迦さまの左眼が納められたお寺>
お釈迦さまの左眼が新潟に!? それだけでも驚きです。上杉謙信公も伊達政宗公も貴重な仏舎利を欲しがったそうです。右眼はインド僧婆羅門僧正により中国の甲寺に納められているそうです。
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お釈迦さまの左眼が納められているという
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<弘法大師ゆかりの清水>
弘法大師が独鈷(とっこ)で清水を出したという独鈷水(どっこんすい)。飯豊山より流れでた胎内川の伏流水です。
弘法大師と水にまつわる伝説は全国に1,500近くあるそうです。弘法大師(空海)は、星との関わりも強く、6月の佐渡旅行では弘法大師と水を追ってしまいました。結果、星にもつながるのですが。
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<今昔物語集にも載っている乙寺>
毎日お経を聞きにくる夫婦猿がいるので、和尚が「願い事でもあるのか?」と尋ねると、どうやら写経をして欲しいということらしい。木の皮に法華経を書いてやると、翌日から木の皮をたくさん持ってくるようになった。
写経の完了間近で二匹の猿は、ぱったり来なくなった。洞窟で亡くなっていたのだった。和尚は二匹の猿を念ごろに供養した。
それから何十年もたったある日、越後の国司として赴任した夫婦が乙宝寺を訪れ、あの時の猿の生まれ変わりだとつげる。
大事に保管していた木の皮の経文を出して見せると、夫婦は感極まって声をあげて泣き出した。それからこの寺を猿供養寺とも呼ぶようになった。
(新潟県伝説集成 下越編より要約)
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かつてはこの場所に五重塔が建っていて
仏舎利も納められていた。
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八所神社の御祭神は天照大御神、神皇産靈神、高皇産靈神、玉留産靈神、生産靈神、足産靈神、大宮女命、御食津神、事代主神。
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弘法大師のお箸の木と呼ばれている。
明治の火災により裏側が空洞になっている。
星を追っていたら 〜旅のふりかえり〜
一日にこんなに多くの神社・仏閣を訪れたのは初めてです。神社・仏閣・史跡巡りの初心者中の初心者なので、お見苦しい所がございましたらお赦しください。長い目で生暖かく見守っていただけますと嬉しい限りです。
一日と申しましたが、石船神社と大池巡りは2ヶ月経った別日です。桜の季節に巡った「村上市・胎内編」の旅ブログを夏至過ぎに公開することなるとは……。
星の伝説を追って旅をしていたら、なぜか「水」に出会う旅となりました。星を信仰していた古代の人々が「水」を求めていたからかもしれませんし、水のあるところに神社・仏閣が建てられたためかもしれません。
次は、荒川沿いに更に上流の旅をしようと思っています。資料をひっくり返していると、縄文遺跡のある場所には湧水が存在していることが多いようです。きれいな水場のあるところに人が集まって集落を作り、生活を営んできたのでしょう。
次回のキーワードは縄文・湧水・出雲・鉱山・オロチ・獅子舞
今秋には、旅ブログ第3弾を公開したいと思います。
その前に……旅ブログ第2弾は、佐渡編になる予定です。佐渡編では、とある神紋が気になって気になって、手掛かりがないか目下、読書中です。こちらも「星」に関する内容になりそうです。また読んでいただけたら嬉しいです。
■おまけの巻 村上市・胎内市の旅と食事
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岩船お菓子処 村恭 神林店さんの
塩チョコジェラート
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味噌ラーメン
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乙(きのと)まんじゅうやさん
事前予約で乙観光ガイドもしてくれるそうです。
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■おまけの巻 船玉神社と多岐神社
船玉神社写真1枚目、鳥居の左側にトンネルらしきものが見えます。
なぜこのトンネルが気になったかというと葛籠山に伝わる伝説に「仏穴」というものがあるからです。まさかこれが所在不明となった伝説の仏穴!?……のはずはない。新しすぎます。
<仏穴>
猟師が洞穴に迷い込み奥へと進むと、突然目の前に金色に輝く観音菩薩像が立っていた。以来、村人もその洞穴を通って参詣したそうです。猟師と一緒に洞穴に入った犬は、村上市岩ヶ崎のお滝様(多岐神社)から出てきたそうな。現在は洞穴の場所は失われている。
そんなばかな!です。岩ヶ崎の多岐神社は結構遠いですよ。葛籠山と多岐神社の間に川も平地もあるので、そこまで長い通路は難しいのでは?と思っていました。ところが、桃川にある多岐神社にも洞穴があったのです。伝説の仏穴かは分かりませんが……。
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<桃川多岐神社の御祭神>
阿多加夜努志多伎吉比売命(アダカヤヌシタキキヒメ)
桃川のおたきさま「多岐神社」には現在小さな祠しかないようです。男滝と女滝がありますが、滝からついた名称ではないそう。中世の山岳信仰の場所とされ、近年まで草や木も切ってはならないとされていたそうです。洞穴は横が約2.5m、縦と奥行が共に約2mもあるそうで、どこかへ続いているわけでは無さそうです。(それとも塞がってしまったのか!?)
他の方のブログを拝見させていただくかぎりでは、神秘的で神聖な雰囲気のある場所でした。
*阿多加夜努志多伎吉比売命は、出雲の大己貴命(大国主神)と八上姫命との間に生まれた御子。
<岩ヶ崎の多岐神社の御祭神>
湍津姫命(タギツヒメノミコト)
こちらの神社にも滝と洞窟があるそうです。(葛籠山からは、さすがに遠いような)海辺の遊歩道を歩きたどり着く源義経も立ち寄った風光明媚な神社だそうです。
*湍津姫命(タギツヒメノミコト)は、アマテラスとスサノオの誓約の際、スサノオの剣から誕生した宗像三女神の一柱とされる。
(訪れる機会がありましたら、写真を追加したいと思います)