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配信日記:にじシバラジオ#034 寓話としての『チ。-地球の運動について-』

 にじシバラジオMC兼にじシバ座長のともぞーです。
 今回の配信はMC小倉さんのおすすめコンテンツ紹介ということで、魚豊先生による『チ。-地球の運動について-』を取り上げたので、それにちなんでバナーでもコペルニクス先生を掲げてみました。もっともコペルニクス先生の時代に望遠鏡はありませんでしたけれど。

 ところで番組の中で話しているとおり、私は収録時点で『チ。-地球の運動について-』の漫画もアニメも見ておりませんでした。番組収録前には簡単な打ち合わせをするのですが、おすすめコンテンツ回の場合は収録直前になるまでどのコンテンツを紹介するか迷うことが多く、予習が間に合わないことが多いのです。にじシバラジオを収録している「スペースとプラン」の本棚にも『チ。』のコミックがあったはずなんですが、収録当日は誰かが持ち出していて読めなかったという…。

 で、収録後に『チ。』のアニメ第1期を見まして、その結果生まれたのが今回の配信の副題「寓話としての『チ。-地球の運動について-』」です。番組の最後のほうでも『チ。』の寓話性については触れていますが、アニメを見てその思いを強くしました。地動説の発見を描くといっても、史実をなぞっているわけではなく、むしろその知の伝達や真理への意思といった精神性を描くことに重きを置いているような。
 『チ。』の中で物語の推進剤の一つとなっている石の箱にしてもその箱が置かれている丘にしても、それらは位置関係するはっきりしない抽象的な空間として描かれているわけで(もしかしたら作中の星の位置関係から推定できるのかもしれないけれど)、天動説から地動説への遷移というテーマは作者にとっては先ほど上げた精神性を描き出すための道具のひとつに過ぎないと言えば、過ぎない。

 そうした寓意が込められている作品ではあるし、その意味では広く観られてほしい作品ではあるんだけど、アニメ版はいかんせん拷問シーンがちょっと辛い。これは完全に人によって評価が分かれる箇所だと思うし、NHK制作のアニメなのでそれなりに抑制も効いてるとは思うんだけど、それでも拷問シーンは結構描写がキツいなと思ってしまう。
 なんというか、寓話性・寓意性を優先するのであれば、そこまで拷問シーンを描く必要あるかな~という気はするんですよね。異端審問官は拷問を実際に行っていたのだろうし、真理の追求者と異端審問官の対比があるからこそ真理への意思という精神性が輝くという構造にもなっている。けれど、それと拷問の描写とはまた別とも思う。拷問の前後だけ描けば十分なんじゃないか、とか。

 と、ちょっと苦言も呈しましたが、『チ。』は寓話としてすごくよくできた作品だと思います。アニメ版も途中までしか観られてないので、続きを楽しみにしたいと思います!
 それでは来週の配信をお楽しみに!

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