にっぽんの夏がやってきました 家で水のシャワーを浴びるたびに あぁ〜なんて幸せって だってこの水は飲めるのですよ 国内にいれば当たり前ではあるんですが そもそも水道水が飲めるって国は10カ国らしい この夏も幸運を味わいます
この詩には「全ての悩める人々へ」と記されているそうです。 大きなことを成し遂げるために、 力を与えて欲しいと神に求めたのに 謙虚を学ぶようにと弱さを授かった。 偉大なことができるように健康を求めたのに より良きことをするようにと病気を賜った。 幸せになろうと富を求めたのに 賢明であるようにと貧困を授かった。 世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに 得意にならないようにと失敗を授かった。 求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた。
人工透析をしている自分にとって 一年で一番身体的に負荷のかかる日を なんとか乗り越えられたが、それは 前夜の透析で2キロ近く除水を残したので、かろうじて脱水症状や熱中症にならず最後まで立っていられたからだと思います 昨年よりver up してるわけです
この季節、倉庫で半日作業してたら まるで服のままでプールから上がってきた・・・ みたいになってしまう(-_-;) 途中で着替えることができればいいんやけどねぇ
【若き友の前途に】 もうすでに君は 違う道を歩むと決めていた 僕はそれでも まだしばらくはこの道を歩む 道は違えども 君が幸せになっているなら それでいい さち多かれと 僕は祈る
悪意の礫を投げつけられ 痛みはかなり感じていて ダメージもあるし悔しくもある それでも手を差し伸べ続け 届けたい
殴り倒されても 今はまだ倒れたままでいるわけにはいかない 負けるわけにはいかない
フードバンク活動が国内で始まってから二十数年経過しておりその存在はある程度知られるようになってきています。 その一方でフードパントリーはコロナ禍でその活動が広がりをみせたましたがフードバンクとフードパントリーの違いが認識されないままメディアで紹介されることがあったりで今はまだ混乱の最中のようにも思います。 ここでフードバンクとフードパントリーの違いを見ておきましょう。 フードバンク 企業や市民から集めた食品を福祉施設や生活困窮者支援されている団体、またこども食堂などに提供
世の中的には今更なんでしょうけど 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』 を思い出した 主人公の少年に叔父さんが伝えた言葉 「からだをこわしたらいちばんこまる人たちが、いちばんからだをこわしやすい境遇に生きてるんだ。粗悪な食物、不衛生な住まい、それに毎日の仕事だって、翌日まで疲れを残さないようになどと、ぜいたくなことは言ってられない。毎日、毎日、追われるように働きつづけ生きていくのだ」 中略 「ただ、いまの君として、しっかりわかってなければならないのは、君のようになんのさま
「正義」の厳密な定義になると甚だ不安定なものに感じますが、長年アフガニスタンの支援をされていた中村哲先生は「変わらぬ正義は、弱いものを助け、今、目の前で危機に瀕している命をどう救うか、ということなのです」と言われ、アンパンマンの作者やなせたかしさんは「飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても"正しいこと"に変わりません。絶対的な正義なのです」と云われる。 中村先生の数百分の一にも満たない支援、やなせ先生の万分の一にも満たない希望ではあっても、確かに助
「あそこまでは走ろう」をここまで続けて走ってきた どこかで倒れてしまうかもしれないし どこまで走れるかわからない ゴールは見えない
18年振りに再開した新プロジェクトXの録画をなんとなく見ていた。 前シーズンの頃は自分が中国に赴任、発病、帰国、入院、療養、再び中国で事業に取り組んでいたときと時期が重なってアップダウンのとても激しい濃厚な日々でしたがその合間合間にみていた中でも、やっぱり元バイク乗りのサガで本田技研工業がマン島TTレースに挑戦する回と町工場のヨシムラジャパンが鈴鹿でそのホンダに立ち向かう回が特に印象に残っていますね。 で、話は今のに戻りJ-PHONEがカメラ付き携帯を開発する回、日産自動
人の苦しみを和らげてあげられる限り 生きている意味はある ヘレン・ケラー
とても期待し大切な青年があることで躓いてしまった。新しい分野への挑戦なのだからコケたり躓いたりするのは当たり前なのですが、今まで何事もある程度順調にこなしてきてたがゆえにダメージを強く感じているのかも、と思う。 自分を振り返ってみれば 決意して挑戦したこともなんらかで躓いたとき「ポキッ」と折れてしまい二度と立ち上がることができなくなることは何度もあったなぁと・・・ 大人になって思うのはコケたあと再び立ち上がれることができるかどうかだということ、今風にいえばレジリエンスっ
夏休みなどの長期休暇に低所得の子育て世帯に食品支援を行っています。 夏休みに入ったある学校で児童が「先生なにか食べるものない」と聞いたことをきっかけとして山梨県で始まった取り組みを京都でも2018年からはじめました。 対象世帯は就学援助を受けている準要保護世帯、つまり一定程度以下の所得の生活保護をうけていない世帯です。 資源が潤沢であれば希望者全員に配ればよいわけですが、現実は程遠く 限られた資源を分配していますので、上記のような条件で案内を保護者に配布してもらっていま
国が少子化対策に本腰をいれるみたいな印象ですが、 それで本気?なんだろうかって思います。 アメリカのように移民を増やしていくことができないのであれば、 少なくとも子育てにお金がかかりにくい仕組みは必要でしょう 労働環境や晩婚化、未婚率などほかにもいろんな要素があって 今の状態を招いているのですが子育てにお金がかからないように するのは必要な条件で、それをスタートさせながら労働環境改善 なども取り組んでいかないと変わってくる兆候はみえてこないんではないかと。。 高等学校無償