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10.16 辞書の日

「私の辞書には、妥協という字は無かったんだよ」
肩を落として冷たいテーブルに顔を押しつけた。呻き声が勝手に口から出てくる。
ネイルの点検をしていた友人のミキは「ばっかねー」と興味も無さそうに言った。
このまま地中までめり込んで、暗くて温かい土の中で化石になるまで眠りたい。
「ミキちゃん内定三つも持ってるからって言葉が鋭いよー」
就職活動を終えて後は企業を選ぶだけのミキは、派手な花柄のワンピースを身にまとい、髪も染めてくるくるに巻いている。
一方私は三年ぶりに染めた不自然な黒髮にリクルートスーツという、知らない人が見たら友達とは思わないだろう出で立ちだ。
「ユミもさ、頭は悪くないんだからちょっとレベル下げてとりあえず滑り止め取っとけばいいのに」
呻き声がそのまま深いため息に変わる。
「妥協して就職なんて出来ない。私の辞書には妥協なんて字は存在しないんだから…」
「じゃあ、あんたの辞書には就職の二文字も無いね」
水の中で鈍い雷に撃たれたような衝撃だった。

「どうしたの、そんな薄暗〜い顔して」
リビングに入ると、母が煎餅を食べながらテレショップを見ていた。
「私の辞書には、就活という文字は無いらしい…」
ソファに倒れこむ私に、母は「ばっかねー」と吐き捨てた。
「改訂版出せばいいじゃない」
なるほどなぁと思うと同時に私は眠りの底に落ちていった。

10.16 辞書の日
#小説 #辞書の日 #辞書 #JAM365 #日めくりノベル

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