7.20 Tシャツの日
夏になったので、髪を切りに行こうと決めた。
ついでに頭のてっぺんだけ色が抜けて不良のようになってしまった髪色も直してもらうことにした。
猛暑日だ。外を歩くだけで汗をかく。
這々の体で美容院にたどり着き、受付カウンターで会員証を出す。
土曜日ということもあって、店内は八割の席が埋まっていた。
ぼんやりと立っていると、程なくして私の担当のO氏がやってきた。
真っ白のTシャツに、デニムのパンツ。何故か頭は茶色いウニのようになっている。
「どうしたんですか。その頭」
「え、夏だからだよ?珈琲と紅茶、麦茶、何にする?あっ、でも今氷切れてるから、冷たいの麦茶しかない」
汗だくでたどり着いた私は、喉の乾きを我慢してここでアイスコーヒーを飲もうと思っていた野望が崩され、半笑いで麦茶を頼んだ。
しかし、美容師とはそういうものなのか。まあ、そういうものなのかもしれない。季節感に合わせて髪を変える職業。
「それにしても、すさまじいウニ感」
麦茶を持って戻ってくるO氏には、私がウニ頭を見ていることは伝わっていなかったらしい。
神妙な面もちで「ごめん、麦茶も常温だった」と申し訳なさそうに頭を下げた。
「わあ、本当に温いですね」
わざと言ってやると、O氏は光の速さで話題を変えた。
「俺ね、最近白いTシャツしか着ないことにしてるの」
「え、何でですか?」
白いTシャツは万能だ。
しっかりした生地や形の物を選べば、それだけで十分オシャレに見える。
しかし、美容師に白Tは得策とは言えまい。何故ならカラーの仕事がある。
薬剤が付いたら、白Tはすぐに汚れてしまうだろう。
鏡越しに目を凝らすと、O氏のTシャツの裾にもいくつかの黒や茶色の染みが散っていた。
「…汚れますよね」
「そうなんだよ。汚れが目立ちやすいんだよ。でもさ、俺もうアラフォーだから、清潔感必要だなって思って。汚いおじさんに髪触られるのとか嫌でしょ?まとめて漂白も出来るし、案外楽だよ」
O氏はそう言って何故か堂々と胸を張った。
「あ、そういえば。独立するんですもんね」
そう。O氏はこの店舗を辞めて、八月に自分の店を開くのだ。
これからは自分の腕だけで店を切り盛りしていかなければならない。
白Tは、O氏なりの試行錯誤の一つなのだろう。
「清潔感と、自分自身の若さを大事にしていかないとね。客商売は愛されてナンボだからさ」
白いTシャツを着たO氏は、もう迷いが無いように清々しい顔で笑っていた。
O氏が明るすぎて、会社勤めで月々安定した給料をもらいながら仕事に飽きてきたとぼやいている最近の自分が、少し陰に沈んだ瞬間のようにも思えた。
自分の人生を自分で切り開いていこうとする男の姿は、間違いなく格好いい。
たとえそれが楽に上手く行く道じゃなかったとしても、挑戦していること自体に勇気をもらう。
「応援してます。新店舗も行きますね」
覚悟の白Tシャツは、これから彼の戦闘服になっていくのだろう。
夢を持って、努力をして、ニーズを的確に分析して実行できるO氏なら、きっとたくさんの客がついて店がにぎわうことだろう。
新店舗がオープンしたら、白いTシャツを着て遊びに行こう。O氏が好きなお酒もサプライズで買っていってやろう。
密かに心の中で計画を立ててにやけている私を、O氏は首を傾げて楽しそうに見ていた。
7.20 Tシャツの日
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