考えて、受け止める。
話の上手な人が好きだ。
話術の巧みな人のことである。
人を巻き込み、面白がらせる技術を持っている人って、なかなかいないよ。
・・・とか言うけど、この“巻き込める”“面白がらせる”は僕の主観。
面白がるかどうかなんて、ひとそれぞれ。
フロアを巻き込む、っていっても、ある人は寝てる、ある人は何言ってんのって思ってる、ある人は拍手はするけど聞いてない、みたいなのが現実なのかも知れないね。自分が、「みんなが巻き込まれてる」と思い込んでいただけかも。
僕は、自分で物事をめちゃくちゃ考える人間だけれど、
自分から行動に移すことを怖がり、やってこなかった。
人に誘って貰えると、その人は自分のことを信用してくれているんだとちょっと勘違いして喜んでいた。
人に巻き込んでもらって、人の創り出す面白さに乗せてもらうことが、多分好きだったんだ。
今日は、話のうまい方の話を聞いてきた。
話の進め方も、「フロアを巻き込んでいるな」という感じだった。
「わーい」と、全面的にそのまま雰囲気だけ感じ、巻き込んでもらおうとしてきたのが今までの僕。
しかし、今日の僕は違う。なぜなら、この間、自分と価値判断が違う人Aの意見を聞いたから。
話に”巻き込まれ”ているかどうかについて、考えを改めたのはAのおかげなのだ。そのおかげで、僕は自分が、話術にうまいこと”乗せられ”ていたことを自覚した。
その人は、筋の通っていない話は好きではなく、受け流すと言った。
そうか。それも価値観の一つとしてあるな。
・・・って思ったから、今日は、話や技術を楽しみながらも、本当に自分がそのまま受け止めても良い内容かどうか?を考えながら話を聞いた。
すると、
「この方は、こんな考えを持っていたんだな」
「だから、こういう行動を推しているのね」
「どういう考えや根拠を元にこれを話しているんだろう」
と、話を聞きながらもその方の考え方を知ることができた。
おまけに、話のうまい方はゆっくり、かみ砕いて話をしてくれるから、今日も考えていても話に置いて行かれることはなかった。
今回のお話をお聞きして有意義だったことは、その方の技術を、「ああ、そうしたら上手くいったんだね、じゃあ僕もまねしよっと」ではなく、
その方の、着眼点を見つけられ、考え方を知ることができたことであったと感じる。
自分の価値観と、人のお話を、自分の頭の中でごっちんこさせながら聞かなきゃ、
なんか損だと思った。ただ、巻き込んでもらう方が楽だし、省エネかもなんだけどね。
という話でした。
いいことありますように!