アルコール依存症の父親と、私のトラウマ。

人生の分岐点の、正しい答えを選び続けていたいけどそんなの誰にも不可能です。わかってるんだが…全ての正しい答えを早く知りたいから、臨終の床で観る走馬灯を早く見たかった。去年の5月に亡くなった祖父が少し羨ましかった。
間違った選択肢を選んでしまいました。もうこんなに恋愛で傷つきたくないや。だからなんでこうなっちまったのか考えてみました。


恋愛に関してトラウマがある。

ある女性が、アルコール依存症且つDVをする男性と恋に落ち、結婚し、子供が生まれた。
もしタイムスリップできるなら、若い母にこう言いたい。
「その男と結婚して子供を作るのはやめて、あなたはあなたのことを大切にして。
そうすれば、あなたにはもっと幸せになれる道があるはずだよ。」
母は父の境遇を憂いた。母は父を変えたかった。彼と幸せになりたかったんだと思う。
残念なことに、私が生まれてからも父は母を殴った。箸や食器が食卓の向こうから飛んできた。流しにはビールの空き缶がごろごろ。寝室で布団に包まっている私の耳に、両親の言い争う声が聞こえた。父は酒を飲み、翌朝に忘れ、寝ぼけ眼でふにゃふにゃ謝った。母はもうやらないならと謝罪を受け入れた。謝罪は裏切られる。父の夜勤が待ち遠しかった。旅先の河辺で拾った私のお気に入りの、人差し指で1点を指した手のような形をした石を投げ、父はガラスを割った。ガラスも石も思い出も砕けた。私は泣いた。もう同じ石はどこにもない。
父の「ノコギリでお前たちを殺してやる〜むにゃ」みたいな寝言を聞いたことがある。深夜に、母が必死に私を連れ出し祖父母の家まで逃げたことがある。
授業中にはじめて居眠りしたのもこの時期だった。前の夜に怒鳴り合いがあって眠れなかったんだと思う。
給食当番の帽子を忘れた朝、タンスに辿り着くため酔った父が眠る傍を、起こさないように抜き足差し足で移動したこともある。いびきの低音が怖かった、濁った川に潜む大きなワニのようで。
思い出すほどに変な子供時代だ。

父は酒を飲むと別の人間になる。
(一度だけ、母を庇った私の頬を父の拳が叩き、私は泣いた。両親は私を心配した。二人が団結していて少し嬉しかった。それなら、なぜ父は母を殴っていいと思ったのかな。父は母に甘えていたのかもしれない。)

やがて二人は離婚し、私は母と暮らした。

父と面会の日は苦痛だった。
気が重くていつも遅刻した。さやかはマイペースだね、と言われた。そうじゃないよ。
父に会うためでなく、父の家のPCでソリティアかDSをするために行った。ゲームばかりでなく構って、と言われた。時間制限なくゲームさせてくれると言ってなかったっけ?
外食をした時にストレスでお腹を下したこと。
出先の車の中で、父が私を抱きしめ愛している帰したくないと言い、私も、と答えながら全くそう思っていなかったこと。
父と出かけたディズニーランドは雨で、結局ずっと車の中にいたこと。さやかがここに来たいって言うから来たのに。違うよお父さんがデート行きたいっていうから言ったんだよ。もちろん言えない。だからディズニーランドは20才を超えても好きになれなかったこと。父から自身の生い立ちの話を聞いた。確かに同情はするけど、こっちだって傷ついているのだ。過去の自分ではなく、これからの自分を見てほしいとも言っていた。
ここに書けない類のやつも何個かある。

父の面会から帰ると、母の機嫌がすごく悪いのも苦痛だった。
離婚してくれて安心した気持ちと、父と母に戻って仲良くしてもらいたい気持ちが同時にあった。

中学生の頃、父は私に珍しく怒った。成績表を見せる順番が、家族の中で自分だけいつも遅いのではないか?
自分の母親を殴った男を優先する義理は無い。この男には他人の傷が見えないのだ!こいつに何を言っても無駄だと思った。期待して会ってた私が馬鹿だった。私は父に縁を切るとかなんとか言った気がする。その日から会っていない。ちなみに高校一年生の頃。私の入学する高校をどこからか聞きつけた父が、入学式で私を探していた。刺されると思った。今でも誕生日には毎年メール怪文書が届く。
だから街で眉の濃いおじさんを見かけると、胸の底がスッと冷える時がある。9割人違いだが。

出会う全ての男性の姿に、ラップ一枚分の薄さの父の面影が見えていた。

今はましになったが、男性が怖かった。
父は私と会うことを「デート」と呼んだ。私はデートという言葉が苦手だ。
まだ何も始まっていない男の子とサシでご飯に行くのが怖すぎて大泣きした夜がある。なんでもない家庭に生まれていたら絶対にしなくていい経験だった。

仲のいい夫婦、普通の男女の普通の幸せが分からない。父と母の結婚記念日にご飯行った、とかの思い出が全くない。2人とも結婚指輪してたのかな。
ピクサー作品に出てくる仲睦まじい家族を観ると今でも泣く。
自分の愛した女に手をあげる男の血が、身体に半分も流れているから死にたかった。

「たとえ私が恋して愛したとて、相手から手酷く切られるのだろう、私が父にしたように。私は恋愛や男女関係を以って幸せになることはできない。」といつしか自分に刺青を入れてしまったらしく、好きな人には連絡が途絶えるまでLINEしてしまう。この呪いの言葉は透明な色のインクで彫られていて、私以外には見えない。私にも、この記事を書くまで見えなかったが、たぶんあの時に彫ったのだ。これまでも、ずっとあった。刺青の通りなら私は振られないとおかしいから、振ってもらわないと安心できない。こんなんでいい縁になる訳がない。
書けば書くほど、自分の苦しさの原因がはっきりする。

なるべくしてこうなった。
私がこの結果を望んだ。

思い返せば相手が引いてることを感じるときもあった。でも目の前に状況があると行動が勝手にはじまり止まらない。私は人を好きになると別の人間になる(これはもしかして皆そうなのかな)。自分で自分を不幸にしている。ブレーキが壊れるまで走り続けてしまう。普通の恋愛で得られる幸せに憧れる分だけ頭の回転が鈍り、適切に相手の意思を汲めなくなる。
相手がいてこそでしょう、あなたはその人のことを大切にしたいんでしょう、という正気の私が出す声が耳に入らなくなる。
その人のこと好きなんだよね?
あなたの取ってる選択肢、お父さんのと少し似ていない?
今その人が私に抱いている感情は、
私がお父さんに体験させられたのと似ているんじゃない?

確かに同情はするけど、こっちだって傷ついているのだ。
期待して会ってた私が馬鹿だった。

あの人の顔をよく見てごらん。
どういう表情に見える?
まだなんとかなると思ってるの?
幸せな恋や愛に憧れるほど、身動き取れないね?
本当はこんなふうになりたいんじゃなかったよね?
目の前の、あなたが好きになったその人のことを
ありのまま見てあげて!




今回も出来なかったね。

ここまでくるともはや愚かで可哀想で、可愛く思えてくるよ、さやちゃん!


不器用すぎるのである。


普通の人が悩むことで普通に悩んで普通に幸せになりたい、と何度も思った。
そもそも普通とは存在しないのだが、ただでさえ悩みの絶えない分野である。
依存症親出身家庭の子どもにはどう考えても越えるべき山が多い。

私は生まれてしまって、こんなに大きくなってしまった。時間は戻らない。
全てを受け入れるしかない。

もしかして、トラウマは抑えてはいけなかったのかもしれない。押さえ込んだ圧力は、反作用して私は(多分私が好きになった人たちも、確かめられないけど。ごめんなさいって言いたい。)いつもそれで傷ついた。

このトラウマはいつも私の隣にある。この記事はそれを感じたくて公開した。
私はこの傷と生きてきた。
好きな人間と関わって怖くなるなら、怖くならない距離まで逃げながら、楽しい部分だけ味わえば良いのかも今は。今年の誕生日に友達が手紙で書いてくれた「自分を大切にね。楽しいのが一番。」てこういうこと?今更分かった泣いていいかな。私が不安になることなく笑っていられる関係は、私にとっても次に現れるかもしれない好きな人にとっても絶対に良い。だってその方がハッピーじゃん。お互いが幸せになるために人はきっと恋をするんだって、両親からは教わらなかった。
YouTubeに転がっている恋愛指南もカップルあるあるも未だ早過ぎる私の愚可愛おろかわいい人生。
ちなみに2。今年の父からの誕生日おめでとうメールにはそろそろ好い人できた?お父さんにも会わせてねと書いてあった。結婚適齢期の娘を持つ父親としては妥当な心配だね!!!!

ふーん、おもしれー親父。


親に呪いと祝福を同時に受けた全ての人たちへ、

独身でも結婚でもなんでもいいから、あなたの本当の望みを手にできますように。
一緒に幸せになりましょう。応援しています。

↓これを書く前日に読んだ漫画。読むべきタイミングで読まされました。試し読みできます。

2024/9/22 10:31

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