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3.21

3月21日は国連が定めた世界ダウン症の日です。

ダウン症は、受精後の染色体分裂異常などが原因で起こるものです。病気という人もいるし、体質とさえいう人もいます。

多くの染色体異常は、出産に至らず死産することが多いのですが、ダウン症は「異常が小さく」生まれることが他の染色体異常に対して多いのです。

人によっては、染色体異常があるということは、出産に至らないのが良いことだという人もいます。ダウン症というのは、心臓や他の臓器に生命にかかわるような合併症を持つ人も多いのです。

さて、出産に至る前に、ダウン症と診断することもできるようになってきました。ここからが大きな問題です。出産前(出生前)にダウン症とわかったら、出産しない選択をしていいのではないか。これが最近ニュースで偶に流れてくる出生時診断問題です。

産まれた子どもは、生きているし成長もする。情のうつる前になきものとしたほうが、親にとっても医療の負担を考えてもいいかもしれないと考える人もいます。不幸な子どもを産まないようにという言葉もあります。

私は考えるのです。人間の定義は二足歩行でも、道具を作れることでもないと。人間は人間であり、染色体が少々違っても人間だということ。そして安楽死と同じく、人の命は安易にいじってはいけないのではないかと。

障害や病気は不幸な事です。辛いことです。しかしそれを乗り越える力を生物の中で最も持っているのが人間であり、それこそが人間の定義なのではないかと。

そんなことを、医療やその他の科学技術が進んだ時代に、哲学として考えるきっかけになったダウン症やその他の染色体異常は、人間という種に膨大な貢献をしていくと考えることもできます。

染色体異常の中には、ダウン症よりも大きい命の危険を抱えるものも多く、生まれることの方が辛いと思えることもあるかもしれません。ダウン症も、長く生きるからこそ困難が長く続くこともあるでしょう。それらの困難を乗り越えるために、医療や福祉、行政の働きもとてもたくさん必要です。

最も必要なものは、人間の人間観、哲学や社会としての深い思慮ではないでしょうか。これまで受けてきた教育や社会経験以上の深い思慮を、宗教とかではなく科学的で普遍の深い思慮をする日であってほしいのが、世界ダウン症の日です。

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