最近流行りのおかしな日本語 ~波動編~
こんにちは!
必癒仕事人ことファクトカウンセラー™の梟 彩女です。
地球から孤独をなくす天命のもと、穏やかな周波数に調律するお手伝いをしています。
ここ数年、スピリチュアル界隈が盛り上がってますよね。
私はすごく素敵なことだと思います。各々が魂の声に気付いていく。
そして自分の決めてきた使命天命を全うして今世を活ききる。
最高だと思います。
私はまだ深めている途中ではありますが量子力学的な生き方を学ぶ1人です。
現象は全て光であり、素粒子であり、フォトンであるという考え方に深く感銘を受けています。そして確信を持っています。
さらには私は “言葉” や “表現” を大切にしていたりもします。
勿論、広辞苑や国語辞典の内容が全て頭に入っているわけではありませんし、人生も道半ばといいますか未熟者であることも自覚していますし、私自身間違った表現をしてしまったりもします。
直近で恥ずかしかったのは『サブスク』が何の略なのか知らなかった数年前。
当時、HuluやTVer等の映像関係のものを対象としていると勘違いしていて
勝手に “サブスクリーン” (意味的には、メインではなくサブ的に視るチャンネル) のような解釈をしていました。
若いお客様とお話する中で “サブスクリプション” という言葉と意味を教えて頂き、時代に合った賢さを得ることができました。
若い方でしたが紳士的で私をバカにすることなく、心情を汲み取って頂きながら教えてくださったことに本当に感謝しています。
そんな私がここ数年気になって仕方がない表現
それは
【波動が上がる (下がる) 】という表現。
私の学ぶ量子力学…というよりもっと大枠の物理学の視点からお話しすると
波動が上がったり下がったりすることはないというか…
言わんとすることは分かりますし、伝わるんですが…
そもそも波動とは物理の教科書でいうと
波の振幅と波長が伝わっていく動きそのもの (現象) のことを指すので
上がるとか下がるとかではないんですよね。
敢えて表現するのであれば大きくなるとか小さくなるとか。
波動が大きければ影響力も大きくなると推測されますよね。
『この世は波動である』というのはその通りだと思います。
この世は光であり、素粒子であり、フォトンでできているので
粒と波の両方の性質をもつフォトンですから
『この世は波である』ということを言っているのであれば私が学んでいるものと相違ないと感じます。
でも、最近感じることは
エイブラハムが伝えている『いい気分でいること以上に大切なことはない』という教えに様々な解釈が加わり
波動が高い = 気分 (機嫌) がいい
のような意味合いで使われているように感じるんですよね。
全く意味の通じない間違いかと言われるとそうも言いきれない部分もありますが、私としてはどうも気持ちが悪い (笑)
再度になりますが、波動というものは現象 (結果) であって
波動の状態を大きくしたりすることはできないというか、そうなっちゃってる結果なんだもんみたいなことしか言えないんですよね。
ではどうやって波を大きくするのか。どうやって高い影響力を与えるのか。
さらにはどうやって良い現象を起こすのか。
一番本質的な答えは
周波数を高くすること。
大きな波、大きな結果を得るには
震源地のエネルギーが大きいことや周波数が高いことが必要不可欠です。
そう、動きを大きくするには震源地が重要なんです。
その震源地のことをスピリチュアルの先生方には説いて頂きたい。
私自身 “氣” を学んだりするからこそ、より大切にしたい “イメージよりも理論”
私の世代ではないアニメで《波動砲》なる攻撃法を描いている作品がありますが、まさに分かりやすいなと思うんですよね。
波動砲は打った後が重要なのではなくて打つ前のエネルギーが重要なんだと思うんですよね。(多分、ウィーーーーンゴゴゴゴゴゴゴの時)
打った後は『あーもうちょい右、右!』とかできないじゃないですか。
私の感覚では『波動を上げる』という表現をしている方々は打った後の波動砲に対して『あーもうちょい上、上!』って言っているのと同じなんです。
高い波動という表現も同様ですね。
多分、高い周波数とごっちゃになってるなって思います。
言葉や表現の正しさなんていうのは重要ではないのかもしれません。
実際気持ち悪いと思いつつも言わんとしていることは分かるのですから。
ただ、人を導いていこうとなったときに『ニュアンスで』みたいなことでいいのかしらとも感じています。
多分、『ニュアンスで』が通じるのは日本人同士だけだと思います(笑)
実はこの言葉の違和感は私が持っていたものではなく、量子力学的な生き方を教えてくださっている先生がお話されていたことです。
先生はそんな細かいことには構っていられないほど各地で求められ活躍されているので、気にはなるけど気にしていられないんじゃないかなと。
でも私は気になりだしたら気になるんですよね。
どうしてか。
『アイスコーヒーになります。』という接客に物申したい人だからです。
この意味はいつかまた。