麻布ヒルズのエルメス バーキンと「祇王」
■「世界の投資家たちは再び日本に熱狂している」英エコノミスト誌がここに来て日本経済を「待望のチャンス」と絶賛する真意 2023/12/2(土) 7:02配信 現代ビジネス
世界から見た「日本経済」の今英誌「The Economist」。世界で最も影響力がある週刊誌である。その最新11月18‐24日号に掲載された日本経済についての2本の記事が、かくも本質を衝いているのには舌を巻きました、と首相官邸幹部からメールを頂いた。
<世界の投資家たちは再び日本に熱狂している。ウォーレン・バフェット氏はこの春、10年以上ぶりに東京を訪れて、日本企業へのエクスポージャーを提供する5大商社の大型株を保有した。先月、世界最大の資産運用会社ブラックロックのラリー・フィンクCEOも日本の首都の巡礼に加わった。彼は岸田文雄首相に「歴史は繰り返される」と述べ、この瞬間を1980年代の日本の「経済の奇跡」になぞらえた。11月15日に発表されたGDP(国内総生産)の数字が期待外れだったとしても、投資家の楽観的な考えを損なうことはないだろう(筆者注・前期比年率で1年ぶりのマイナス成長となった) >。
冒頭記事部分引用
その「よいしょ」センテンス記事、今朝の記事(12/2付)にあった記事ですが、なんかの間違いじゃないかと、上から下まで隈なく読んでみたが、間違いかもしれないし正鵠にもとれたし、なんともいえない感想。
というのも、いまどき経済紙その他紙こぞって「失われた30年」お題目世相にあって周回遅れの日本が、勘違いトップ、というのは、どう解釈しても腑に落ちません。
まして世界はいま混沌状態で、何もしない何もできない日本に、そんな要素があるとは到底思えないからでした。皆さんだってそう想いませんか。(どこの宝くじが当たったというのか有えない僥倖)
まあ、そんなこととは別に、noteを書くにはネタ探しが必須ですから、最初、私の記事閲覧PVをみて、誰がどんな記事を探して読んだのか、それをリサーチします。なにもないこともあれば、宝の山を探すこともあります。
それで私の記事、「日本人は会社組織に所属していること自体にアイデンティティを感じている人が多かった」と言われます。毎日、満員電車に揺られて会社に行き、職場のメンバーと同じ場所と時間を共有する。この社会に存在してもいいんだ、という感覚を得る。日本の会社員の多くは長らく、そのようなかたちで仕事のやりがいや存在意義を確立してきたと言われます。聞き飽きた話でしょう。(成田悠輔対談記事 部分引用)」
(~人間と鳥の集団行動のアルゴリズム~ 2022年12月10日 08:25)
という記事に「スキ」を頂いた「いまじん」さんを遡ってnoteを読んでみたんですが、それ読んでいて時空を飛んで「イタリア」にまで連れて行ってくれたので、その続編を書いてみたいとおもいました。
イタリアの話しですから、「中世ギルド」の手工業バッグ屋発祥ですから、法外特別価格なバッグが日本でも販売されております。ちなみに参考データを検索してあったのでメモしておきます。
■エルメス バーキン 30cm 056389CK バッグ1800万円(中古)。※バーキンとケリーバッグの違い。ケリーバッグはハンドルが1つで、バーキンは2つです。 そしてケリーには、外側ポケットが付いていません。 収納力にもこだわりのあるバーキンは、フロント・背面にポケットがありマチの幅を調節できるサイドベルトが付属しています。 また、ケリーの25以上のサイズにはショルダーがついていますが、バーキンには付いていません。2023/05/18 Google検索
としても、その違いを知っている人は日本で数人しかいませんから、タダの老婆心なデータです。
現在、そんなイタリアに留学している「いまじん」さんの話しです。実に面白い。以下、「いまじん」さんサイト文を引用したものです。(一部改編)
「大学を休学しイタリアに留学」いまじん著
実を言うと、これ、初の海外ひとり旅、それからヨーロッパも初上陸であり、イタリアに来るのも初めてだったりした。イタリアに来てから2ヶ月が過ぎていた。
海外で生活するということは、言語や文化の違いがあり、家族や友人との距離が遠くなること、それから欲しいものが欲しい時に手に入らない、などなど、帰りたくなるような問題はいくらでも起こりうる。
そうなると、まず懸念したのは、ホームシック問題であった。
ところがどっこい、実際こちらは思ったよりも全然大したことなかった(今のところ)。家族や友人とは、ほぼ毎日LINEで会話をしていて、顔を合わせなくても送ったメッセージに「既読」の二文字がぱっとついただけで、すぐそばにいるような気になるし、今のところ問題なし。(これも現代SNSの影響※筆者)
時々、iPhoneのおせっかいな「*年前の写真」なんていう機能のおかげで、ああ今は会えないんだよなあ、とふと気付かされることはあるけれど。ほんとにそれくらい(残念ながら?笑)。
時差が日本から-7時間(こちらがお昼で日本が夕方、という具合)というのもちょうどよかったのかもしれない。
ただ私の場合、言語の壁においては持ち前の大っぴらな性格と、中学生時代に鍛えまくったアリアナ・グランデ仕込みのAmerican Englishのおかげで、英語さえあればどうにかなるだろうと思っていた。文化の違いだって、もともとNHKで放送されていた海外コメディドラマの自由な高校生活に憧れていたくらいだったので、そんなに問題ではないだろうという気がしていた。
食事のことも、私にとってはかなり気がかりだった。イタリアンといえば、パスタかピザ。それ以外に何がある?という感じだったのだが、まあその考えは暮らしてからもあまり変わっていない。
こちらでのランチの選択肢は、パスタ、ピザ、そしてパニーニ(サンドイッチのようなもの)の3択が基本(私の感覚では)。中心地にはイタリアンと同じくらい中華レストランも立ち並んでいるのだけれど、こちらは(店にもよるが)日本の中華のイメージでいると痛い目にあう。安いものは美味しくないし、そこそこの値段がしてもクオリティはまずまずだ(日本食料理店はあるが、日本語の喋れない中国人経営のなんちゃって日本料理店がほとんど)。
町中華のあの赤いのれん、そして炒飯に勝手についてくる中華スープがちょっとだけ恋しかったりする。日本だったら、中華以外にも、インドカレーとか牛丼、そばうどん、定食、焼肉の店だって昼から食べれちゃうんだから。食には本当に困らない国だよな、とつくづく思ったりする。
旅行に来ているわけではないので、外食で美味しいものを食べるにしても週に2、3回くらいで。自分で食事を作ることがほとんどなのだが、実のところ、和食を作るわけでもなく、ほとんど毎日パスタの生活を送っている。なんなら昼も夜もパスタだなんてこともある。ただ、パスタはパスタでも、こちらにはスパゲッティに、ニョッキに、タリアッテッレ、ペンネ、などなど、毎食パスタでも結構どうにかなってしまうのである。
小麦の取りすぎ、という問題はさておき、案外毎日パスタでも本当に全然大丈夫だったりする。日本食が恋しくなっても、都心であればアジアンスーパーが必ずあって、ありがたいことにお馴染みのキッコーマンの醤油やら、みりんにお米が売っているから、どうにかなる(今のところ日本の調味料はウスターソースしか買ってない)。
ただ、日本から同時期にこちらに来た友達はというと、一日に一回は必ず白米を食べないと落ち着かないそうなので、これは本当に人それぞれなのだろう。私の場合は、毎日のパスタ生活でも問題なく、なんならイタリアーナになりきって、サラダだってオリーブオイルと塩少々で美味しくいただいちゃったりしている。
あれ、全然大丈夫じゃん、っていう。もしかして、前世イタリア人だったのかな、ってくらい。最近は、当たり前に昼からビールかワインを飲むのが習慣になりつつある。そのうち、現地の人に染まって、通学しながら紙タバコ吸ってたりしてね(こちらでは歩きタバコは当たり前)。
<イタリアに来るまで、そして、こちらで生活してからの気づきの話を書いてます。こちらもぜひ!>
※https://note.com/imazins/n/n562ed31b293c 記事部分引用
まあ、現地グルメの品定め論評ですから、対外的に当たり障りない記事です。この記事の見出しが「ぶっちゃけ、全然日本が恋しくない件」、でしたから、そんな本人の気分とか主観がよく書けている表現だと類推しました。
それでおもったのですが、世代のギャップ(私との)というのは必然的に想定されますがそれは当然なことで、それについて云々、はないです。
で、そこに書かれている「グルメ」はとくにそれがイタリア、じゃなくても「麻布ヒルズ」でもいいし、テーブルのパニーニやエルメスなど今どき起業ベンチャーだったら、それ持っているし、とくに意識するブランド、ということでもない。(高いことは高いです)
まあパラドックス論でいったら、逆の逆で、そこにある価値観の普遍性というもので、高度に進化した文化結果と換言することもできるでしょう。
少し前の時代トレンドからしたら、西洋思考羨望の価値観というべきものでしたが、その「いまじん」さんのアクションは、そんなものの枠をまったく感じないという、真の意味でグローバル化した世代層、(Z、ミレニアム)と呼ぶのでしょう。
良く云う時代による価値観の変化、というだけでは尺に合わない、劇的な呑舟(どんしゅう、船を飲む巨大魚)が出現してきた、そんな気持ちに襲われたものです。
それを知ったのはこの世代枠の無辺なnote交友が可能にした結果であり、それを教えてくれたのが「いまじん」という今時、若い日本人女性でした。
※「いまじん」さんに御礼 12/2
人間と鳥の集団行動のアルゴリズム
薩摩琵琶「平家物語」が語る八百年前の伝記物語り(祇王、仏御前白拍子) 続 (時空を八百年飛んでイタリヤ、壇ノ浦、鎌倉、平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日に長門国赤間関壇ノ浦で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦い。1185年4月25日
ウィキペディア 《叙事説話仮想の遣いは八咫烏》
【解説】薩摩琵琶は、戦国時代に九州の薩摩地方で島津忠良(しまづ ただよし)[1492-1568]が、盲僧の淵脇了公(ふちわきりょうこう)[生没年不詳]に作曲させ語らせたことに始まる。
武士の士気を鼓舞する目的で作られ、詞章は教訓的な内容でした。安土桃山時代から江戸時代の始めにかけて、勇壮な合戦を扱った叙事歌曲が語られるようになり、江戸時代中期には町人の間にも広まり、娯楽として琵琶を楽しむようになる。武士の間で行われていた剛健な音楽「士風琵琶」とは異なった、艶麗さを持つ音楽「町風琵琶」になった。
明治維新以後、薩摩藩の東京進出に伴い、薩摩琵琶は全国的な広がりを持った。
『平家物語』に題材を取った曲。平家打倒の陰謀が発覚し、南海の孤島鬼界ヶ島に流されていた俊寛僧津(しゅんかんそうず)らの元に都から赦免状が届くが、俊寛の名がなく、すがりついて願うがかなわず、一人島に取り残されるという内容である。
【詞章】
某 都にて承り候も 俊寛一人は此の島に 遺し申せとの御諚なり あゝこは如何に何事ぞ そもそも我等三人は 罪も同じ 配所も同じきに 如何なればこそ我一人 この島に遺さるべきと 嘆くもいとど哀れなり
「祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)の鐘の聲(こえ)、諸行無常の響きあり…」—有名な「平家物語」の冒頭の一節である。
移ろうからこそはかなく、はかないからこそ美しいという、日本人が古くから大切にしてきた「無常の美」の世界が繰り広げられている。平家物語に登場する白拍子の祇王は義王と同じ人物。
祇王は清盛の命令に背いて出家してしまう。清盛に捨てられ出家することになってしまった哀れな女にはとても思えません。祇王の誇り高い強い意志を感じます。遊び女として割り切ってしまえば、かつて清盛の寵愛を受けていた女ですから、他の貴族や力のある男達からいくらでも誘いはあった。清盛ほどの力がなくとも、貢いでくれる男達によって「白拍子」として華やかな生活はできた筈。ところが祇王は、屈辱に甘んじることなく、自らの道を歩く。当時、清盛の手の及ばないところは出家の道しかなく、それでも、粗末な仮小屋に住むことを選んだのです。
そこには、自らの手で選び取った穏やかで安ぎの生活があったと思われる。この後に、出家した祇王のところへ仏御前もやってきます。仏御前は祇王の姿に自分の将来を重ね、清盛の館を出て、出家を決心して訪ねてきたのです。祇王のその誇り高い姿に仏御前は心惹かれたのではないかと推察される。
参照記事