それっ、いったい誰が読むの?
note審査員からの創作大賞2022総評まとめ2022年4月29日
「創作大賞」の結果発表が出たので、これをまとめてみました。私も駄作を数で出していたので、気にしてましたので書評など書いてみました。総じて過不足ぎみ、特にこれといって目立った作品はなかった、というのが各パトロンの所見でした。今回の該当作品を読んでいないので、私からどうこう云うことはできません。
は、昨年の私の書評です。
゛note審査員゛からの創作大賞2022総評まとめの、まとめ 2022年4月29日
今期「創作大賞2023年7月17日」(51.562数)~ですから皆さんも忘れず応募しましよう。うまいへた、など無視して数撃ちゃ当たる宝くじ、です。
この「創作大賞」に限って云えば「作家クリエイター」を目指して書いている訳ですから、あわよくば、各社メディア注目のクリエイターとして、売名したい、というのが本音でしょう。
作家(小説、漫画)になる、またなりたい、という意見をnoteでよく耳にします。で作家になって何を書くのか、という話しはあまり訊かれません。
勿論小説ですから、内容は千差万別ジャンルに限定なし、ですが、かりに推理小説にしても、゛刑事もの゛にしても単なる犯人推理劇では、誰も読まないでしょう。そこに何が隠されているか(人間ー有象無象)、という作家のセンスが問われるからです。また小説作家セールスの実態を考慮したとき、はたして売れない書籍事情(すでに新聞が瀬戸際)の中で、どうやって作家アーティストをアピールするか、という出版社の運命共同体根幹問題(歌舞伎俳優の市川猿之助は提訴もある)。ネット上の話題としてはYouTuberなど、話題というより物議先行型で、話題をとっているというのが実情でしょう。
もちろんその世代層をフォーカスすれば、難しい政治や経済、今話題のユーラシア戦争などスルーして、そのYouTuberに腐心するのでしょう。
昨日も「野呂一郎」先生の記事を読んで思ったのは、講義中の生徒スマホいじりに、打つ手なし、という本人の悲鳴と悲哀でした。その防御策と云ったとろで全国大学数万人対象、はたまた世界大学を考慮すれば千万単位なんて、全宇宙銀河恒星3千億の中の0.001パーセントの確率で、不可能だと云うのが判ります。すでにそのロジックは破綻していて、学生一人一人に、その実態を諭したところで馬耳東風は明らかです。
そうやって国力というのは衰微していくのでしょう。
そのスタイルは学生に限らず全国どこでも展開していて、スマホ片手に、場所をわきまえずフリーズしている姿は、だれも止めようがない。だからそれは一時代の断片であって、良し悪しの問題でなく、そんなことがあらゆる場に反映している、と換言できないでしょうか。
そして「創作」というテーマに振ってみれば、前述社会潮流がある中の創作ですから、やはり、相応の生産物しかでない、と云うのが私の持論です。
また、その仮想現実はないと仮定して超リアルな現場風景では、本を販売する地方の書店が閉鎖し、場合によっては後継者不在による廃業が、あちこちで起こっている。輪をかけて若者世代人口衰退というリーチが突き付けられて、国も社会もメディアも、まったく解を出せないという体たらくは、なんというべきか、この大きな流れは誰も止められないでしょう。
ある男女の会話「あたしのことせんぜんわかってないよね」、に返す言葉は「ああそうだけど、じゃその反諭をそのまま返したらどうなの?」という高尚哲学は、すべてに遭遇して、究極で戦争にいたる。
訊いてくれる、昨日、電子本が出来てアップしたんだ
題名は?
「胡乱」
それって誰が読むの?
わかん~ない、だから教えない
~~~
松岡さん自身は、あまり過剰に自粛すべきではないと考えていますか
松岡「自分が傷つくことも覚悟した方が良」
松岡正剛が語る、日本文化に必要な心意気と長い文章の強み 「過激な表現があってこそ、中道も見えてくる」
文・取材=松田広宣写真=林直幸 リアルサウンド ブック 2020.09.26
トゥーマッチな表現を追求する力がなくなってきている
――『日本文化の核心』では、例えば第11講「かぶいて候」で「いまの日本社会にはバサラ(中世の派手な格好をした武士たち)の心意気が足りない」と提言するなど、日本文化を今後、どのように発展させていくべきかのヒントが散りばめられています。改めて本書を著した理由を教えてください。
松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』
松岡:もともと僕は『日本流 なぜカナリヤは歌を忘れたか』(2000年/朝日新聞社)や『日本という方法 おもかげ・うつろいの文化』(2006年/NHKブックス)、あるいは『日本数寄』(2007年/ちくま学芸文庫)などの本で、日本について色々と書いてきたのですが、日本の神話、天皇制、大日本帝国や満州事変など、様々な歴史を含めて日本文化を語る際の語り口があまり確立されていないと感じてきました。
2000年代に入ると「クールジャパン」なんて言い方も出てきたけれど、なぜ天皇と将軍が並存していたのか、なぜ戦時の日本は満州を欲しがったのか、そのような歴史的な背景が抜け落ちた状況での和風ブームは、軽薄に思えるところがあった。
一方、マサチューセッツ工科大学の文化人類学者イアン・コンドリーなどは、最初に日本語のラップが出てきたときは「最悪だ」と言っていたのが、だんだんと「結構おもしろいね」なんて言い始めて、外から見た日本文化の印象が変わりつつあるのも感じていました。それ以前から、日本が海外のポップミュージックを翻訳する際には独自の工夫がなされていて、例えば桑田佳祐が「海岸」を「かいぎゃん」と発音したりとか、日本語を英語のように歌うことで洋楽と融和させようとしてきました。なぜこのような工夫がされたのかというと、日本がもともと無文字社会だったことが関係していると思います。つまり、縄文・弥生時代には文字がなかったのが、中国から漢字が入ってきた際に、もともとの日本語の発音と融合させて日本語読みにしていった万葉仮名の発想に近い。そういうルーツが今なお生きているんですね。
ーー現在の日本のポップミュージックを、歴史的な背景と接続して考えることもできるわけですね。
松岡:「シャ乱Q」なんて、カタカナの「シャ」と漢字の「乱」とアルファベットの「Q」を一緒にしていて、まさに万葉仮名のような言葉の使い方です。紀貫之の『土佐日記』などは、それまで貴族は漢字を使う習わしだったのが、あえて女性のふりをして仮名で書かれています。僕らが若い頃は、イギー・ポップなんかが上半身裸でメイクをしてパフォーマンスをしていたけれど、そういう文脈とは別に、日本には独自の“ジャパンフィルター”というべき文化の解釈の仕方が、歴史的に見てもあるのではないか。今回の『日本文化の核心』では、日本の歴史や宗教観に触れながらも、例として椎名林檎など現代のポップアーティストの名前を挙げて、そのことをわかりやすく解説しようと試みています。
――本書を読んで、日本は海外の文化をそのまま取り入れるのではなく、“ジャパンフィルター”を通すことによって独自性を獲得しているのだと感じました。一方で、日本で連綿と続いてきた「バサラ」や「かぶき者」のような過激な表現は昨今、コンプライアンスを重視するあまりに生まれにくくなっていると指摘しています。
松岡:差別用語を使わない、人を叱らない、自制/自粛をしようといった風潮が高まり、過剰さが避けられるにつれて、表現が抑圧されている部分はあると思います。歌舞伎も枯山水も茶の湯も、もともとは非常に過激なことをしてきました。能や茶の湯や枯山水などは引き算が過激で、舞台の上にほとんど何もないような表現を追求していますし、逆に歌舞伎では派手な格好で大立ち回りをしたりする。和事と荒事、あるいは和魂と荒魂といった観念は日本文化にとって大事な要素ですが、昨今はあらゆるものが抑えられて、トゥーマッチな表現を追求する力がなくなってきている。悪党やかぶき者、あるいは風流(ふりゅう)と呼ばれた美意識は本来、どのようなものだったのか。それを改めて捉え直すことが、日本文化を発展させるために必要だと思います。
――僧の一休宗純が、破天荒な振る舞いの中に禅の心を覗かせようとしたことを引きながら、表現には極端さがなければ中道も見えなくなると説いているのが興味深かったです。
松岡:一休禅師は格別にユニークです。男色も女色もするし、人の奥さんと不倫はするし。だけど大徳寺の管長として君臨もするし、文化人のマネージメントもする。茶の村田珠光、能の金春禅竹、花の池坊専好などは、独特の“一休文化圏”の中で活躍しました。彼の生き方や思想は仏教にもとづいたパンクであり、詩集『狂雲集』などは現代であればラップで表現されてもいいくらい過激なものです。そういう表現があってこそ、中道も見えてくる。そのような日本文化の本質は、ポップカルチャーに携わる人々にもぜひ知ってほしいです。
――しかし、コロナ禍以降、過剰な表現への抑圧はさらに強くなっているようにも感じます。松岡さんはどう思いますか。
松岡:僕もそう思います。コロナ禍で新自由主義やグローバル資本主義の行き詰まりが、いよいよ浮き彫りになった。政権の不甲斐なさといった問題のしわ寄せが、若い人たち一人ひとりにいっている。でも、若い人たちの多くは、その中で何を振りほどいていくべきかが見えていないようにも感じます。現在の息苦しさの要因は、コロナ以前からずっとあったもので、例えば昨今の日韓関係も米軍基地の問題も、日本が歩んできた歴史の結果です。その中で我々の文化がどのように発展してきたのか、一度立ち止まってじっくりと掘り下げてみることが大切だと思います。歌舞伎や俗曲も時代ごとにいろいろな規制をかけられながらも、新しい表現を生み出してきました。息苦しさを感じるのは、逆に次の表現へと向かうチャンスでもあります。
簡単に読み流せないような重厚な読み物を
――古今東西のあらゆる本について、長文の書評を掲載するサイト「松岡正剛の千夜千冊」は、インターネットが一般的に普及し始めた2000年にスタートしています。ときに時事ネタやご自身のエピソードを交えながら、あらゆるテーマを掘り下げるスタイルは、書評のあり方として新鮮であるとともに、その質や量も多くの読書家に衝撃を与えたと思います。このサイトを始めたきっかけは?
松岡:僕は当時、ニフティサーブからの依頼で、金子郁容、いとうせいこう、安田雪らとともにネットミーティングをしていたんだけれど、WEBサイトの表情やプロトコル、あるいはリプレゼンテーション力は、ほかのメディアに比べてイマイチだと感じていたんです。そこで、自分なりにその可能性を模索しようと、インターネットの片隅で二つのことを始めました。一つはイシス編集学校ーーインタースコアのISとインタラクティブシステムのISで、ISIS(イシス)と名付けましたーーで、編集術を学ぶためのインターネット上の学校です。
そしてもう一つが「千夜千冊」。インターネットの登場で情報がどんどん増えていくと、いずれは現在のSNSのように人々が細切れの情報を消費するようになっていき、体系的な「知」が失われていくのではないかという懸念から、むしろ簡単に読み流せないような重厚な読み物を毎晩のように書き続けてみようと始めました。取り上げるのは一人の作家につき一冊だけという縛りで、近松門左衛門、ダンテ、カフカ、ガルシア=マルケス、町田康、大槻ケンヂなど、時代やジャンルを横断して次々と書いていったのですが、やってみたらものすごく大変な仕事で、自分でも「しまった!」と思いました(笑)。でも、300夜を超えたあたりから、最初は数百人だった読者が数千人、数万人、数十万人と増えていって、手応えを感じるようになりました。999夜にホメーロスの『オデュッセイア―』、1000夜目に良寛の『良寛全集』を書き終えた後のタイミングで胃がんに罹ってしまったため、手術を受けたのですが、退院して再開したら今度は止められなくなってしまって(笑)。今やライフワークとして続いている感じです。
――昨今では、SNSでの短い文章が拡散されてしまうことから生じる弊害について語られることも多く、いわゆるスロージャーナリズムなどにも注目が集まっていますが、その意味でも「千夜千冊」は先見性のあるサイトだったと思います。
松岡:まあ、僕の場合は結果的にそうなった感じですが、もう少し長文を掲載するWEBメディアが増えていくといいなとは思います。インターネットは常に接続されているものなので、発信を継続していくことに意味があり、そこがパッケージされた本とは異なる部分なのですが、だからといってあまりに短い文章にすると弊害もおこる。本当は短くした方が僕も楽なんだけれど、最近、また長くなってきていて、これはもう病気みたいなものだよね(笑)。もちろん、長ければいいというものでもないのだけれど、例えばゲーテの『若きウェルテルの悩み』は中学生時代に読んだとか、あるいは20歳のときに先輩に勧められてカフカを読んだとか、読書体験はその時代の記憶とともにあるので、その感情を一緒に書くとなんだかんだで長くなる。
――「千夜千冊」を執筆する上で、気をつけていることはありますか?
松岡:いわゆる批評はしないようにしています。本を読んでいて文句が言いたくなることももちろんありますが、ケチをつけたらキリがないので、むしろその本の中で書ききれていないことを補充するようなイメージで書いています。だから、後から著者に「自分が何を書きたかったのか、『千夜千冊』を読んでよくわかりました」と言われることも多い。隈研吾の『負ける建築』について書いたときもそうでした。イメージとしては、人の歌をカバーして歌うような感じ。美空ひばりや松任谷由実、あるいは米津玄師のように歌うことはできないけれど、松岡流に歌うことはできるわけで、僕はそういうことをやっているつもりです。もし僕が批評家になってズバッと切ったとしたら、恐れられるほど厳しいと思います(笑)。
松岡正剛『千夜千冊エディション 宇宙と素粒子』(角川ソフィア文庫)
以下割愛
日本流 なぜカナリヤは歌を忘れたか
松岡 正剛(まつおか せいごう、1944年1月25日 -)は、日本の実業家、編集者、著述家。株式会社松岡正剛事務所代表取締役、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長、連志連衆會理事、角川武蔵野ミュージアム館長。
東京都世田谷区赤堤にある松岡正剛事務所。編集工学研究所、ISIS編集学校本部も兼ねる。京都市出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。
雑誌編集、書籍や映像の企画・構成など多方面で活躍。各界の研究者と交流し、情報文化の考察を深め、独自の日本文化論も展開する。著書に『知の編集術』『日本数寄』(2000年)、書評『千夜千冊』(2006年)など。
来歴・人物
誕生から青年期にかけて
京都の呉服屋に生まれる。3歳の時、父親の仕事の都合で東京・日本橋芳町に転居。桂三木助(3代目)が贔屓だった父親に、自宅から歩いて2分ほどの人形町末廣によく連れていかれた。12歳の時に京都に戻り、朱雀高校入学。父親の横浜出店に伴い横浜山手町の洋館に引っ越し、東京都立九段高等学校に通う(朱雀高校合格が決まった直後に横浜に越すことになり、神奈川県立の緑が丘高校や希望ケ丘高校のフリーパスの編入先を蹴って、東京の九段高校の編入試験を受けたとも言われている。)。
早稲田大学第一文学部文学科フランス文学専修進学。高校から大学にかけて、学生紛争の論客として鳴らす。
早大在学中は、早稲田大学新聞会に所属した。一方で教会、禅寺などをめぐり、量子力学と民俗学に関心を寄せ、様々な思索にふける。 大学4年の時に父親が多額の借金を残して死去したため、やむなく早大を中退。広告会社に勤め、営業活動のかたわら、高校生向けのタブロイド版の新聞『the high school life』を創刊。この時期、編集活動を通じて、稲垣足穂、土方巽、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、宇野亜喜良、横尾忠則らと親交を深める。とくに早稲田の先輩でもあった寺山修司からは『the high school life』の活動について「東京のヴィレッジ・ヴォイスである」と評された。
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