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立花隆の『田中角栄研究』は有効か?

 時間が経過すると右と左が逆転する!!!
いま、にわかに小沢一郎が再びスポットを浴びている。その本質を辿ると、1972年の日中国交正常化に帰結。そこには田中角栄がいて、それを追い込んだ立花隆がいた。

1972年(昭和47年)6月「日本列島改造論」を発表。
7月に田中内閣発足。
9月に中国を訪問、周恩来首相・毛沢東国家主席と会談、日中国交正常化を実現する。

立花隆「田中角栄研究-その金脈と人脈」児玉隆也「淋しき越山会の女王」の二本立、60ページに及ぶ田中角栄総理特集。

立花隆『田中角栄研究 全記録』(1976)、それから2年後に刊行された。文藝春秋・週刊文春・現代・週刊現代・週刊朝日・朝日ジャーナル等に書いたものを収録。

山崎行太郎の毒蛇通信 

世間では、田中角栄 を潰したのは立花隆の『田中角栄研究』(文藝春秋、1974)だということになっているらしいが、実際は田中角栄を潰したのはアメリカであり、意識的か無意識的かは別として、結果的にそのアメリカの手先として華々しく立ち回ったのが立花隆であった、ということは事情通の間では、今や常識であろうが、したがって今回の「小沢事件」でも、早速、立花隆が、小沢批判の急先鋒として登場してきたのもその前歴からして必然的だろうと思うのだが、しかし、おそらく今回の「小沢事件」では、田中角栄の時ほど上手くは行かないだろう。

むしろ、この「小沢事件」での立花隆の振る舞いによって、立花隆は、反国家的ジャーナリストとしての本質を露呈することになり、結果的に立花隆の「思想犯罪」は暴露されることになるだろう。
『田中角栄研究』以来の立花隆の「金権政治家」批判の言説の構造が、我が国の戦後史に何をもたらしたかを考えてみれば、それは歴然とするだろう。江藤淳は、それを「第二の敗戦」といったが、おそらく、76年の「田中角栄逮捕事件」こそは我が国の「第二の敗戦」の始まりであったと見ていいだろう。

しかるに、その「第二の敗戦」のお先棒を担いだジャーナリストが立花隆であり、その実行部隊が東京地検特捜部だったといっていい。そして、驚くべきことに、その「田中角栄逮捕事件」の構図は、現在、事件の渦中にある「小沢事件」の構図となんら変化していない。しかしその結末は、まだ予断を許さないとはいえ、僕の予想ではまったく異なったものになるだろうと思う。

立花隆はロッキード疑惑を

田中角栄による「民間航空会社全日空の旅客機購入疑惑」に矮小化し、本当の問題の核心であった「自衛隊の戦闘機購入疑惑」を国民の目から、隠蔽した戦犯である。国民は彼のプロパガンダに洗脳され、田中角栄を弾劾したが、角栄の一番弟子小沢一郎に仕掛けられた西松献金事件を目の当たりにして、国策捜査とはどんなものかを、検察が正義の味方なんぞではないことを、ジャーナリズムなるものがプロパガンダにすぎないということを、知ってしまったのだ。

その時点で、立花隆の田中角栄研究なるものが、いかに犯罪的であったかも、明らかになった。国民は、立花隆の旧悪のプロパガンダから、すでに解放され、立花隆が、何者であったのかを正しく理解していたのだ。にもかかわらず、愚かしくも、再びこの「小沢一郎研究」である。

先の民主党代表選挙で、「最後ぐらい言うことを聞け!」と小沢がまくし立てたと書いてているが、これはその場に同席した民主党議員により、「小沢はそんなことは言っていない」とすでに否認されている捏造された情報である。
ネットの画像でもそんなシーンはない。

米国による日本の支配と云う構図は異様なほど巧妙に構成され、組織化されている。その支配は政治・行政・報道に限らず、教育・文化と云う領域においても日本人の米国化が確実に浸透し、黄色い米国人が東アジアの島国に住んでいる状況を作り上げている。
その事実に、殆どの日本人が気づいていない位、その米国化は巧妙にウィルスのように蔓延している。その上、ここ1年半の間に、実は司法組織も米国の意をくむ組織となっていた事が今更のように判ったわけだが、その事にチャンと気づいた日本人は1~2割に過ぎない。
あまりに唐突な小沢一郎への検察の動きが下手糞だったお陰で、幾分かの日本人が、これは変だぞと思い至ったことは、或る意味で僥倖でもある。以前から米国の日本支配を知っていても、自分の立ち位置の損得から、それを論理のすり替えや気づかぬ振りをしてやり過ごす、多くのジャーナリスト、評論家、学者が大多数である。

昨夜、毎日新聞の世論調査の速報を見たが
≪参院選で大敗した菅直人首相の責任論については「辞任する必要はない」が80%に上り、「辞任すべきだ」(19%)を大きく上回った≫
≪9月の民主党代表選に向け、党内で小沢一郎前幹事長の影響力が再び強まることは「好ましくない」との回答が85%に達し、「好ましい」は12%にとどまっ た≫

だそうである。(笑)筆者の記憶が正しければ、日本のマスメディアは此処まで「金太郎飴報道」に徹していたわけではない。たしかに、敗戦国として戦後の歴史を歩み出した日本なのだから、戦勝国の支配が当初色濃く残るのは当然と言えば当然だ。
しかし、朝日新聞や日経・毎日が読売・産経新聞化し始めたのは、小泉純一郎政権以降である。この事実は日本の歴史において重大なポイントを示唆している。小泉以来、日本における米国支配は加速度的に逆行したのである。 幾ら敗戦国の日本の総理大臣だからと言って、小泉以前の総理大臣はそれなりに、宗主国・米国の要求に毅然と立ち向かう理念と気概、根性があった。

戦後の総理大臣の中で、目立って逆らった首相は、鳩山一郎、石橋湛山、田中角栄、大平正芳、橋本龍太郎等々だ。不慮の事件に巻き込まれたり、政治的敗北を喫したり、病気に見舞われている。
悪名高い米国ヨイショ総理大臣の吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘等々にしても、譲れない国益の部分では霞が関と手に手を取り合って抵抗しているのである。
敗戦後、時間が経過するに従い、常識的には戦勝国の支配と云うものが薄らいでいくと思うのだが、米国と日本の主従関係はその逆方向に加速度的に走りだしている。これは歴史への反逆のような不自然な現象だ。

なぜこんな現象が起きているのだろう。ここを注意深く見ておかないと、日本と云う国、気がついた時、トンデモナイ方向に引き込まれ、のっぴきならなくなっているような気がする。
もしかすると、もう手遅れなのかもしれない。「GHQ」支配から日米安保条約を経て、米国の日本支配はあからさまではなくなった。
そのように見せなければならない、国民感情が生きていたに違いない。戦後、複雑な心理で米国を受け入れた日本国民に対し、米国はそれなりに神経質でもあった。故に、多くの歴代総理大臣が、時に米国の意向に強く抵抗しても消されるようなことはなかった。
(記事引用)

週刊誌気になるフレーズ


阿修羅 記事 参考
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/366.html
http://www.asyura2.com/09/senkyo73/msg/213.html

※アトリエ和亜印 ライブファイル 和亜印 ファイル
https://blog.goo.ne.jp/atelier-waain-kobe-japan/e/265634579de39d1357e9b5f575741fb2

※立花隆研究2010-08-18 18:29:06 表示を確認 | 記事 より抜粋


執拗なバッシングはやめられなとまらない!!!
それは一種の快感だろう。そもそもその本質を判ろうとしないし、そんな手間ヒマのかかる作業はしなくて当然と思っている人間がもっとも得意とするパターンだ。

最大の理由は付和雷同であり流行であり一時の刹那感情でありバイアスである。そうしたことはネットが出る前からあったし、新聞しかなかった頃だって、それはあった。

1976年(昭和51年)2月ロッキード事件

アメリカの航空機製造大手のロッキード社による主に同社の旅客機の受注をめぐって1976年(昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件。

この事件は、国内航空大手の全日空の新ワイドボディ旅客機導入選定に絡み、自民党衆議院議員で田中角栄元首相が1976年(昭和51年)7月27日に受託収賄と外国為替及び外国貿易管理法(外為法)違反の疑いで逮捕された。
その前後に田中元首相以外にも佐藤孝行運輸政務次官や橋本登美三郎元運輸大臣2名の政治家が逮捕された。捜査の開始を受けてマスコミによる報道も過熱の一途をたどり、それに合わせて国内外からの事件の進展に対する関心も増大した。
そとて明らかにライバルの田中をターゲットにした捜査の急激な進展は、親田中の議員を中心に「国策捜査」として批判されることになった。椎名悦三郎(故人)を中心とした自民党内の反三木派が事件捜査の進展を急ぐ三木の態度を「はしゃぎすぎ」と批判し、さらに5月7日には田中と椎名が会談し、三木の退陣を合意するなど、いわゆる「三木おろし」を進め、田中派に加えて大平派、福田派、椎名派、水田派、船田派が賛同し、政権主流派に与するのは三木派の他は中曽根派だけとなる。
国民やマスコミはこのような動きに対して「ロッキード(事件)隠し」と批判したが、このような声を尻目に田中、椎名、大平や福田などの多数派は結束を強めていった。

色めき立つ国家権力「検察」
一方、吉永祐介検事を捜査主任検事とする東京地検特捜部はその後異例のスピードで田中を7月27日に逮捕し、起訴に持ち込んだが、三木とともに田中に対する捜査を推し進めた中曽根派出身の法務大臣稲葉修は、三木の政敵である田中の逮捕を「逆指揮権発動によるもの」とみなした田中派から、三木と共に激しい攻撃の対象となった。検察などによる捜査が急激なペースで進んだ結果、事件の発覚から半年にも満たない7月から8月にかけて田中や檜山、若狭などの多くの関係者が相次いで逮捕され、東京地方裁判所に起訴された。2016年の未解決事件のインタビューで堀田力は「核心はP3Cではないか。P3Cで色々あるはずなんだけど。(児玉誉士夫がロッキード社から)金を上手に取る巧妙な手口は証言で取れている。(そこから先の)金の使い方とか、こっちで解明しなきゃいけないけど、そこができていない。それはもう深い物凄い深い闇がまだまだあって、日本の大きな政治経済の背後で動く闇の部分に一本光が入ったことは間違いないんだけど、国民の目から見れば検察もっともっと彼らがどういう所でどんな金を貰ってどうしているのか、暗闇の部分を全部照らしてくれって。悔しいというか申し訳ない」と語った。

田中角栄首相 逮捕
田中は1976年(昭和51年)7月27日に逮捕されたのち、8月16日に東京地検特捜部に受託収賄と外為法違反容疑で起訴され、その翌日に保釈保証金を納付し保釈された。田中に対する公判は1977年(昭和52年)1月27日に東京地方裁判所で開始され、日本国内はおろか世界各国から大きな注目を集めることになった。その後1983年(昭和58年)10月12日には懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が下った(5日後に保釈保証金2億円を納付し再度保釈)。この第一審判決を受けて国会が紛糾し、衆議院解散のきっかけとなった(田中判決解散)。

田中はこれに対して「判決は極めて遺憾。生ある限り国会議員として職務を遂行する」と発言し控訴したが、1987年(昭和62年)7月29日に控訴棄却、上告審の最中の1993年(平成5年)12月16日の田中角栄の死により公訴棄却(審理の打ち切り)となった。
各被告の供述証書(検事調書)が検事の作文に対する署名強要という経緯で作られた事が判明しており、この様な検事の暴走行為は下記にもあるように他にもみられることではあるが、まさに「権力犯罪」、「国策裁判」と考えても差し支えない、という主張もある。しかし検事調書の作成にあたって一問一答を忠実に記録するのではなく検事が供述をまとめた調書に被告(被疑者)の署名捺印をさせる、という手法は日本の刑事裁判に一般的なもので、その是非はともかくとしてロッキード事件に特有のものではない。また一般にロッキード裁判批判論では、丸紅の大久保利春が公判でも大筋で検事調書通りの証言を行なった事実が無視されている。
(※ロッキード事件資料ウイキペディア)

この「ロッキード事件」現役首相角栄逮捕劇は、すでに古い事件として、いまでは風化の一途だが、国家権力は民主主義の根幹正義であるという認識を鵜呑みにするとこうしたことが生まれる。またそれを幇助した出版メディアもいまだに現役だが、その因果関係を糺すシステムが無いことが、こうしたバッシングがさらに持続するという体質を社会が暗黙で了解している。(今回は新潮社が俎上に上げられたか)。
「よってたかって」殴る蹴る、という暴力行為はさすがに見聞しなくなったが、この言論ネットでは、それがいまだ健在である、ということをみせつけた。
被害者(加害者)が出版社ということも手伝って、これまで仕事依頼のあったプロ作家たちがネットに記事を載せているが、ほとんど内容的には同じものだった。だからそれは社会的見聞また客観的な視点からすると参考にならなかった。


ウイキペディア


それらを活字媒体(紙印刷)の衰退という時代の象徴として語ったのでは、単なる項目の1点しかならず、象形文字ー輪転機ーデジタル印字の変遷で終わってしまう。
探るべきはー体質ーであり、集団のバイアスであり、付和雷同する人間心理であって文言で争ったとしても本質的にそれは殴る蹴るとおなじである。だからやめられな止まらない、その快感。

「寸止め」なき「新潮45」への抗議、これで問題解決するのか  中川淳一郎
NEWSポストセブン
 2018年10月01日 16:00
差別をめぐる世論の盛り上がり方が、最近、なんだかおかしい。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が休刊を発表した「新潮45」への猛抗議を振り返り、寸止めなき世界について考えた。

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「LGBTは生産性がない」という自民党の杉田水脈衆議院議員の主張を掲載した「新潮45」8月号への猛批判が吹き荒れ、全国各地で抗議デモが行なわれた。同誌は10月号で『そんなにおかしいか「杉田水脈」論文』という特集を展開し、7人の論者が寄稿した。
 その中には、文芸評論家・小川榮太郎氏によるLGBTを尊重するのであれば痴漢も尊重すべし、といった先鋭的すぎ、かつ珍妙な主張もあったため、再び大バッシングとなった。それを受け同誌は休刊を発表。新潮社前での抗議デモ当日の決定だった。
 杉田氏の主張は事実誤認も含んだダメ文章ではあったが、その後のバッシングはすさまじきものになっていった。本人が一切謝罪をしないのだから叩き続けるしかない、とばかりに反安倍政権派も巻き込んで活動家・リベラルメディアが共闘し、掲載した新潮社の責任問題を追及する声が相次いだ。 

いやぁ……。これで問題解決するの? 暴論を吐く者がいるのは世の常であるし、そこに対してその者を叩くのはまぁ、アリだろう。だからこそ新潮社に対するデモも行なわれたが、「気に入らない発言をする者は社会的に抹殺すべきである」的状況にもなったというのは実に恐ろしい。
 杉田氏の主張にも小川氏の主張にも私は一切共感はできない。ただ、その文章をもって掲載をした新潮社を叩き、すべてを許さないという論陣を張るのはいかがかとも思うのである。「寸止め」の概念はないのか。
 たとえば電車に乗ったとしよう。その場合、隣にデブな男が座っていたら正直ウザいと思う人もいるだろう。「このクソデブがいるせいでこの一つ空いている席は狭くなっている」と考えるからだ。だからこそこのデブ男がいない方が全体最適の考えからすれば幸福感は増す──これは明らかに差別である。

 ただ、「デブ差別」自体は社会的なイシューになっていないため、こんな考えをする者を批判しても共感はされない。実際私もここではなんとか極論を無理矢理出したのでデブ差別をしたいとは思っていない。「デブ差別をする人間を糾弾する」ということは、冗談としてしか受け止められない現状があるだろう。

 そんな中、LGBTが差別されていると訴えることはそれなりの共感を得る状況になっている。私自身は中学校と高校時代、アメリカの超保守的なエリアに住んでいた頃、「ホモ」と誤解されとんでもない差別を受けた。英語では「fag」と言うのだが、まぁ、イヤというほどこの言葉を浴びせられた。いかにアメリカが不寛容かを知って日本に帰ってきてその寛容さに感謝したが、今やLGBT当事者ではない周辺の活動家が、「LGBTを差別している」として日本社会への糾弾を活発化させている。

 これが果たしてLGBT当事者にとって良好な結果をもたらしたのかはこれから検証すべきであろう。ツイッターを見ると、当事者からは「私はLGBTではなく、ただのホモ・オカマだと改めて宣言いたします。LGBTのような差別集団とは一緒にされたくないわね」(月清氏)というコメントも出た。

 マイノリティを自身の政治的主張に利用するという姿勢は真に慎むべきではないだろうか。こう述べると私自身も「ネトウヨ」扱いされる。くそ。

●中川淳一郎/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。

※週刊ポスト2018年10月12・19日号

(記事引用)

2018-10-02 05:07:03 | 記事 より抜粋


ロッキード事件⑭~推定無罪という法理 2009年3月22日 (日)

平野貞夫『ロッキード事件「葬られた真実」』講談社(0607)は、30年という歳月は、ロッキード事件の真実を闇の中から引っ張り出してきた、とする。つまり葬られた真実が、白日のもとにさらされた、という趣旨である。

その葬られた真実の第一は、児玉誉士夫の証人喚問に関する陰謀である。
その陰謀に加担した黒幕は、中曽根幹事長である、と平野氏は指摘する。

また、三木首相に「刑事訴訟法47条但書」の知恵を授けたのは、衆院法制局の局長だった。前尾繁三郎衆院議長は、三木首相による解散・総選挙を阻止し、一方で角栄による「三木おろし」=総辞職を許さず、衆参両院議長裁定で国会を正常化した。

解散もなく総辞職もなかったからこそ、検察は刑事免責を条件とした嘱託尋問を行って、角栄逮捕に執着した。
田中角栄は、政権のトップ=三木首相、国会のトップ=前尾繁三郎衆院議長、自民党のトップ中曽根幹事長、司法のトップ=東京地検特捜部によって包囲された、四面楚歌の状態だった。角栄は、自分の包囲網に無頓着だった。
結果として、包囲網は、角栄を潰すまで狭められていった。平野氏によれば、田中角栄は「無罪」とは断定できないが、法理的には、「推定無罪」であって、せいぜい疑惑の政治家としてマスコミい叩かれる程度で済んだのではないか、という。

平野氏は、上掲書の「あとがき」で、次のように書いている。田中角栄は、2つの意味で無罪ではなかったか?

1つめは、ロッキード裁判で、日本の法制度にない「司法取引」と同等のものが導入されたことである。
アメリカ側への嘱託尋問を行い、証人が罪に問われることがないことを保証したうえで、彼らの証言から得た内容を証拠として採用し、角栄は有罪になった。
罪を問われることがないとしたら、証人は司直の言うとおりの話をしたとしてもおかしくないだろう。
この辺りの実相は不明である。

しかし、このような刑事免責を前提とした嘱託尋問が、法理論的には間違っているということを、後に最高裁自らが認めている。

平野氏は、民主党代表の小沢一郎が、『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論 (90年代の証言)』朝日新聞社(0606)において、角栄の裁判をすべて傍聴したあとに感想として、「ロッキード裁判は、司法の自殺行為」として、次のように語っていることを紹介している。

第一に、角栄が受け取った5億円を見た人がいないこと。
ロッキード社のコーチャン副社長、クラッター元東京支社長、丸紅の大久保利春専務らの誰もお金を見た人はいない。
最高裁判所は、裁判官会議によってコーチャンに免責特権を与えて嘱託尋問を行ったが、日本の司法には、司法取引による刑事免責などの仕組みはない。
田中角栄は、自分(小沢一郎)にとって、反面教師だった。

しかし、彼だけが責められてほかのことはねじ曲げられてもいい、という非論理性が、日本人のいけないことではないのか?
いま、小沢一郎氏は、西松建設による違法献金問題の渦中の人となっている。
平野氏は、次のように言う。
世界の司法の基本は、「推定無罪」であり、「疑わしきは罰せず」にある。
しかし、角栄の場合、「恣意的有罪」を与えられたのではないか?

角栄の愛弟子ともいうべき小沢一郎民主党代表が、いままた恣意的有罪を与えられようとしているのでないだろうか、という疑問が、少なからぬ人から問いかけられている。

平野氏の角栄無罪論の2つめは、「人道的無罪」論である。平野氏は、角栄は「裏日本」と呼ばれた日本海側を豊かにしようと立ち上がり、傾斜配分型の予算執行をした。

田中角栄は、「裏日本」が貧しさから脱するまでは、大きな役割を果たしたが、ある程度の発展を遂げてからは、その役割を終えてしまった。ニクソン大統領に対して、佐藤栄作首相は、「次の首相は、東大法学部を出た福田赳夫で、学歴のない田中角栄ではない」と発言していた。

つまり、平野氏は、エスタブリッシュメントによる「国策捜査」の危険性を指摘しているのである。
私大出身で地盤もない鈴木宗男。ノンキャリ外交官であるが、プーチン大統領誕生を世界に先駆けてつかんだ佐藤優。

彼らは、エスタブリッシュメントにとっての格好のスケープゴートになった。
小泉純一郎の「構造改革」の抵抗勢力という敵役のシナリオを押し付けられることになったのだ。
検察の捜査が国策の一環であることは否定できないにしても、それが恣意的に行われることが繰り返されないことを願う。

夢幻と涌源さん 記事引用


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■■(お詫び》 昨日5/2日下記、の音楽配信不具合(3日朝解消)で、有料記事購読の皆様には、ご迷惑をおかけいたしました。
よって、当記事は、その償いとして無料配信とし、2曲を提供いたします。(当記事執筆者racoco 對馬 昇 )2023/5/3.6:22


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