筋が通っている人はどこまでも筋が通っている
どのピアノの中にも調律カードと呼ばれるメンテナンス記録の紙が入っています。それぞれの調律師の、この紙への接し方を見るといろいろと勉強になることが多いです。
入っていた2枚の記録
今回のピアノには2018年5月の記録が書かれた前任の調律師の名刺と、2018年5月〜2019年まで数回のその方のメンテ記録が書かれた調律カードの2枚が入っていました。
実はこの前任の方は亡くなってしまったとのことで、お客様から今回こちらへのご依頼がありました。
前任の方が最初に調律をした際には、このピアノの調律カードは無い状態だったようです(よくある)。おそらくその方もたまたま新しい調律カードの持ち合わせがなく、持っていた名刺の裏に記録を書いてピアノに入れておいたようです(これもよくある)。
ここまではよくあることですが、その半年後、きちんと新しい調律カードを持ってこられて記載をされています。しかも前回名刺に記載した項目をきちんと新しいカードに転記してから。
これって当たり前のことかもしれませんが、なかなかここまで丁寧に記入をする方は珍しいと思います。
調律カードって調律師の中でも軽視されることが多くて、同じように名刺に書いたら次からもその名刺に小さな字で追記していったり、調律カードの書く欄がいっぱいになっているのに無理やり欄外に書いていったり、それも足りなくなったら裏に書いていったり。ひどいものになると商工会議所でもらったメモ紙にびっしりとランダムに書き殴ってあって、いつなにをやったのかもか全くわからないものもあったり...
記録とメンテナンスは比例する
家庭のピアノのメンテナンスで一番大事なことって、保守点検であるという部分だと思っているので、記録を大事にする方はそれだけで信頼できます。
目の前のピアノの状態はどの時期にどんな間隔でどういった作業をした結果なのか。現在の状態から過去を振り返って未来を予測して、現在ベストな作業をするには、記録を疎かにしては成り立たないと思います。
特に今回のように面識がなかったりコンタクトのとれないケースで調律師が変わったときに、今までのメンテナンスの流れがリセットされてしまうのはもったいないことです。調律師にとってははじめましてのピアノでも、お客様にとってはその前から変わらず大事な1台のピアノですからね。
そこをおろそかにしてしまう調律師の後にメンテナンスに行くと、残念な状態になっていることが多いです。
(なんでこんなふうにしちゃったんだろう...)
(なんでこの作業は中途半端なまま終わってるんだろう..)
(この作業はやってないんかい...)
正直なにがしたいのかわからないメンテナンスでモヤモヤすることも。
調律カードから見えてくるもの
今回の前任の方のように、当たり前の事に手を抜かない調律師のメンテナンスは何を目指して作業をされていたのか、簡素な記録とピアノを見るだけでわかるような丁寧で信念を持ったものに感じられました。
(このピアノのここを活かすためにこういう調整にしたのか)
(この調整はあの故障を予防するためにあえてずらしてあるようだからこのままにしておこう)
目指していたものが手にとるようにわかり、メンテナンスがやりやすいと言うか、話をしたわけでもないのにスムーズに引き継げた気がしてうれしくなりました。
ちゃんと西暦で書かれているのも助かります。ご本人の丁寧な性格もあるかもしれませんが、お客様への誠意が感じられて、自分もこうありたいなと勉強になりました。