榎本博明『〈ほんとうの自分〉の作り方』感想② 自己の確立・安定には悩み相談

前回までのあらすじ

・"ありのままの自分"を"自分の納得する自己物語にしたがって生きる自分"と定義する

・生きづらいときはこれまでの自己物語を書き換え、都合がよくて生きやすい自己物語を採用してみよう

"自己物語"を確立するには

 自分が何者であるかわからない、果たすべき役割を定められないといういわゆる"アイデンティティの拡散"は、本書の文脈では自己物語が不安定になっている状態を指す。

 自分の可能性を限定するのは、一見ネガティブなことのようで実は生きやすい状態ともいえる。あの大学のあの学科に入るのだと限られた科目をひたすら勉強していた受験期と、どこへ行くのが正しいかもわからないまま確証もない対策をしていた就活期では、後者の方が圧倒的に不安が大きかった。

 進む道を決めなくてはならないが、一人で悩んでもそう簡単に活路は見えない。私は特に人に悩みを打ち明けるのが苦手だったので、一人でぐるぐるしてばかりいた。

 本書では、"自己物語"を安定したものにする手法として人に相談することが推奨されている。

人に相談することで"自己物語"は社会に実体を持つ

 私たちは多かれ少なかれ、相手によって話題を選んでいる。
 自分が伝えたい感想を意図通り伝えるために、相手にわかりやすい適切なエピソードを選ぶ。理屈で裏付けすることもあれば感情の推移を説いてみせたりもする。

 そうやって個人の中のもやもやを他人に受け入れられる物語に成型したならば、そうやってできた"自己物語"は社会の中で実体を持ったと言える。社会の中で居場所を持たせるために、社会とのインターフェースである他人に語ることが推奨されるのだ。自己の体験を社会に向けて語る手法を覚えたならば、共有できる人を増やしていくことでより安定感のある"自己物語"に成型できるだろう。

 この主張を読んだとき、自助グループの話を思い出した。自助グループとは、アルコール依存症やギャンブル依存症などのメンタルヘルス関連の障害や困難を抱えた人たちが集まり、体験談や知識、情報を交換する場である。
 ある程度想像で語ることを許してほしいが、一人で抱え続けて悩みがヘドロのようになってしまったり、客観的に重症だと認定されてしまうと他人に打ち明けるハードルはより高くなってしまうように思う。どうせ理解されない、と思ってしまうからだ。
 自助グループは同じ悩みを抱えていることが前提の集団なので自己開示のハードルが低い。同じようなエピソードを持っている人たちも多く、それに自分が予期しないような解釈を与えてくれることもあるだろう。ここで語ることで、限りなく近くではあるものの自分一人だけの単元集合ではない社会のなかで"自己物語"が安定し、足場となっていくのではないだろうか。

 一人で回想や内省をしていてもグルグルしてしまうのは、それらが社会の中で実体化していないからだとも説明されている。
 論理的に矛盾しない(あるいは感情の推移が妥当な)一貫性のある"自己物語"を練り上げることは出来るかもしれないが、社会にさらされず秘匿された"自己物語"の社会性は保証されない。これでよいのだろうかと大きな不安を抱え続けるか、あるいは論理的/感情的に振り切れて極端な行動に走ってしまう。(当然論理的/感情的に正しいことが社会的にも正しいとは限らないわけだが……。)

人に相談することで"自己物語"は認識・修正しやすくなる

 "自己物語"を明確に認識し、行きやすい方に修正していくには他者との深いかかわりが必要だと説かれている。
 深いかかわりとは、お互いの生きている文脈のずれがクローズアップされるほどのかかわりである。その場限りの付き合いでなら相手の主張や思想がなんであれわざわざ口を出すことはしないが、深い付き合いとなればそうはいかない。親しい二人の間での互いに理解しあいたいという強い欲求が生じているから、考えの違いによる諍いが起きるというわけである。

 こうして相手との違いを認識することは、すなわち自身のずれ・自分自身を認識することでもある。
 また、相手の視点や考えを新しく取り入れることがあれば、それは新しい"自己物語"の材料になる。これまでの人生の解釈を変え、より生きやすい人生を切り開く可能性もある。

 自己開示するほど親しい相手同士は、当然互いの"自己物語"の重要人物である。二人の"自己物語"は軋轢や矛盾を生まないように更新・改訂されていく。生きづらいなと思った場合、自分を変えたいと思った場合は、今の自分にとって都合のいい"自己物語"と両立しやすい物語を持った人と深いかかわりを持つことも推奨されている。
 その過程で互いの物語に対する相互承認が繰り返され、より明確な実体をもって社会に根を下ろす。

個人的な感想

 先日、知人から自分の性格のある面を直したいのだという話を聞いた。そこで、「いきなり人格を変えるのは無理だから、この人の前やこの集団では意識してこうしてみよう、などと制限して試してみるのはどうですか?」と提案してみた。

 より生きやすそうな性質やこれまで自分を苦しめてきた性質を意識して、信頼できる人たち相手にだけなりたいように接してみるのは私も実践している方法である。それが案外しれっと受け入れられることも多い。
 この"自己物語"に慣れていきたいなと思っている。

 そういえば、悩みを相談されたときはどうするべきかを最近たまたま考えていた。私はそういうときは客観的な視点から相手の負い目を取り除いたり、相手の望みを察して背中を押すような根拠を探してきたり、(これは半ば趣味だが)気まま自由に興味をもって根掘り葉掘り聞きだすことにしている。"自己物語"の文脈でいえば、相手の"自己物語"の修正や整理を手伝っているということになるだろうか。これも続けていきたい。

 いまいち自分が定まらない人や生きづらい人、あるいは人間のことを考えるのが好きで好きで仕方のない諸兄にぜひおすすめしたい一冊である。(入手がやや困難なので、興味がある方は図書館を探すとよいかもしれない。)


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