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「栄養指導」を受けるひと

元病院受付をふわっとやってた自分には「栄養指導」というものに行かねばならない人たちって、直接話をする機会はなかったけれど、なんとなく自分自身に甘い人が多いのではないか、という偏見がある。
最後の最後で、ひとさじの砂糖を加えてしまわずにはおれないひと。
そんなイメージ。

先日、友人から「栄養指導ってよくわかんないとこ、行かされるようになって」と愚痴をこぼされた。
このときの私の心境といったら、「栄養指導に行かされるって相当やばい」である。
栄養指導に行きたくて行く人はいない。
確か、医師から「栄養指導に行ってくださいね」だかの指示が下されて、患者は栄養指導に行かねばならなくなるのである。(間違ってないと思いたい)
そして、私がたまたま見て来た「栄養指導」なるものの予約が入っている人は世間的に言ってもふとましい人が多かった。
疾患やもともとの体質の関係でそうなってしまった人がいるのかもしれないが、ともかく見た目は太っているに分類されてしまう人。

ちなみに、私の友人は昔から、太っている、に分類される子だ。
胸がふくよかすぎるせいで運動が好きじゃないのと、おいしいものを食べることが好き。
胸が重いと肩は凝るし動きは制限されるしで、運動好きじゃなくなるのは道理といえば道理だ。
おいしいものが好きなので、よく彼女に誘われた私はカフェやおやつを一緒に食べに行っていた。

「(栄養指導で)食生活を変えるか、運動して○×キロやせろって言われたんだよね」

そう友人に言われた私、もうどうしようもないな……と心の中で溜息をついた。
彼女の食生活事情を聞けば、まぁ、摂取するカロリーが多すぎるだろうことは想像がつく。
栄養指導が入る、ということは、カロリー計算をした食生活を送ることで、過剰なカロリーをまず減らせ、ということ。
あとは運動をしてその過剰なカロリーを消費しろ、ということ。
この二つが栄養指導で指摘されているのではないかと、私は想像した。

そして、彼女の愚痴からすると。
・食生活は変えたくない。(面倒くさいから外食は減らしたくない、働きながら家事料理するのは大変だし、無理だ)
・運動もしてると思う。

私が思うに、彼女の運動量が消費カロリーとして見合ってないから、カロリーはそもそも消費しきれていないと予想する。
おそらくカロリー計算をしろと指摘されているのはそのせいだ。
運動での消費カロリーと口から摂取されるカロリーが見合っていない。だからまず、摂取カロリーを計算しなくては運動量も決めにくいだろうと。
そこを管理栄養士は彼女から聞き取って話をすすめていきたいはずなのだろうが、肝心の友人にやる気がないのでどうにもならないのだろう。

「もしも外食を減らせないなら、外食したときの食事のカロリー計算をして、外食した夜の次の日は、なるべくカロリーの低いものを食べる、とかで調整していけばいいと思うよ? そうやって、バランスをとればいいんじゃない?」
そんな風な説明をしてみたし、やってみたら?とは私は言ったものの。
でも、たぶん、それは何度目かの愚痴を聞く限り、やっていないしやろうとしていない気がする。
まぁ、私の言うことなんて聞かなくていいしね……。

もちろん同情すべき点もあるにはある。
太っている人のとても大変なところは、太っているから動きにくい、動きにくいから動きたくない、動きたくないから動きが減る、というところだと思う。
そして、やせている人は言うに及ばず、標準体型よりちょいぽちゃ……な体型の人よりも、太っている人は努力をしなければいけない。出だしから出遅れているので、さらに努力する必要がある。動きたくないし、動きたくても思うように動けないのに。
まさに悪循環。
でも、太ってしまう前に、いや、太ってしまうことが実はからだによろしくないのだ、という認識の下で育っていけなかったことが不幸だったのではないかと思わないでもないのだ。
太っている人たちの中にいれば、太っているのが当たり前だから、太っていても問題ないと認識になってしまう。逆を言えば、やせている人たちって、やせているのが当たり前だから、やせていることは問題のないことだと考えるのだ。
当たり前、という認識を崩していくのは大変だ。
……からだの動きの制限と、自分の子供の頃からあった認識を改めていく作業は、当人の並々ならぬ努力が必要になってくるから。

とはいえ。
なんで制限されなきゃいけないの、と不思議そうに言われてしまうと、私はもう何も言えない。
……愚痴だから聞き流してほしいだけなのかもしれないけれど。
私はその愚痴に同情できないし、心の底から同意できないのだ。
彼女の心情を想像して、大変だよね、と思うことはできる。でも、それだけだ。

肥満、と医師から言われているのかわからないけれど、おそらく肥満体型だと病気にかかりやすくなる。
既に友人はいくつか病気を持っているみたいなので、だからこそさらに別の病気にならないようにする「栄養指導」というものがなされているのだ。

栄養指導、で済んでるうちはいい。
もしこれが、食べることが好きな彼女が糖尿病とかほかの疾患にかかったとしたら、食べるものはさらにもっと制限されることになる。
好きな時に、好きなものを食べられなくなる。
そのことに、彼女は恐怖を覚えないのだろうか、と私は余計なお世話と思いつつ不安を覚えている。

おいしいものを好きな時に食べたい、という欲求は私にだって存在している。
だからこそ、健康を維持する。
「不健康になったっていいや、病気でも私は食べたい物を食べる」って思うのは自由だけれど、それは病院に全くかからずに済む状態であるときに言ってほしい。
健康で楽しく生きていきたいから、ときどき食べたくても我慢もする。食べちゃったあとは、反省して食べる量を減らしてみたり、運動してみたりする。
そんな風でないと、帳尻合わせができない。
私は彼女に比べると比較的健康的な体型を維持できているようなので、すごくがんばる必要がない。
言い方を変えると、私は体型維持のために必要以上にがんばりたくないから、できることを少しだけやっておこうと考えている。

不健康な人が健康になるために努力が必要となってしまうのは、そのマイナス部分を埋めていくところから始めなくてはいけないからだろう。
だから先は長いやら遠いやらで、やらなくてはいけない本人がやりたくないって諦めてしまうのだと思う。

友人の愚痴を聞きながら、「肥満って病気のリスク高いし、この先病気かかりやすいからもっと大変になるよ、いいの?」とは言えないでいる。
聞き入れてくれそうならきっぱり言えるけど、たぶん耳をふさいで聞きたくない!ってなりそうなタイプだからな……などと思ってしまう。
そして、私自身が、彼女の健康を維持する為の協力を、労力と思わずやろうともしていない。

どうしたものか。

ひとさじの砂糖を、入れようか入れまいか。
……悩めるうちが花なのかもしれない。


栄養指導って調べてみると、病院のホームページばかりが引っかかる。
一応厚生労働省のPDFが引っかかったので、メモとしてはっておきます。
元リンクはなんだったのかな……。

特定保健指導の実践定期指導実施者育成プログラムhttps://www.mhlw.go.jp/bunya/shakaihosho/iryouseido01/pdf/info03k-04.pdf

これざっくり読んだかぎりだと、やせすぎの人も栄養指導入る可能性あるのかなあ……。

体重を月に一度の通院で量って一キロの増減のたびに医師が一喜一憂するという話を聴くと、毎日体重を測定して記録させていないような気もする……。それか、記録したもの自体がテキトーなのか。
体重計は彼女の家になかった気もするし、だからといってプレゼントしたら嫌味っぽいし。体重や体型の悩みって、話の内容やその人の考え方では相容れないものだよなあと嘆息してしまいそう。

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にわたつみ
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