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28才で大学入学、32才で内定6社の体験談をキンドルで出版しました。

はじめまして。

今は外資系企業に勤務しています。そこまでの道のりは非常に大変で、2回の大病をしました。それを乗り越えながら、

私は、27歳で一般受験を決意し、28歳で大学に入学しました。

そこでの学びは多く、32歳で卒業する時はありがたいことに6社から内定をいただきました。

この記事を書いた理由

当時、私が困っていたことは、社会人から大学に行ってその後の事まで書いてあるブログや記事、友達がいなかったことです。

ですので、もし、社会人から大学に行った時ってどうなるの?

若い大学生と一緒になじめるの?

就活はどうなるの?その後の仕事はなどなど、疑問に思うことが沢山ありました。

私のケースは数あるケースの一つに過ぎません。そして、大学が不要論も巻き起こっています。ただ、私自身感じた事は、私のケースは大学のことだけでなく、何か新しいことを始めようと決意した方たちと共通のことが多いと思っています。

また、大学は日本では18歳で行きますし、22歳で新卒一括採用をしていることは事実です。就活予備校と揶揄されていることも否定できません。

ただ、大学という特殊な場所でしか、味わえない経験や学びをできた自分にとっては、就活予備校とは思えず、人生の財産になったと思っています。

私はその考え方を共有したいので、もし面白そうだなと思っている方がいらっしゃったら呼んでいただけると幸いです。

ここには、実際に書いた原稿の一部をちょい読みという形で掲載します。

もし面白いかもなと思ってくれましたら、AMAZONのキンドルで出版しています。キンドルのUnlimitedに入っている方は無料ですのでお気軽に。

ここからちょい読み・・・・・・・・・・・・・・・

第一章 大学受験を決意するまで

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「お前、本気で言ってるわけ、わっはっはっは」
同僚の先輩に大笑いされた。理由は大学に行ったことが無いので、行ってみたいと話したからだ。


「やめとけやめとけ、もう二十七才だろ、今頃学歴があってもしょうがないぞ」
「今、大事なのは、社会人の経験値やスキルだろ」


ぼくも確かにそう思う。二十代中盤もすぎて、学歴が役に立つとは思えない。でも、実際に内緒で転職エージェントに行ったら学歴が無いから難しいとも言われた。

さらに、大卒の集まりの中に、高卒で広告代理店に入社したので、裁量のある仕事は任されない。


スキルや新しい経験を積むのが難しい。


そう、ぼくは二十七歳の高卒会社員だった。
ぼくは、毎日朝から働いて、終わるのは終電、寝るのは三時過ぎの生活をかれこれ二年過ごしている。月の残業は一〇〇時間を軽く超え、土日は夕方までベッドに寝ていることも多々ある。そして憂鬱な月曜を迎え、また死にかけた顔で一週間が始まる。


そんなぼくでも企画会議に参加させてもらうことができたときがあった。
会社の方針を上の方たちが話し合っている。


「それじゃあ営業利益が足りないよ」
「販管費を抑えよう」
「このプロジェクトのROIはどうなっている」
「リソースのアロケーションがおかしい」
「純利益が大事だろ、最終的には。ロングレンジはどうなっている」
などなど、何を言っているのか当時のぼくには全くわからなかった。


普通に中学、高校を卒業し、高校三年生の時に原因不明の病にかかり約二年間、寝たきり生活をしていた。


気が付くと二〇歳になっていた。何か仕事を始めないと思い、カメラ屋で現像のバイトを始めた。そしてその後、たまたま高卒だったが、未経験だけど広告代理店にガッツがあればということで採用された。
そこの広告会社は大きな会社だったので、ほとんどの社員は大学を卒業をしていた。


ぼくは同僚に大学に行きたいなと漠然と言った。会議中の言葉や経済新聞のニュースを読んでも意味が分からなかったので、もう一度勉強したかった。しかし、大学に行くということは、四年間、会社員を辞めるので、履歴書は全くキャリアにならない。そこで、同僚に相談をしたところ、大笑いされる始末だった。


ある日のこと、終電で家に帰り、疲れ切ったまま寝てしまった。起きたのは昼を過ぎていた。会社に電話をしたが、電話先から怒鳴り声が聞こえてきた。急いで会社に向かい、謝って、謝って、謝った。
もちろん、自分が悪いのだけれど、毎日終電で帰っていた身体がきっと悲鳴をあげていたに違いない。
身体が慢性疲労のようになると、心も苦しくなり、本当に毎日辞めたいと考えるようになった。
そこで、思い切って転職してみようと思い、転職エージェントに登録をした。


後日、面接の日程が送られてきて、淡い期待を持ってエージェントに会うことになった。


「非常に申し上げにくいのですが、あなたの希望の会社は書類すら通らないですよ」
「どうしてでしょうか。二~三年間ですが広告会社の営業をやってきたので何かないのでしょうか」
「大卒でしたらあるのですが、高卒になると会社の採用も厳しく」
「でも二〇代中盤なら、会社も学歴でなく、経験などを見るのではないでしょうか」
「一般論としては正解ですが、まだまだどこの会社も学歴を気にするところは多いですし、会社が経験を重視することはあっています。ただ、」
「経験ですが、あなたのこのくらいの経験なら沢山いらっしゃるので、あまり、響かないですね」


(がーん)


ぼくの頭の中で鈍い音がした。学歴も経験もないなら、この会社に一生しがみつくのか、それとも、自分で起業でもするのか。いや、それができるような人なら、こんなに悩まない。学歴も経験もない。


「あのう、理由はわかりましたがせめて応募していただけませんか」
「わかりました、応募はしますが期待はしないでくださいね」
「ありがとうございます」


その後、一〇社ほど応募をしてもらった。どこか、一社くらいは一次面接までいけるのではないか。
そんな淡い期待は一週間後に消えた。


「やはり、どこもいいお返事は無かったです」
「もう少し希望を下げられたらいかがでしょう」
「確かにそうですね。少し考えてみます」


結局は、この会社に居続けるしかないのか。
もしかしたら、居続けたらチャンスがくるので、そこでしっかり頑張ればいいのかもしれない。


ぼくは、一〇代のころは漠然と世界の会社で働いてみたいと思っていた。この世の中にはいろんな国があるし、いろんな文化がある。人生は一回だから外資系企業のようなところで働いたら、どんな感じなのだろう。もちろん、ハードワークと聞いているから上手くできないかもしれない。それでも一回くらいチャレンジしてみたかった。


そのあと、同じ会社内でも尊敬する先輩がいたので、時間をもらい相談することにした。
「お前の言いたいことはわかった」
「ありがとうございます」
「ただ、どう考えても俺は反対だ」
「なぜですか」
「日本の大学は特に学歴のために行くようなところだ」
「ええ、それは聞いたことがあります」
「では、仮にお前が今から学歴を取って意味があるか」
「分からないですけど、勉強をして、卒業すれば、今まで落ちていた書類選考に通るのではないでしょうか」
「甘いよ、約四年間も社会人のブランクがあり、今のお前の経験で卒業したら三二歳だろ、ますます苦しくなる」
「うぅ」
「大学出たからって、社会は全然甘くない」
「たしかに・・・」
「お前のために言うが、外資系に行きたい気持ちもわかる」
「はい」
「英語も話せない、大学も出ていない、経験もないのでは、さすがに厳しい」
「はい・・・・」
「英語の勉強をすれば、外資系でも、もしかしたら採用してくれるかもしれないから、そっちをやれ」
「はい・・・・・・・・・」


何も反論できなかった。当時のぼくの尊敬する先輩の一言は強烈だった。それは、そうだ、英語も話すこともできない。そんな自分が外資系の会社に入ろうなんて甘すぎる。先輩の言う通りかもしれない。
そんなことを考えてから、また一か月が経った。
相変わらず、残業が多く、身体は疲労し、土日は遊ぶどころか寝てばかりだった。
誰一人、周りの知り合いで賛成してくれた人はいない。
YAHOO知恵袋に、書いて聞いてみた。


「二八歳からの大学入学についてどう思いますか」
「今の環境から逃げようと思わないで、しっかり働いたほうが良いですよ」
という答えだったと記憶している。
ある日曜日に、近くの川沿いに行き、階段に腰をかけて、考えてみた。
その時、あることに気が付いた。

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もしご興味を持っていただいた方は、読んで頂けると光栄です。

私自身、悩んで悩んで、もがいた経験が今になって活きています。ただ、大学に入ったというより、悩んで、一歩踏み出したことは他のことにも大きく影響しました。いまでは、この経験から考え方もだいぶ変わりました。

それは、本気で悩んでトライしたからこそ、自分の体験として根付いたのだと思います。社会人から大学や大学院、留学、資格試験などにトライしている方、新し事に取り組もうとして迷っている方を応援する意味で書かせていただきました。

たったの1人の人間のケースでしかないですが、お役に立てれば幸いです。

もしよろしければ立ち寄ってみてください。

長文を読んで頂きありがとうございました、感謝。


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