あの夏の日〜クリームソーダの記憶
まだ今ほど暑くはなかった昭和の夏のある日、
ミーンミーンと鳴く蝉まで喜んでいるように聞こえるほど私はウキウキしていた。
ちょっとだけオメカシして
麦わら帽子をかぶって。
数ヶ月に一度の祖父とのデートの日である。
祖父は俳人でもあり、とても寡黙な人だった。
出かけるからとはしゃいでいると、物静かに、そっと背中に手を置かれ、フニャっと力が抜けるかのように心が落ち着いて静かできる。
怒ったり感情的にならずいつも冷静な人である。
行く先は「祖父のおねえさん」の家…
家といっても飛び跳ねたらグシャっと潰れそうな古い木造アパートで、そこに「おねえさん」はひとりでひっそりと暮らしていた。
駅から歩いてジリジリ照りつける太陽に負けそうな頃に到着するそのアパートは入り口の扉を開けたら二度と“こっち”には戻って来られないかのようで子どもの大好きな「ちょっと怖い」が広がっていた。
一歩踏み入れると外の眩しさから一転、
薄暗い空間にギシギシと鳴る手摺りもない階段、裸電球、共用洗面台から聞こえるポタンポタンと落ちる水の音…
その当時、最先端(だったらしい)の高層団地に住む私には見るもの全てが新鮮だった。
恐る恐る階段を登っていくと、目を凝らさないと見えない暗闇に引き戸が左右にいくつか並ぶ廊下があり、その一つ一つがそれぞれ別の人が住んでいることが信じられないほど静かで不気味だった。
コンコンと引き戸をノックすると
当時まだ50代のはずの白髪の老婆が出迎えてくれる。
「おねえさん」じゃないよ、おばあさんだよ…心の中で毒を吐きながらも“いい子”のご挨拶をする。
物静かな老婆と寡黙な祖父
ふたりが声を出すことはほとんどない。
生温い麦茶をもらいながら、学校はどうだ、最近は何が面白いのかと独身であろう老婆からひとしきり質問を受けると、“空気を読む”私は子どもらしく明るくハキハキと答える。
これで今回もお役目は終了。
「じゃ、またね」と引き戸を開けてギシギシ鳴る階段を降りる。
二度と出られないと思った扉はあっけなく開いて
また夏の暑さの中に戻される。
ここからがデートは本番。
乗り換え駅のターミナルにある喫茶店でお茶をするのだ。
コーヒーが大好きな祖父は
ここでの一杯が至福の時間なのだろう。
慣れた様子で窓際の席に座り、
私にはソーダか?プリンか?と聞く。
常に二択なのでメニューは知らない。
今日はソーダだね。
生意気な言い方にもぜったいに怒ったりしない
私のサンクチュアリな祖父といると
心が伸び伸びとするのを感じて私も浮かれている(心の中は大はしゃぎだ)
火照った身体に染み込むアイスの甘さを感じつつ冷えたクリームソーダを飲みながらさっきまで居たあのアパートを思い出す。
ひとり気ままに誰にも迷惑かけることもなく、
ひっそりと暮らしている人。
子どもながらに寂しくないのかな?とも思うけど、今ならなんと贅沢な暮らしかと思う。
後から知った「おねえさん」は戦中に疎開先で夫を失ってひとりになり大変な人生だったようだ。
祖父が時々、援助しながら様子を見ていたらしい。
淋しげな老婆に見えたのは苦労した証だったのだ。
その後、いつのまにかこのデートはなくなったので、きっと「おねえさん」になにかあったのだろう。聞かない方が良さそうなことには黙っておくのが美学…
今でもあの暑い夏のクリームソーダは鮮明に記憶に残っていて、とっくにオトナになった今でも
夏になると、ふと飲みたくなる。
大好きな祖父との2人だけの秘密の時間はクリームソーダとともにいつまでも。
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