言葉の記憶〜父親を嫌うムスメの話
おはようございます、
例年、この三連休の頃は東京でも雪が降ったりしますが
今年は快晴です。
成人の日
とくに良き想い出もない中、ふと思い出したのは
娘の成人を寿ぐでもなく、当時は最後のバブルイヤーで、短大卒の同級生はそれなりの就職先を決めた年でもあり、その雰囲気にまだ浮かれる父親からのひとこと。
「いいところに就職してくれよ」
その時はまだ大学生、就活もまだ先だと自分なりに学生生活を楽しんでいたので、「うん」とだけ返事して。
その後、パン!と弾けたバブルの煽りをモロに受け『氷河期』真っ只中での就活は“女子”と言うだけで採用されない時代になり、送っても返事すら来ないエントリーシート(当時はハガキに手書き)を徹夜で書く日々…
それでもなんとか財閥系グループの末端中の末端、
名前だけ借りたような会社に決まったのですが
報告した父親はその会社の名前に安堵し、
業務内容も聞かず、親戚にわざわざ電話して
「〇〇(財閥系)の会社に決まった」と。
子どもの頃から感じていた違和感はそのときに
ハッキリとその“虚栄心”がイヤだとわかったのでした。
見栄をはる
多少はあったほうが頑張る力や、見た目の清潔感に繋がりますが、そこだけを頼りにすると自分の本心より周りからの評価ばかりを気にするようになるのかな、と。
父親はその典型、見た目と名の知れたモノを欲しがるタイプで、それは母と娘にも当然に強要しました。
母には『美しくあれ、老けるな』
私には『(世間的に)いい子であれ』
思い通りにならないと暴力で抑えつけてまで。
この言葉にとらわれた私たちは父親の顔色を伺い
ご機嫌を損ねない生き方になってて…
私はnoteに書き出すことでそこに気づいたので離脱できたけど…
母はいまだに逃げるような暮らしをしながらも
意識してるのか、無意識なのか『かわいい見た目』だけが生きる指針です。
父親に言わせればそんなこと、と忘れているかもしれませんが、言われた方は暴力の記憶と共にインプットされ、心の呪縛から抜け出すのは容易ではありません…
イジメもこの原理ですね…
親の言うことは絶対、私のことを思って言うのだから
ずっとそう思って(思うことに)してたけど
ニンゲンである以上、親だって正しいとは限らないのだと切り替えていいのだと思います。
成人の日、
ふと思い出したことで長々となってしまいました。
オトナになったハタチのワカモノが
笑顔で過ごせる日々でありますように✨