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トライアル ミライある

朝一番に出社しブラインドを開け
最近LED化した照明をつける。
夏場はエアコンを最適に調整し、冬場はガンガンに暖房を”強”にする。
この習慣を続けて20年が過ぎた。

未曾有なウィルスや津波の脅威をこの場所で経験した。そのときの従業員は、ほぼ変わらない。
早出残業、週末や祝日出勤。暑い寒いの現場中心の仕事。
若い作業員は作業服やネームプレートが新しいままで去ってゆく。
残るのはいつもの顔ぶれだ。

若い若いと偽っても、知らぬ間にシワが増え身体の動きも鈍くなった。
どうにかして高齢者の作業を軽減できないものかとアイディアを貪るが、直ぐには思い浮かばない。

僕の仕事は港湾荷役だ。
大きな貨物船に荷物を積み海外に送る。
世界に誇る日本産業もすっかり技術を奪われ、最近は海外からの輸入品の仕事がメインになってしまった。
残業中心の給料形態は社会環境の変化により、残業をしなくなり、それに伴い自ずと給料が減った。
少ない給料を、早めに帰宅した家に持って帰るが肩身が狭い。
長くこの会社に貢献してきたつもりでも、結果は今の自分だ。
鏡の前に立ち、映る自分が情けない覇気のない顔だ。いつからだろう?日々の生命力をどこかへ置いてきたのは‥。

ここ20年の社会の変化は早い。
幽霊船のような古い貨物船はあまり見なくなり、最近はどれも立派な船が多い。
冬でもカンフーシューズにタンクトップだった、とある外国人の船員も日本人と見分けがつかない当たり前の格好をするようになった。
本船ブリッジの室内に入ると打ち合わせに使われる”シップスオフィス”があるのだが、決まって出してもらう飲料水は、木の根っこを水で浸した漢方水と言われたものが多かった。
それが今じゃ冷蔵庫から当たり前のようにCOKEと書いた赤い缶が「どうぞ」と出てくる。時代はこうも変わるものかと身を正す思いで赤い缶を頂いた。

税関は監視が厳しくなり、作業に使用する荷物を甲板(デッキ)に上げると中身を見せろ、と言う。僕が会社に入って間もない頃は、船員のお金を換金したり、煙草を買ってきてあげたり、寒い地域から来た船員からは毛皮の帽子を安く買えたりできたが、今ではその緩さが残念ながら通用しない。
いちばん大変だった買い物はガラスケースに入った、真っ白な顔をして着物を着た日本人形だった。ガラスケースは大きく、購入した額も十万円以上し、船の急で長いタラップを登る時は大変だったのが懐かしい。その時頼まれたのは西洋出身の船長からだった。僕はその時、若いながらに日本という文化は外国から見るとなんて美しく見えるものなんだ。と衝撃をうけたものだ。

近頃の荷役船やクレーンや重機にはカメラが付き、尿素と言われる二酸化炭素を抑える装置が義務付けられた。コストは労働者を差し置いて、環境優先に向けられている。

変わらないのは人間そのものだ。
躓けば怪我をし、歳と共に視力や聴力が悪くなり、休憩や休みがないと我儘を言う。
しかし、会社を支えるのは人間だ。
労働力となり、作業効率化を促進する良いアイディアも出してくれる。

労働者と親身に話す時は作業後の大浴場が穴場だ。
一日の疲れと汚れを落とした時に本音を聞けるからだ。
人の使い方、休ませ方、労わり方から上司たる理想像、作業の反省点など言い合えるのは裸がそうさせる。
労働力からお金を生み出して来た日本。
その労働力が今、軽薄になってきているのを働きながら感じると言う。
「俺たちを会社は、企業は、本当に必要としていますか?経費が一番かかるのは給料だ、と労働力を否定してませんか?」

一致団結。こんな良い言葉は労働力から生まれたものだ。
ひとりで開けれない扉も皆で押せば開く。俺たちをもっと大事にしてくれ。と、様々な武勇伝と昔話から日々の行動と信念。未来への展望を風呂の中で語り合う。

暇を持て余す高齢者を見下して唾を吐く若者たち。
それはうらやましさか、自分の将来の不安とのギャップを想像してなのか。
誰も信じないが、そこにいる高齢者は過去の日本産業を支えるどころか、後押ししてきた労働者だなのを忘れてはいけない。
誰も言わない。教えない。過去も放置作業。それがいけない現代社会。

さぁ。こうなったら思い切って余暇休日。
日本社会を温泉地へ連れて行き、熱い湯で温泉卵のように良い頃合いになるまで茹であげたいものだ。

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