変わらない12月5日のエピソード
12/5は彼女の誕生日だ。
24年も経つのに、いまだに彼女の誕生日を覚えている。
そして毎年この日を迎えると彼女のことを思い出す。
彼女と出会って僕は本が好きになった。
それまでちゃんと本を読んだことなんてなかったよな。
当時の僕は彼女が好きなものを必死でかき集めては理解しようと必死だった。
The boom 村上春樹 スピッツ
彼女とは大学生の時に3年間付き合った。
彼女は社会人で、学生の僕にはとても新鮮だった。
単館映画を彼女の車に乗って1時間半かけて観に行った。
行き帰り3時間。
映画2時間。そしてショッピングをすると楽しい週末はあっという間に終わった。
彼女は実家暮らしであまり遅くに帰ると怒られる。門限があった。
平日は彼女の仕事終わりに公園でデートをした。彼女の実家から公園は近く、彼女はいつもヨークシャーテリアを連れてきた。
公園を犬と一緒に散歩する。犬の名前はなんて言ったけな?
何年か前までは覚えていたが、忘れてしまった。あんなにもしっかり覚えていたはずなのに。
記憶は少しずつ彼女との思い出を時間と共に薄めてきているようだ。
あんなに大事に大事にしてきた思い出なのに。
彼女の写真や思い出深い手紙のやり取りは別れと共に悔しくて燃やしてしまった。
あの焦がれた恋の証拠も思い出と共に時間がそのうち燃やしてしまう。
夢のような現実ともつかない過去になる。
ひとつだけ残っているものがある。
クリムトの卓上カレンダーだ。
なぜかこれだけは今も仕事のデスク上に飾ってある。
僕はクリムトの絵が好きだ。
当時の彼女の一家は必ず正月やお盆には海外旅行に行っていた。
そのクリムトのカレンダーはその時ドイツに行ったお土産だった。
海外旅行から彼女が帰ってくると沢山のお土産と外国の話をもらった。
公園を何周もして話こんだ。
僕はその旅行の話を聞くのがあまり好きじゃなかった。
彼女がどんなに丁寧に説明したとしても僕には現実味がなかった。
海外旅行なんて一度も行ったことがなかった。お金が勿体無い。そう思っていた。
今思うと情けない理由だった事だと気付いたが、もう遅い。
世界の文化に触れ日本人は素晴らしい。と認識する。その価値観や文化の違いは生きていく上で必要ないと当時は強がっていた。ただ、お金がなかったのを言い訳にしたくなかったからだ。
なんか前に彼女の家の前を通った。
何回も
何回も通った。
なぜか?
彼女の家はなかったからだ。
引っ越したのだろう。
父親が亡くなったのは知っていた。彼女の父親は有名な人だったから直ぐにわかった。
おそらくご両親がいなくなったから、ここに住む理由もなくなったのだろう。
彼女の家の広い玄関と本が沢山置いてある彼女の部屋の記憶は今でも思いだせる。
楽しかった記憶。
彼女の本棚から本を取り出し、CDラジカセで色んな曲を聴く。
スピッツの新作も一緒に買いに行って直ぐに聞いたっけ。
そんな彼女との最後は突然やってきた。
久しぶりに地元の友達が僕の所へ遊びに来て3人で居酒屋へ行った。
普段は行かないチェーン店の居酒屋だった。
お店の人に案内されて席に座ろうとすると、彼女が僕らの隣の席にいた。
他の男性と食事をしていた。
彼女とは夜に食事をする事は滅多にない。彼女には門限があったから。
それなのに彼女は僕とは飲んだことがないワイングラスを机に並べワインボトルは既に空きそうだった。居酒屋なのにチーズをつまみにしていた。3年弱付き合ったのに僕の知らない顔の彼女がそこにいた。
ショックだった。
心にヒビが入ったように言葉も出なかった。
久しぶりに会った友達を店に置いたまま僕は店を出た。今直ぐにでも帰って布団に潜り込みたかった。
一度その時我に帰って店に入り戻した。
僕は彼女とワインを飲んでいた男性に
「しっかり送り届けて下さいよ!」
と大きな声を出していた。
気がつくと暗い部屋の中にいた。
彼女から何回も電話がきたけど、出なかった。
苦い思い出だ。
24年も経つのに今もその時の気持ちが蘇り胸がキュンと締めつけられる。
痛い記憶は忘れないものなのか?
それとも僕の深い場所へ押し込んだ痛みは、まだ古傷として残っているのか?
もうすぐ12/5がおわる。
彼女との良い思い出もある。
本好きな彼女の勧めで、初めて小説を書いてみたこと。その話の一部分をとても褒めてくれたこと。
彼女の会社の飲み会をオートバイで迎えに行った時にタンデムしてドライブしたこと。
「酔いがさめる。気持ちいいー」
と僕の後ろでわざと落っこちる真似してみたり。
あの時以来オートバイのタンデムはしていない。
彼女は今どこで何をしているのだろう?
僕の彼女を思い出す顔はまだ、当時のままだ。
来年の同じ日もまた彼女のことを思い出すだろう。
あの頃若かった僕はもう今ここにはいない。