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バイクと桜と想い出と

バイクで桜を見に行く。
それはたいして特別なことじゃない。
よくYouTubeやTwitterで盛り上がって投稿している人をみかけるが、気持ちは分かる。

それはやってみるととても”いいもんだ”から。

バイクに跨る時大体は”ちょっとそこらまで”となるが
ちゃんとした目標があり”ちょっとあの場所まで”となると面白さが倍増する。
それがさらに綺麗なものを見に、とか美味しいものを食べに、となると、さらにさらに倍増する。
写真も撮りたい
テイクアウトしたものをあそこに座ってあの場所を眺めて食べたい。そういったものもだ。

人との会話もそうだ。
いつもいる家の部屋の中でする会話と
とっておきの素敵な場所でする会話とは、内容もまるで違うものになる。
それは”心踊る”ということなのか
”気分がのる”ということなのか 
どちらにせよ場所がもたらす良効果。

「樹齢百年うつぎ沢枝垂れ桜。ポチッと赤いバイクを探せ。」
「屋根の上に舞う桜は小さい花弁の品種だからなのか舞い方が綺麗だ」

ミーハーかもしれない。
けど桜をみたい。
桜の名所を探してみた。
1番よく出てくる場所は弘前、青森合浦公園、十和田市官庁街、岩手公園石割り桜。。いいけど
遠くまでは行く時間がない。
近場で桜が綺麗なところはないか?
探すと
以前からフォローしていたサイトからとっても綺麗な桜を見出した。
おお!この桜半端ない。
艶・可憐・高貴というイメージ。なんだろ。とっても品がある。

【青森県五戸町うつぎ沢枝垂れ桜】
写真からも凄さが伝わってきた。
家からも1時間ぐらいでつく。
よし。ここにしよう。

「際立った素晴らしい桜。細い道を入っていくとすぐ分かるぐらい立派な桜」
「香りも立ち姿も垂れた枝も上品極まりない」
「桜隣の米倉?もなんだか相性がいい」

道は分かりやすかった。
細い道に入る分岐点には木材の手作り看板があった。その看板がある道を入っていくと、明らかに分かりやすく際立った桜が建物の背景から飛び出して見えた。
あれだ。すぐわかった。

「バイクとのツーショット」

バイクを停めヘルメットを脱いだとたん
桜の香りがした。
甘い?いやなんだろ
ほのかに鼻の中をくすぐる程度の
爽快な、甘いようなそれでいて全然くどくない香り。そう香りも品がある。

「枝下に入ると桜が自分を包み込んでいるよう」

桜は神社の真後ろにあり
境内を通らないと辿り着けない。
神社の入り口で礼をして中に入れてもらう。
そして目の前には大樹。
百年の歴史を感じさせる太い幹太い枝を這った桜の大木が堂々とあった。
桜の下に入ってみる。
傘の中に入ったかのように桜に包まれる。桜に抱かれているようだ。
傘のように枝が張り巡らしている。

桜の傘の中に入り上を見上げる。キラキラと白い小さな花びらが光り宝石のように品のある魅力をだしている。
ああ、こんな人間になりたいなぁ。
その立派な立ち姿に心を魅了される。
もし桜が言葉を喋れるとして
こうして目の前で「これをしなさい」と言われたら
無心で「わかりました」と即答できる。
何も反抗できなくなる。それだけ高貴な姿なのだ。

「空の青と桜のピンク。そして僕のバイク」

何人かお年寄りが見にきた。
僕の隣に来てこの大樹は何年ぐらいのものか?と聞かれ、百年。と答えると。
「ははぁ。今の若い人?は何でも知ってるのねえ」
と言うからスマホを指さしたら
「ははぁ。今の若い人は皆んなコレだものねぇ」
といまだにスマホを持たない派をどうやら貫いているようだった。
おそらくこのままスマホをいじることもなく‥
お年寄りは帰り際に僕に小さなチョコレートをくれた。
どこかの花見の集まりで頂いたものだという。
僕はチョコレートが好きだ。
遠慮なくもらい直ぐに口に頬張り桜を見ながら食べた。小さいけどとっても甘いチョコレートだった。
お年寄りになるとこの甘さを甘い。と感じるのだろうか。けっこう甘いぞ。このチョコレート。
できることならこの桜の下でゴザでも敷いて寝転んで昼寝でもしたかった。
昼寝起きに頭上に広がる桜を見て起きる。なんて贅沢なことしてみたかった。

名残り惜しいが帰る事にした。
お年寄り達は15分もいただろうか。
そそくさと帰っていった。
十和田市からここまできたのに15分。は、無いだろ。やはりお年寄りの感覚は鈍くさせるのか。これだけの華なのにもったいない。

神社境内を出る前に神社へ礼。
「いいものを見させて頂きました」
と。

そして、夜も見てみたい。
と欲が出た。これだけの桜だ。
夜もきっと綺麗だ。
夜も見ておきたいよな。
欲がでた。

よし夜も見よう。

「幹の太さ3.3M」
「あれでしょ。桜。夜だとめっちゃ目立つ」
「当たる光が白い花びらをなお白く輝かせる」
「なんという美しさ」
「やばい
「素敵すぎる」

夜にきた。
覚えたての細い道。
暗い夜道をどこかの家の飼い犬がうるさく吠える。
普段は人も通ることないだろう時間。夜空は星も無い真っ暗い夜。
そして桜の大樹があるあたりが勢いよく明るくなっているのに気づく。。
日中よりもライトアップされているせいか遠くからでもはっきりと分かった。
おおー。
なんていう美しさ。。
真っ暗い闇のキャンバスに可憐な白い桜が冴える。
これまた昼の顔とまるで違う。

日中見るときよりも白さが強調される。
ライトを当てられてるせいか迫力が違う。
あっそうか背景が、そして周りの景色が闇で無くなっているからだ。
まっくろいキャンバスに真っ白い桜が際立っているのか。
神々しい。
そして日中もやったように桜の傘下に入って頭上を眺める。
おおー。
これまた包容力がやばい。
大きな大木の傘に包まれ僕は桜に守られているよう。頭上から身体の側まで垂れる桜にキラキラと華やかに豪華。まるで異次元に連れていってもらってるようだ。
そこは幸せの国。
こんなに素敵なものを見ていると
自分も残りの命をしっかりと生きようと改めて思う。なぜなんだろう。
桜をみにきただけなのに何か大きな事を経験した後のような自分の生き方にまで神感される強いものを感じてしまう。

砂漠の中のオアシス。
宇宙から見た地球。
透明な海面から見える珊瑚礁。
そんなイメージか。
次元が違うのだ。

「生きていてよかった。思える瞬間がここにはある」

百年もこの土地で育ち
樹体を太らせ
可憐な花弁を咲かせ
ほのかな甘い香りを漂わす。
何人もの見学人に好感を持たせ
生きる希望をもたらせ
4月の新しい環境に希望をもたせ
心の希望を与えてくださったことだろう。

そして僕もそのうちのたったひとりである。

今回を機に毎年の恒例の心決めとして
また来年もその来年もこの地に勇気をもらいに来よう。

そう誓った。

真っ暗い帰り道。
何故か吠えられた犬は帰りは吠えなかった。
もう寝た?
それとも晩御飯を食べて満足した?
それとも桜を見た僕を何かしら認めたから?

家に帰るまで
桜が目の奥の脳にやきつき離れなかった。
しばらく余韻が冷めるまで時間がかかった。
”綺麗だったなぁ”
遊郭で生まれて初めて花魁を見るとこんな感じになるのだろうか?
いや、もっと上品で比べ物にならない感じ。
生まれて初めて見た高貴な美しさ。香りもなお高貴。。
咲いた桜並木を歩くより
たった一本の大樹の桜を見る。
僕は今回の方が性にあっている。
寂しい誰も来ないような場所にポツンといや、どでかく咲く可憐な桜樹。
それはまるで女の子と待ち合わせしてデートした。時の感覚に似ていたのかもしれない。

「また会いたい」
「睨めっこ」
「そしてエンドロール」

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