高校時代の吃音症

僕は高校生の一時期、吃音症になった。吃音という言葉自体は自分がなってから知ったが、それまでは読み方すらわからなかった。こうおん?みたいな感じ。

現在は人前で発表する時など、もちろん緊張はするが吃音の症状は出ないため完治したと思っている。

吃音のタイプにもいろいろあると思うが、僕は声が震えて止まらないというものだった。テレビなどで吃音症の特集とかに出られている方を見ると、僕の症状は比較的軽い方だったかもしれない。でも当時はつらかった。

吃音症になったきっかけは英語のある授業だった。お題は忘れたが班ごとにスピーチを作って全員の前で発表するというものだった。

僕の班の順番になり、黒板の前に立った。その段階ではそんなに緊張してなかったと思う。ちゃんと原稿は作ってたし、後はそれを読むだけだったので余裕かましていた。班員が横一列に並んで、順々にそれぞれのパートを読んでいき、僕の番になった。話した内容は全く覚えていない。ただ話終わったあと、みんなにすごく笑われた光景だけ頭に焼き付いている。馬鹿にした笑いなのか、それとも他の要因の笑いなのかわからないが、僕は笑われることを全く予想していなかったので、その状況にパニックになった。「えっえっ」って感じ。多分顔はめっちゃ赤くなって汗もびっしりかいてたと思う。発表が終わり、席に戻ってもまだパニックになってた。心臓がバクバクしていた。そしてこの日を境にして吃音症になった。この出来事がトラウマになったのである。

友達と通常の会話することには全く支障がなかったが、視線を集めて言葉を発する際は症状が出た。一番キツかったのは国語の音読である。教科書のたった数行を読むだけでも声の震えが止まらなかった。声が震えていると自覚すると周りから変な目で見られているんじゃないかと焦ってさらに声が震えた。だからどうか読む分量が少ないところに当たりますようにと祈ってた。

でも毎回文字数が少ない箇所に当たるわけはなく、誰が聞いてもわかる程に声が震えた状態で音読することも何度かあった。ほんとにキツかった。周りは別に僕の声が震えていることについて触れてこなかったけど、「こいつどうしたんや」って内心なってたと思う。

それからも吃音が治る気配はなく、僕は職員室に行って国語の先生に音読で僕を当てないでくださいと懇願しに行った。今思えばそれを言う勇気はあったんやな。 でもそうしないといけないくらい苦しんでたんでしょう。先生はわかったと言ってくれた。

とはいってもこの症状をこのまま放っていくわけにはいかない。今後の人生において人前で発表しない機会がないなどあり得ない。なんとかして治さないといけない。そこでとりあえず病院にカウンセリングを受けに行った。そして先生に症状を述べると、吃音は経験を積んで直していくしかないとのこと。簡単にパッと治るものではないと。そう言われてなんとも厄介な病気にかかってしまったなと思った。一応緊張を一時的に抑えるような薬はもらった。でもお守り程度のものだった。 飲んだからすらすら音読できるというものでもない。

それからも胸をトントン叩きながら深呼吸して緊張を抑えるなど自分で治療法を調べて実践したがなかなか治らない。物理の先生にも生徒に問題文を読ませるときに僕を当てないでくださいって言いに行って、そのときは泣いてしまった。情けない。

そして母親にも相談した。薄毛のことは相談してないがこれはした。そしたら友達の友達にカウンセラーがいるからそこに行ってみようということになった。

てっきり心療内科の先生かなとか思ってたけど、実際に行ったのはその人の自宅だった。なんと紹介してもらったのは催眠術士だった。別に怪しい人ではなかったと思うけど、当時の僕は怯えてた。あまり覚えてないけど、部屋の真ん中に一人用のソファがあってそこに座らされ、催眠をかけられた。だがしかし、僕には催眠が全くかからなかった。びっくりするほどかからなかった。僕がかかりにくいのか、催眠術士の力量が足りないのか、それはわからない。でもかかってないですっていうのも申し訳なかったから、終始催眠にかかっている演技をした。そんな自分に笑いそうになってた。

そんなこんなで僕に催眠療法は意味がなく(催眠が一概に効果がないとは言えないが)、結局人前での発表等の場数を踏んで治した。この日から完全に治ったというよりは気づいたら治っていたという感じ。大学での学会とかでは緊張はするものの、15分の発表くらいはできるまでになった。

当時はしんどかったけど吃音症を経験したことで会社などに吃音症の人がいても、その人の気持ちがわかったり、思いやって接することができたりするし、良い点もある。

あー、15分考えたけど、最後に何かいい言葉で締め括りたいけど書けない。

明日から仕事。頑張ります。



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