初めて自分で責任をとることを自覚した日
大学生の頃、2年ほどまともに授業に出ていない時期があった。
それでも4年間で大学は卒業した。
こんなんで、大学卒業できるのだから日本の大学制度は・・・なんて話ではない。
大学1年生は専門課程の授業がなく、いわゆる教養として様々な授業があった。
専攻科が異なる学生も一緒に出席する授業もたくさんあって、異なる学科の学生と仲良くなった。
授業はほぼ出席し、1年でとれる単位はほとんど取得することができた。
2年になって、自分でカリキュラムを組めるようになり、専攻科の授業が増えた。専攻科の授業が増えると、異なる学科と一緒に受けることができる授業は減り、専攻科の授業がつまらなくなるように感じた。
歴史学、英文学、心理学・・・今となっては、あのときもっと学んでおけばよかったと思うような人文学ラインナップだが、社会には役立たないような学問に思えた。
サッカーのサークル、夜のバイト、友人のアパートでの徹マン、合コンなど一通りの大学生活が忙しくなってくると、自分で決めたカリキュラムの授業を一つ、また一つとサボるようになっていった。
そして、取るべき単位を取らないまま2年間を過ごした。
在籍していた研究室には、よく顔をだしていた。
そこは社会学の研究室で、担当教官のアンケート調査の集計なども手伝ったりしていた。
当時の専攻科の中では、社会学はまだ世の中の仕組みを解決できる学問に思えた。
当時は「構造主義」とか「ポストモダン」とかの思想にカブレてたので、本当は思想史みたいな研究室があればよかったのだが、そんな研究をしてる教官もおらず、まさかソクラテスやプラトンの古代ギリシャ哲学でもあるまい、ということで、社会学に落ち着いた。
それでも、マンハイムやオルテガなどの社会学者の著作を読み込める機会に恵まれたのはよかったし、何よりも「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をはじめとするマックス・ヴェーバーの著作に出会えたのは、その後の自分の生き方に大きな影響を与えてくれた。
自分が社会学や現代思想にハマっていく一方、役に立たないと思っていた人文学ラインナップや、就職に役立つためだけの実学と思っていた法学、経済学などを敵対視した。
そして、何か敵対視した学問を学んでいる学生を、陰で軽蔑するという本当にどうしようもない学生だった。
プライドが高い一方、自分にも甘いので、何かと(自分に)いいわけをして大学をサボって、大学の3年には単位をとれず卒業できない可能性が高いことがわかってきた。
高校は義務教育ではなかったが、それでも大多数の生徒が同じ時間に学校に行き、必須の授業を受け、部活動を行うという強制的な学習システムにより学校に行くことができた。
高校は、社会学的に言うならば、ジェレミー・ベンサムが設計し、ミシェル・フーコーが社会システムとして管理、転用した「パノプティゴン」にほかならなかった。
大学は自由であり、それとともに責任を負う教育システムである。
どの単位をとろうがとるまいがそれは個人の自由。
ただ、単位を取れなければ卒業ができない。
当たり前の話である。
その当たり前が、当時の自分には本当に難しかった。
自由であるがゆえに、誰か(何か)のせいにして責任を回避していた。
ある日のこと、研究室で、敵対視する学問を学ぶ学生のことを揶揄したことがあった。
その時、言葉は忘れたが、ある後輩に自分の他責的な考えをたしなめられたことがあった。
内心、非常に腹立たしかったが、後輩のいうことはもっともで、このことを機に少しづつ授業に出るようになり、なんとか大学を卒業することができた。
たしなめられたあの日が、もしかしたら、自分の人生で初めて自分で責任をとることを自覚した日だったのかもしれない。
自分の人生を、自分で責任を取ること。
この当たり前で難しいことを継続していくことは今でも本当に難しい。
組織を離れて6年、今まさに自分で責任をとらなければならない生き方をしている。
あの日、たしなめてくれたあの後輩に、今でも感謝している。