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提言⑭ 責任ある「まちづくり」

 自分が勤務している事務所の目の前に広大な更地が存在している。

 半年前までは、空き家となった築90年の旧料亭が存在していた。

 10年前、旧料亭が閉業することを決めたとき、我が町の為政者はこの料亭の土地を買い取った。旧料亭を歴史的建築物と位置づけ、そこを中心市街地の賑わいの場所にしようと考えた。
 旧料亭の建物は所有者から寄付を受け、2,000万円の資金を投じ、内外装を整備した。
 

 しかし計画がずさんだった。
 この建築物は建築基準法上の「飲食店」であり、不特定多数の人が利用する「集会場」にするには、消防設備(スプリンクラーなど)の整備が必要だった。
 古い建物であるため、そこに新たに消防設備等を整備すると、さらに1億円程度の経費が掛かることがわかった。
 そのため、我が町の為政者は、建築基準法第3条に規定する「歴史的建築物に関する建築基準法上の適用除外」に着目し、この建物を歴史的建築物とすることによって、なんとか建築基準法上の縛りから逃れようと考えた。
 しかし、その当時築80年しか経っていない料亭を歴史的建築物とするには無理があった。それでも何とか県の建築審査会で認めたもらうように様々な策を弄した。それが難しいとわかると、市独自の景観条例づくりにまで着手した。
 この土地取得をめぐって市議会も混乱したが、結局、この騒動は首長選挙による為政者交代で幕を閉じた。

 次の為政者は、旧料亭の活用計画に無理があったとして、前の為政者を糾弾した。
 負の遺産を引き継いだ新政権においては、さらに資金を費やしてまで行政でこの土地建物を活用する考えはなく、また、建物活用や土地活用についてサウンディング型市場調査(事業内容や事業スキーム等に関して民間事業者の意見や新たな提案の把握等を行う調査)などをしてみたものの民間事業者から実現性のある提案もなく、結局、新たに数千万円の資金をかけて建物を解体し、更地にしたのが現在の状態(←今ココ)である。

 土地取得に6,000万円、内外装整備に2,000万円、解体に数千万円。
 1億を超える資金を拠出しながら、中心市街地のど真ん中に広がる「もったいない」景色を見るにつけ、この10年間の騒動を誰も総括していないことに気付く。

 旧政権の為政者からしてみれば、無理のある計画ではあったにせよ、選挙で勝利していれば解体などせず、もしかしてさらに資金を投じてまでこの建物を活用したのかもしれない。

 新政権の為政者からしてみれば、負の遺産でしかない。
 民間事業者が開発するならまだしも、計画性のかけらのない、この土地建物を自分の政権において活用するなどとんでもない。
 

 この顛末、誰が責任を負うべきなのか?

 旧政権の為政者に責任があるのは事実だろう。公的な資金を使って土地を取得するには何らかの理由があったと思うが、それでも無謀な計画だった。また新政権の為政者にもその責任の一端はあるのだろう。そして、そこに関わった職員にももちろんその責任はある。そういう意味で言えば、自分もその責任を痛感せざるを得ない。

 だが、この結果の一番の責任を負うのは間違いなく僕ら住民である。
 
 *****

 4年に1度、僕らは町のトップリーダーを選挙で決める。
 選挙は多数決だから、自分推しの候補者じゃなくても、決まったリーダーに僕らのまちづくりを託す。
 選挙でリーダーが決まってしまえば、あとは僕らはどうすることもできない。リーダーに僕らのまちづくりをすべてお任せだ。
 
 だが、リーダーに丸投げする政治はこういった悲劇を引き起こす。
 結果、責任を取るのは僕らだ。
 僕らがこの更地を未来永劫引き受けていかなければならないのだ。

 もちろん、この更地の活用をまた為政者に委ねることもできるであろう。
 だが、仮にこの更地が10年後何も使われずに風化されていったとしても、今の為政者に責任を負わせることはできない。
 結局、その責任を僕らは負わなければならない。

 当たり前のことだが、自分のまちをつくっていくのは、為政者ではない。
 誰かに委ねて、お願いするまちづくりにおいて、僕らがその権利を行使できるのは4年に1度しかないが、その権利行使は、為政者に白紙委任することではない。
 
 僕らは、自分たちのまちづくりに対して、きちんと責任を持つ必要がある。

 いつかは為政者は次の為政者にとって代わる。
 それでも僕らは、この町に存在し、生活を続ける。
 自分だけでなく、自分の子や孫たち世代まで、まちは生き続ける。
 前の世代から、まちを引き受けて、次の世代につなぐ責任が僕らにはある。
 
 この更地をどうするのか決めていくのも僕らである。
 大規模開発をしていくのか、コンパクトな活用を考えていくのか。
 行政や民間のディベロッパーに「お任せ」するのではなく、自分事として捉え、何らかの形で関わっていく。
 それは、行政に対する提言でもいいし、もう一歩進んで行政との協働でもいい、もっと言えば僕ら住民が協同体となり、事業としてかかわってもいい。
 

 誰かにお任せする「他責性」を排除して、自分事としてまちづくりをしていく。
 行政は、そういった市民を育てていく。

 僕らは、僕らの責任で「まちづくり」をしていかなければならない。


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