チョコレートとは程遠いもの(銀杏BOYZ「なんとなく僕たちは大人になるんだ」)
バレンタインの季節は、賑やかでいいなあ、と思う。
チョコレートは、甘くて、華やかで、上品で、うっとりする食べ物だ。
私は、バレンタインというものが嫌いじゃない。
ゲイリー・マーシャルの「バレンタインデー」という映画も好きだし、
「愛」に溢れるロマンチックな妄想も好き。
けれども、私自身、バレンタインというものに、
あんまりいい思い出がない。
チョコレートを渡せなかったり、
渡したはいいけど、ごめん、なんて言われて受け取ってもらえなかったり、
本命チョコを義理チョコだよ、なんて言って渡したり、
約束すっぽかされたり。
本当に、いい思い出がない。
バレンタインに似合うのは、
恋愛のロマンチックな部分を切り取った、
�bitter&sweetな切ないラブソングなんだろうな。
一方で、私の思い出に似合うのは、
そんな曲ではないのが、悲しいんだけど、
なんだかそれが、自分らしい気がしなくもない。
嫌なことがあったり、
振られたりしたら、
私は、チョコレートをお上品に食べたりなんかしない。
思い切り、ラーメンをすする。
悔し涙をごまかして、
湯気に紛れて鼻水すすりながら、
ラーメンをすする。
初めて銀杏BOYZの「なんとなく僕たちは大人になるんだ」を聞いたのは、
去年の夏のフェスで、
安藤裕子(ねえやん)がカバーしたのだった。
最初は、中島みゆきの曲のカバーなのかしら、
なんて思ったりもした。
けど、聞いていると、
中島みゆきっぽい哀愁ある歌詞なのに、どこか尖ってて、
誰の曲なんだろう、なんて思っていたら銀杏BOYZの曲だった。
原曲聞いて、いい意味で、これは情けない大人のための曲なんだと思った。
ふと、夜空見上げながら口ずさむのにちょうどよくて、
磨り減った踵の靴と、ヨレたスーツ、
まとめた髪の毛からはらりと毛束が落ちるみたいな、
そういうのが似合う曲。
全部が全部幸せじゃないから、
ため息つくけど、
多分、不幸じゃない。
いつかは大人になりたいと思っていたけれども、
いつのまにか、自分が大人と呼ばれる年齢になって、
なんだかそのことに躓いて戸惑って、
けれども、今日も明日も生きる、と、それだけは間違いなく覚悟を決めている。
嫌なことがあっても明日も平然と生きていく。
惚れた腫れたで一喜一憂していた自分とは思えないくらい、
冷静に、そして、平然と1日の終わりを迎えることに、
なんとなく違和感を感じる。
ラーメン食べている時の私は、
どうしようも情けない自分だ。
バカみたいで恥ずかしい自分だ。
私にとってのラーメンとは、そんな食べ物だ。
「ああ 僕のラーメンくさい溜息は冬の夜空に消えていった」
私は、今日、深夜にラーメンを食べた。
この曲を聴きながら、
ああ、溜息なんかじゃ足りない、そんなふうに思った。
もし、ここが、西日の当たる日本海沿岸なら、
私は、間違いなく、バカやろーと叫んでいた。
けれどもここは、キラキラとビルの灯りに沈む海の底だから、
この叫び声も全部全部真空パックされたみたいに沈むだけだ。
先日、発売された銀杏のトリビュートアルバム「きれいなひとりぼっちたち」、
どれも最高な曲とアレンジ、
そして、何より参加アーティストが自分の曲のようにのびのびと、
けれども狂おしそうに歌っていて大好きなアルバムの一つだ。
(麻生久美子が歌っているのは、あざとすぎて、ずるい!)
銀杏が歌うのも最高だけど、ねえやんが歌うこの曲も、やっぱり好きだ。
人生に切実で、情けなくて悲しくて、けれども、強い。
そういえば、この曲を聴いたのは、
もう、本当の真夏で、雲一つない晴天で、
海岸の近くなのに、潮風一つ吹かない、
ひたすら太陽が照るだけの日だった。
なのに、ねえやんが歌うこの曲を聴いて、
私は、ありありと冬の夜空を思って、
私は、その哀愁をしっかりとこの手に受け取り、
私は、今日みたいに、悔し涙を滲ませながらラーメンをすすり、
そして、帰り道がてら、夜空に浮かぶであろう白い息にずっと想いを馳せていた。
それって、なんだかすごいことだなあ、と、そんなことをふと思った。
今日は、ラーメンを食べた。
チョコレートととは程遠い食べ物。
けれども、情けない大人のバレンタインにはちょうどいい。